林令梅さん 15年前北京で惨死
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 【明慧日本2015年11月14日】黒竜江省勃利県の法輪功学習者・林令梅さんは2000年5月に北京で亡くなった。彼女は法輪功を修煉する権利を求めて、訴えるために北京を訪れた。警官は林令梅さんが自殺したと言っていたが、私たちはこれが本当の死亡原因ではないと疑っている。林令梅さんの死亡原因は、彼女が亡くなってから、この文章が発表されるまで、14年間にわたり明らかにされてない。特に、中国共産党による法輪功に対する迫害が、14年間続いた事実が明らかになった現在、中国・公安の主張をうのみにしてはならない。

逮捕と監禁

 林令梅さんと妹は、2000年5月11日、法輪功を修煉する権利を求めて訴えるため北京へ訪れた。同年5月13日、彼女らは守備が厳重な天安門広場で、法輪功の動作を行ったところを目撃され、不法に警官に逮捕された。法輪功のために陳情に訪れる法輪功学習者を抑制するため、中国共産党は陳情のため逮捕されたすべての法輪功学習者を、必ず現地の警官により現住所に送還させ罰を与えるようにしていた。

 林さん姉妹の身元確認ができた北京の警官は、彼女らを京七ホテルにある、黒竜江省七台河市の北京駐在オフィスに送った。彼女らは308号室に監禁された。鉄のベッドに手錠で縛られ、ひどく殴られた。一日中、人に監視され、夜になっても、部屋の電気はずっとつけっぱなしにされた。

 七台河市からやってきた警官は、同年5月14日の午後、林令梅さんは七台河市管轄でないと言い、林麗芬さんだけを連れ帰った。彼らは林令梅さんの勤め先である勃利県林業局が、彼女を連れ帰るべきだと主張し、姉の林令梅さんを七台河市の北京駐在オフィスに残した。

警官は、林令梅さんの死亡を自殺と主張

 七台河市の北京駐在オフィスは、勃利県林業局に林令梅さんを迎えに来るように連絡した。勃利県林業局は数人を北京に送ったが、北京に着いたその人たちは、まず観光に行った。彼らが七台河市の北京駐在オフィスに到着した時、林令梅さんが死んだと知らされた。彼らは林令梅さんの家族に、彼女がホテルの窓から飛び降り自殺をしたと通知した。

 林令梅さんの死亡している状況は、見るも無残な死に方だった。彼女は両手に手錠をかけられ、顔を上向きにして、ホテルのアイアンフェンスに突き刺さっていた。事情を知っている人によると、林令梅さんは七台河市の北京駐在オフィスで、畢という警官に残酷に殴られた。彼女はビルから脱出するために窓から飛び降りたが、窓の下にあるフェンスの上に落ち、先が尖ったフェンスに背中を突き刺したという。彼女は亡くなったまま、10時間以上もフェンスに、突き刺さったまま放置された。

 林令梅さんの親族が彼女の遺体を見たとき、彼女の太ももの裏側には傷跡があり、縫われた痕跡があった。前腕は傷を負っていて、首には小さな赤い斑点があった。後ろの腰のあたりには青あざがあり、腕首には針の痕がいくつもあった。林令梅さんの家族が死亡の原因を聞くと、警官は話題をそらした。警官らは林令梅さんの家族に、彼女は自殺したので、即時火葬することに同意するサインを求めた。

 火葬後、北京市・公安局・宣武支局が勃利県・倭肯鎮に送った死亡証明書には、死亡原因は飛び降り自殺、死亡時間は2000年5月15日、発行日は2000年5月18日と書かれていた。火葬証には林令梅さんは2000年5月14日に亡くなり、2000年5月18日に遺体を北京市東郊葬儀場で火葬したと書かれていた。

遺体には飛び降りた痕跡(こんせき)がなかった

 法輪功は法輪功学習者にすべての生命を大切にするよう要求し、かつ殺生と自殺を厳しく禁止している。林令梅さんは法輪功学習者として、どんなことが起きても絶対自殺しないと言っていた。

 林令梅さんが死亡してから14年経っているが、人々はいまだに彼女が、いかに死亡したかに疑問を持っている。両手に手錠をかけられた彼女が、厳しく監視されていながら、どのようにして窓から飛び降りたのか? 警官のいう通り、自殺だとしたら、何が原因で彼女が自殺したのか? なぜ自殺現場の写真とビデオがないのか? なぜ林さんの遺体には転んで怪我をした痕跡がないのか? なぜ病院は家族に緊急処置の証明書を発行しないのか? なぜ林さんが監禁されていた、308号室の配置が変わったのか? なぜ林さんを縛り付けていた鉄のベッドがなくなったのか? などなど多くの疑問が残る。

 2000年5月14日、七台河市の北京駐在オフィスの308号室で、いったい林令梅さんの身に、何が発生したかを明らかにするのは、警官の義務であり、責任である。このまま、闇に葬っていいものだろうか!

林令梅さん

林令梅さんの詳細情報

 林令梅さんは1971年1月7日、黒竜江省・勃利県・倭肯鎮興勝村で生まれた。彼女は頭の回転が速く、手も器用で、人の言うことをよく聞き、物事をよくわきまえた賢い子供だった。彼女は20代前半に結婚した。彼女の夫は勃利県の山に位置している紅星営林場の従業員だった。彼女にはひとり娘がいた。

 林さんは1998年から、法輪功を修煉しはじめた。彼女は法輪功の「真・善・忍」の法理に従い、迫害のなか、動揺せず修煉を続けていた。多くの人は彼女の粘り強さを、羨ましく思っていた。また彼女は人当たりが良く、不当な扱いを受けてもやり返さない、本当に忍耐強い素晴らしい女性だったという。

 林さんは10歳の娘を残したまま、耐えがたい拷問を受け、見るに堪えない姿となり、30歳の若さで、この世を去った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2014/2/28/288179.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2014/4/11/142.html)
 
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