文/北京の大法弟子
【明慧日本2015年11月24日】私は1996年に法輪大法の修煉を始めましたが、以下に私が直接真相を伝え、三退を勧めた体験をお話しします。
発端
2009年、不当な労働教養が終わりました。労働教養所を出てから、学法し、毎日明慧ネットの文章を読んで、衆生を救い済度することが急務であることを知りました。同修の素晴らしい働きを見るにつけ、自分は本当に落ちこぼれていると感じました。そこで私は、大通りに真相を伝えに行きました。真相を伝え始めたら、ある人が「反革命分子だ!」と大騒ぎを始めました。人々に囲まれ、私は急いでその場を離れました。荷車を押して花を売っている人を見かけたので話しかけると、その人は「あなたは何を話しているんですか?」と理解できない様子でした。初日は4、5人に真相を伝えようとしましたが、理解できない人とか、私を避ける人とか、うまくいかない人ばかりで障害が相当大きかったのです。
私はそれなら神韻DVDを配ろうと思いました。1人の大学生を見かけたので、神韻DVDを手渡し「これを見てください。あなたは教養があるから、芸術はお好きでしょう。見ればあなたに良いことがありますよ」と言って勧めました。その大学生は「はい、では見てみます」と言い、差し出したDVDをポケットに入れて、去って行きました。私が振り返ると、武装警官がいるのが見えました。しかも完全武装して、手にはポケットベルを持ち、私と数歩の距離しか離れていませんでした。私が立ち去るとその武装警官は私についてきました。私は「武装警官が西の方を向いてくれればいいのに」と思いました。すると、その武装警官が本当に西の方を向いたので、その隙にその武装警官をまきました。私は路地に入ってDVDを配り、路地の出口まで歩いて配り終えました。2人の警官が路地の出口に座っていました。路地の出口を警官が塞いでいたのですが、これはもしかしたら、私の恐怖心が招いたことかもしれません。私は警官の横を通りぬけて家に帰りました。
私は「自分の行動は明慧ネット上の同修たちの体験と異なっている!」と思いました。私は急いで真相資料とDVDを持って職場へ行き、誰であろうと構わず、真相資料を配りました。校長や書記から会計係に至るまで、会えばだれにでも三退を勧めました。ある人が「どうして誰も何もしないんだ?受付で法輪功の資料を配っている者がいるというのに!」と叫びました。誰かが通報したようで、警官が私の母に会いに来ました。帰ると母は、驚きのあまりずっと泣き続けていました。
この頃は、私が最もつらかった時期です。自分には意気地がないと思い、特にふさぎ込んでいました。私は「大法修煉者が正々堂々と人を救えば、本当に人を救うことができる。私の場合のようにこじれるようなことはなく、正しく道を歩むことができるはずだ」と思いました。私の状態が正しくない可能性があり、自分が落ちこぼれているので補わなければならない、という心が強く、自分が迫害の真相を伝えに行くには、師父が要求されているような衆生を救い済度する状態には、達していなかったのです。
愚かで興奮しすぎていました。自分はまだ多くの人心を抱えながら、行っていたことに気が付きました。私は「人に真相を伝えても理解できるのか?人は私が政治にかかわっていると思っているのではないだろうか?人は私を精神病異常者だと思うのではないか?誰かが私のことを通報するのではないか?」と様々なことが、頭の中に渦巻いていました。だから人を救えなかったのです。
ちょうどこの時、別のプロジェクトがあり、私は「これは私が歩む道かもしれない。自分の専門知識を役立たせ、同じように人を救おう」と思いました。しかし、私の頭の中で「あなたの心性はそこまで至っていないのではないのですか。本来はこの仕事を行っても危険はないのですが、あなたは本当にその基準に達していますか?いいえ達していません」という声が響きました。
励む
この頃、直接真相を伝えるのが、上手な同修に出会いました。その同修に自分も連れて行ってもらえるよう頼んだところ、その同修は快く同意してくれました。
初日、私たちはいろいろな場所で真相を伝え、本当にたくさん話をしました。しかし2、3人しか三退してくれず、朝8時からお昼の12時まで、一滴の水も飲まず、のどはカラカラで歩き疲れ、おまけに保安員や退職した警察官に追われて、タクシーに乗って逃げました。私は同修に「私には人心があるのかもしれません。私に向かってくる人は、私を脅そうとしています。でも安心してください。明日もまた来ます!」と言って別れました。
2日目の朝、起きた時に私は自分に向かって「この道は必ず歩んでいかなければならず、どんなに難しくても、前に進まなければならない」と言い聞かせました。本当は出かけたくありませんでしたが、じっとこらえて歩き出しました。バスに乗って公園の入り口に着き、1時間近くそこに立ちました。人々が私の横を通り過ぎて行きました。私はまったく真相を伝えず、口を開けられずに、頭の中でずっと「真相を伝えるのか、伝えないのか?自分を突破できるのか、できないのか?人々は私の話を理解できるのか、できないのか?話題は敏感な内容なのに、どのように話せばよいのか?皆あくせくして用事があり、それなのに無理に話しかけ、あなたの話を聞く暇があると思うのか?これでは皆を邪魔するのではないか?老若男女みな、あなたのことをどう思うだろうか?『この人は一日中何もせず、ここに来て何をしているのだろう?』ときっとそう思っている」と考えました。
その時、1人のお年寄りが近づいてきて、お年寄りの方から「散歩しに来たのですか?」と私に話しかけてきました。私は「もともと仕事がありましたが、職場は私を解任しました、散歩する以外に何をしに来るんですか?」と、そして中国共産党に話題を変え「中国共産党は本当によくありません。あんなに多くの汚職役人がいるので、社会が不安定になり、有害食品が出回り、物価が上昇しています」と話うと、そのお年寄りは同意しました。しかし、私が党、共青団、少年先鋒隊の脱退のことについて触れると、そのお年寄りは踵(きびす)を返し、私を無視して行ってしまいましたが、お年寄りに真相を伝えることが出来ました。
同修がやって来ました。公園の中に入り、私たちは手分けして真相を伝えました。私は1人の老婦人を見かけました。見たところ教養のありそうな人でした。木の下で太極拳を練っており、そばにはお手伝いさんがいました。私は近づいて、まずお手伝いさんに「農村からいらっしゃった方だとお見受けしますが、中国共産党のせいで、地方のすべての資源はみな大都市に集められ、農民にはとても不公平です。あなたたちも相当苦労なさっていると思います。今、中国共産党は悪事の限りを尽くしていますので、中国共産党に償いをさせなければなりません」と話しかけました。全く手間がかからずに、そのお手伝いさんは少年先鋒隊を脱退しました。そして私はそのお年寄りにも党を脱退させました。そのお年寄りはキリスト教徒でした。ちょうどそばに海棠(カイドウ)の木があったので、そのお年寄りに「海棠」という名前をつけて、党を脱退させました。
続いて、世間話をしていた3人の定年退職した労働者を、三退させました。やり始めたばかりの段階で順調に行き、師父が私を励ましてくださっているのだと思いました。
60歳ぐらいの男性が、何かを練っているのが目に入りました。私と同修は近づいて行って、その男性に話しかけました。その男性は「体の具合がよくないのだ」と言いました。そこで、私たちは「法輪功は体にいいですよ。しかし中国共産党は法輪功の修煉を認めず、善良で良い人を迫害しています」と言いました。すると、その男性は突然私たちを指さして「あなたたちには闘争心がある!」と大声で言いました。私は同修に「どうやら私たちが、この人に話した時の話し方が良くなかったようですね」と言いました。そこで、その男性に「あなたのおっしゃる通りです。私たちはこれから気を付けます。なぜなら私たちは真・善・忍を修煉しているからです。あなたのために申しますが、三退すれば体が良くなり、命も保障されます。中国共産党は確かに非常に邪だからです。ですから、三退してください。よろしいですか」と言うと、その男性は「わかりました。三退しましょう」と素直に答えました。
その男性から離れた後、私は同修と交流し「常人が私たちを叱るなんて、真相を伝えるために私たちはもっと高い基準で修煉しなければなりません」と反省しました。その日、真相を伝えたのは基本的に順調で、三退しなかった人はいませんでした。
思い通り
3日目もまた同じように公園へ行きました。1人の老人が散歩をしていました。老人が前を歩き、私が後ろを歩いていると、その老人が振り向きました。私はその老人に「後ろからお見受けしたら60過ぎだと思いましたが、あなたは80歳過ぎですか?」と言うと、その老人は「もうすぐ90歳だ」と教えてくれ、「あなたはとても健康そうですが、何のお仕事されていたんですか? どうしてそんなにお身体が丈夫なんですか?」「私は政府の長官でした」「そうですか、政府高官をされていたんですね。何の部を管轄されていましたか?」「報道です」「あなたはいろいろなことをご存知かと思いますが、ある問題について教えていただきたいんです」道が舗装されていなかったので、その老人を支えながら「ゆっくり歩きましょうか。私の話をしっかりと聞いてください。転ばないように注意してくださいね。私が付き添いますからぶらぶら歩きましょうか」
「今、いろいろなところで雷鋒展をやっていますね。雷鋒は靴下をつくろい、質素でよく艱苦に耐えた、と展示会で言っていましたが、雷鋒のタンスの中にはイギリス製の腕時計とレザージャケットがありました。あなたも経験されていると思いますが、その年代にはこのような矛盾がとても大きく、雷鋒を用いて今の世代に教えようとしても、今の世代にとっては、まったくわけがわからず、いったいこれは質素なのか、それともぜいたくな享楽であるのか? これが第一の疑問です」と質問を始めました。
私は師父が加持してくださっているのを感じ、もう1つの質問を思いつきました。「それから、雷鋒の兵役期間は2年に満たなかったのですが、展覧会には300枚以上の写真があります。写真を撮る環境にしても、撮る角度にしても、みなプロのカメラマンが撮ったような写真です。子供たちはきっとこう尋ねるでしょう『いいことをしても名前を残さないはずなのに、どうして写真が残ってるの?2年間で300枚も写真を撮って、この人は何をしてたの?仕事してたの?プロのカメラマンがこの人にポーズを付けて写真を撮ったの?』あなたは子供たちの出すこれらの質問に答えられますか?」と聞きました。老人は「あなたはわかっていないようだが、雷鋒は確かにこの人です。毛XXが宣伝に利用し、全国民に学ばせなければならなかったのです。このような形式、このような方向性は当時は正しかったのだ」と言いました。
私は「私がいま出した質問そのものが雷鋒が宣伝によって作られたものであることを証明しており『質素でよく苦難に耐え、いいことをしても名前を残さない』これも宣伝によって作られたものです。お尋ねしますが、雷鋒が宣伝によって作られた、ということが本当だと思いますか、うそだと思いますか?」と言いました。その老人は「何とも言えん。当時、私たちはそれが本当だと思っていたし、大々的に宣伝していたからだ」と言いました。私は「当時、もしあなたが私と同じような考え方を持っていたならば、子供でも見抜けたはずなのに、どうしてあなたは見抜けなかったのですか?」とその老人に尋ねました。その老人は「たとえ私が見抜けたとしても、とても口に出すことなんてできなかった。もし口に出したとしたら、反革命分子にされていただろう」と答えました。
私は「あなたの言われることは確かです。あなたはよくわかっておられます。あなたは定年されてもう長いので、ちょっとしたニュースを教えます。現在、中国共産党の高官の大多数の子女や親類(訳注:親族の意)の金はみな国外にあります。全国人民代表大会と中国人民政治協商会議では、統計された数字が出て来ています。高官たち自身も外国のパスポートを持っています。これは公然とした秘密ですが、ご存知でしたか?」と尋ねました。その老人は「ある程度は知っているが、すべて知っているわけではない」と答えました。「私が分析して見せますので、判断してほしいのですが、これらの中国共産党員たちは、すでに中国共産主義に対しての信仰を失っています。危険を感じ取っていて、ここは安全ではないと思っています。木が倒れるとその木にいたサルどもは散らばってしまうのと同じように、高官たちが最も真相を知っているので、自分の抜け道をこしらえているのです」
「あなたは自分の抜け道をこしらえましたか?」とその老人に尋ねました。私たちは話しながら人だかりの中に入って行きました。老人は「わからないが、どのように抜け道をこしらえるのですか?」と私に尋ねました。「見たところ、あなたはとても善良で穏やかな方のようです。だからお年を取られても、体がこんなに元気なのだと思います。中国共産党という船は地獄に向かって進んでおり、あなたの家庭の幸福のため、子孫の未来を素晴らしくするために、あなたが三退しさえすれば、神はあなたの後ろ盾となってくださいます。中国共産党という船から下りてください。よろしいですね」老人は「わかりました」とうなずきました。「それでは、あなたに『晩福(訳注:晩年の幸福)』という名前を差し上げます」その老人は「ありがとう!」と言うと、私に向かって合掌しました。数10年間も、中国共産党の党員だった老人が、私にお礼を言って、合掌するとは思いませんでした。私はこの時大変驚き、歩き出してから「『これは私の師父があなたを救ったのであって、私の師父にお礼を申し上げてください』と彼に言うべきだった」と後で思いました。しかし、こんなにも順調にいくとは思わなかったので、この時私は、しばらくの間、呆然となりました。
少し歩いていると、石でできたテーブルの上に、1人の男性が座っていました。私はその男性の正面に腰を下ろし「あなたは見たところ知識人のようですが、少しお話してもよろしいですか?」と聞き、すぐに、中国共産党がどうして知識人を迫害するのか。歴史上どれほど多くの悪事を行ってきたのか。また現在は法輪功を迫害しており・・・。すると、その男性は怒りだし、私の話をさえぎって「もういい、話さなくていいよ!あなたたちは真でもなく、善でもなく、忍でもないのだろう」と言いました。私は「いったいどうしたのか?」といぶかしく思いました。その男性は「ある国に行ったことがあり、よく海外に行き、あなたたちが国外で掲げている標語は『殺死江澤民(江沢民を殺す)』だ」と言いました。私は「『殺す』ではないと思いますよ『裁判で厳罰に処する』でしょう」と言うと、男性は「それは違う。 私は外国へ行って、見てきたのだ。それともあなたも外国へ行ったのか。私はこの目ではっきりと見て来たのだ」と私に食って掛かりました。
私はその男性の言っていることが、理解できなかったので「あなたは九字吉言(訳注:九字の縁起のいい言葉)『法輪大法好,真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)』を知っていますか?」と話題を変えました。その男性は「だまれ!法輪大法好,真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)のことだろう。中国人民大学の3人の教授とクラスメートが、10年間私に言い続けた。私は彼女たちのことを心配していたのに。そしたら、またあなたがやってきた・・・」とまたもやいきり立ちました。
この話題には触れない方が良いと思い、いずれにしても、私は争わずに相手を救わねばならず、年を取っているので、体に何か問題があるかもしれないと思い「お身体は健康ですか?」と男性に聞くと「糖尿病があり、毎日薬を飲んで注射を打たなければならない。そうしなければ糖尿病を抑えきれなくなる」と教えてくれました。私に知恵が巡ってきました。「あなたは科学者ですから、科学の精神をよく研究なさっていると思います。さっきあなたが私に言ったことですが、本当のことを言うと、真・善・忍に符合するとどうなるのか、私は今、あなたに科学実験をしてみたいのです」
私は一心にその男性を救おうと思って、念を正しくし、師父が私を加持してくださったので、すぐにこの話題にたどり着けました。男性は「何の実験ですか?」と聞きました。私は「法輪大法好,真善忍好(法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい)この9文字を、あなたは迷信だとお考えになっていますが、私たちは神仏が告知してくださった天機だと考えています。私たちの実験は、あなたが心の中でこの9文字を念じ、家に帰って毎日念じ、たくさん念じ、その後、糖尿病の数値を検査してください。もし数値が下がっていれば、この9文字が作用したことを証明できますが、どうですか?」その男性はすぐに「わかった!これならそんなに難しくはないが・・・」私は続けて「しかし一つだけ問題があります。あなたは中国共産党員で、共産主義青年団と少年先鋒隊にも入ったことがあるでしょう。その時、あなたは無神論を信仰することを、宣誓したはずです。それで神はどうやってあなたのことを受け入れるでしょうか? 科学実験上から言うと、私たちの実験にとって今のこの状態は、不公正で不公平です。まずあなたが神を信じてください。そうすれば神はあなたを受け入れるわけですから、今あなたは三退する必要があります。これがこの実験を行ううえでの必要条件です」
その男性が180度態度を変えるとは思わなかったのですが、すっと立ち上がると「ありがとう!」と言いながら、私に向かって合掌しました。私はその男性に仮名を付け「数日たったら、またここで会って、実験結果を見てみましょう」と約束しました。
この日、元政府高官、元教授、元革命家、国務院で手当てを受け取っている元科学者など、何人かが三退しました。私たちが公園を出た時は、もうすっかり夕方になっていました。
悟る
あの頃、私は毎日、午前中に直接三退を勧めに行き、午後は学法しました。そして朝は必ず煉功しました。実際、出かける時は、毎日プレッシャーをはねのけていましたが、朝、目が覚めると「危険すぎる、どうやって人に説明すればいいのか?」という人心が蒸し返してきました。しかし、毎日人心に逆らい「必ずやり続けなければならない」と自分に言い聞かせました。一歩外に出てバスに乗り、目的地に着いて、真相を伝えていけば、それまでのいろいろなプレッシャー、考え、恐れる心は吹き飛んでしまいます。
私は「どんなに学法し、どんなに大法の仕事を行っても、『我』や『私』などのずるがしこい常人の観念が、すべてにおいて取り除かれておらず、多少残っている」ということにも気が付いていました。1996年から始めて、これまで修めてきて、正念も発しましたが、どうしても真に大法に届かず、とてもミクロな部分で届いていないのです。直接真相を伝えることを通して、私心で物事を考えたことはなく、さらには威徳を樹立しようなどと考えたこともありませんが、とてもミクロな部分で、真に大法に届いていないのです。もちろん、私は修煉しなければならず、いろいろな心を取り除かなければなりません。
三つのことをやらなければならず、このようにしてこそ有為(訳注:ういとは、この世のすべての存在や現象)なのです。師父は私たちに、衆生を救い済度させようとお考えになっていますが、その数はとても膨大なものです。今、私たちは行わなければならず、しかも完璧に行わなければなりません。実際にやってみると、考え方はとてもシンプルで、やればやるほど心が落ち着きました。
10数年解決できなかった問題が、自分の執着心を見てみると、あのずるがしこく、自分を守ろうとする常人の観念は、たった2カ月間で、すでに存在していませんでした。つまり、私たちは自分の生命を完全に法を正すことにつなげれば、念を発して思うことは、師父の教えを円融することであり、本当にこの境地に達した時、あの「我」や「私」は存在しなくなり、溶けてしまうのです。さもなければ、どんなに内に向けて探したとしても、新宇宙の基準には到達できないのです。
直接真相を伝えることによって、自分の本質から変化が起きたことに、私は気づきました。今までは人心が重かったのですが、修煉状態全体が変化し、どのように衆生を救い済度するのかということを多く考えるようになりました。トラブルに遭った時も心から人を思いやり、どんな事に対しても、どのように内に向かって修めればいいのかを、とらえられるようになりました。そして、私は本当に法に対して責任を負うようになり、生活の中で起きたすべてのことを、三つのことを行うことに結び付けました。同修と協力して何かを行う時には、全体にとってプラスの効果がありさえすれば、たとえ自分がうまくできなかったとしても、誰も恨んだりせず、ただ自分の不足を補うだけでした。たとえ物事が順調にいかなかったとしても、心の中では理にかなっていました。どうやら、私はどのように修煉すればよいのかをマスターしたようです。
師父は外国の観光スポットについて取り上げられた時「実は真相を伝える拠点こそ最前線で、真相を伝える最前線なのです」[1]と、説かれました。私が出かける先は最前線であり、これは法を正す進展に追いつく第一歩であり、私は最前線に立ち、真相を伝え、次々と人を救わなければならないのだと思いました。続けて行っていくことによって、常人の心、常人のものをどんどん減らし、最後には師父が按配なさったことを、純粋に行う境地に達する、これが私の目標です。
師父に深謝いたします!
同修の皆さん、ありがとうございました!
注:
[1] 李洪志師父の経文:『二〇一三年米国西部国際法会での説法』
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/5/153527.html)