電子ブックをやめ、本で学法すると状態が好転
■ 印刷版
 

文/中国大法弟子

 【明慧日本2015年11月25日】明慧に掲載された『印刷版の大法の本で学法するほうが良い』という交流文章を読んで、感銘を受けました。これから自分の印刷版の大法の本で、学法する良い体験と同修の誤字のある電子ブックで学法して、危険を呼んだ体験を紹介したいと思います。

 今年の10月1日から一週間の休みがありました。私は旅行に行かず、自宅の店に出て、お客さんがいないとき学法していました。今回はいつもの電子ブックで学法する習慣を変え、「7.20」以降のすべての大法の本を出して、一冊ずつ読み始めました。そうすると奇跡が起きました。学法するとすぐ眠たくなる状態が知らないうちに治り、しかも内容が良く頭に入り、法理が次々と現れ、学法すればするほど学法したくなり、昼間に学法し夜も時々徹夜して学法しましたが、少しも眠くなかったです。一週間で「7.20」以降のすべての法を読み終えました。読み終わると大変のことが起こりました。私には神通力が現れました。

 私はもともと天目が開いていたので、見たことを少し紹介します。

 まず、大法の本の文字が金色の光を放ち、しかも立体的で一層ずつ重なっています。私は宇宙の某次元の空間で座って大法を読み、読むたび口から蓮の花と法輪が飛び出し、残っている邪悪を滅し、同時に共産党邪霊が人間界に残っている、わずかな場を取り除いていました。丁度「10.1」期間中のため、各地に国旗が掲げられ、虚勢を張ろうとしていました。しかし、私の読む声は、原子力爆弾が爆発したかのように、強大な衝撃波が瞬く間に「愚かな邪霊」を消滅しました。なぜ「愚かな邪霊」というのかといえば、死ぬと分かっているのに、懸命に戦おうという姿勢を装う姿がとても滑稽だったからです。

 それから発正念の効果は非常に良いのです。全身のほぼすべての細胞は、法で満たされているため、法の威力は当然に現れてきます。例えば私は明慧ネットに上がろうとすると、邪悪に妨害され上がることができません。それで私は大声で別の空間にいる邪悪に警告します「今日は、私のパソコンを妨害する邪悪を滅するのみでなく、すべての同修のパソコンを妨害する邪悪を滅します。あなたたちには私を妨害する資格がありません。一念で殺します。だれであろうと決して許しません」と言った途端、パソコンは直ちに正常に戻ります。それから、邪悪の頭が手下に同じ任務を与えると、手下どもが怖くて、慌てて後ろに下がりながら「怖くていけません! 怖くていけません! 滅すると言ったら大勢が死んでしまい、行ったら必ず死にます。強すぎます」と話します。

 また、電話でこだまする場合、私は即座に正念を発し、盗聴させる邪悪を滅します。私を盗聴させる邪悪を滅するだけでなく、電話で人を救い済度するすべての同修の電話を盗聴させる邪悪を滅すると同時に、そのシステムも全部取り除きます。それ以後邪悪は軽々しく妨害しなくなりました。中に無駄だと分かっていても妨害する邪悪は、時々、家の家電製品と調理器具を故障させるのですが、私が正念を発すると、邪悪がすぐ滅せられ、故障した物がすぐ直ります。それで家で私は「修理屋さん」と呼ばれています。修煉者であれば、皆が分かっていると思いますが、師父が弟子を助けておられ、すべては師父がなさったことです。

 このほか、長い休みが終わると、私は真相についての資料を配りに街に出かけます。私は師父が仰った「この世ですれ違って、話ができなかった人にも慈悲を与えなければなりません」という言葉を思い出し、歩きながら私の周りを行き来する人々に「あなたたちは皆『法輪大法は素晴らしい。真・善・忍は素晴らしい』を覚えてください。私はこの言葉を一つの種に化し、頭上からあなたたちの心に植えつけてあげます。永遠に覚えてください」と話しました。すると、天目に無数の金の種が雨のように空から降り落ち、素早く私の横を通り過ぎた人の頭上から入り、心に入りました。縁の大きな人はすぐに種が芽生え始め、小さい蓮の花に成長しました。すぐ芽生えられなかった人には、私はもう一回同じことを言うのです。このようにして3、4回繰り返してから、要約芽生えた人もいました。恐らく彼らの生命の特性、また縁と根基が違うからかもしれません。

 ここまで紹介したのは、要するに私は印刷版の大法の本を読んで、受益したと言いたかったのです。今までと違い、眠気がなくなり、法が頭に入り、大法の仕事をすると大法の威力が現れ、スムーズに進むことができます。

 その逆の電子ブックで学法した例をあげます。ある大法小弟子は便利だと思い、電子ブックで学法していました。しかし、電子ブックの中の「進」の文字はすべて別の文字で代替しており、直すことができません。小弟子は心の中で分かっていると思い、我慢して使っていました。しかし想像もしなかったことが起こりました。代替している文字が師父の姿に化けて(小弟子は天目が開いている)小弟子に毎日大法を読ませて、自分に聞かせていました。それから自分が宇宙人だと教え、小弟子に師父を罵らせました。このようにして、小弟子を少しずつ修煉の道から遠ざからせ、最後に修煉を放棄させました。幸いなことに、小弟子は4年後にようやく悟り、また修煉し始めました。しかし貴重な4年間が無駄になりました。

 なぜ、私たちは毎度、これほどの代価を払わなければ、悟らないのでしょうか。なぜ、私たちは修煉に対し厳粛な態度で、臨むことができないのでしょうか。正法は最後を迎えようとしているのに、なぜ、私たちは向上できず心性は元のままになっているのでしょう。この文章を書くには、自分がいままで印刷版の大法の本で、学法しなかったことをも暴露したかったからです。今まで私たちは、多くの時間を無駄にしてきました。これから一分一秒を大事にし、前進するたびに、一つ一つの考えをしっかりと持ちなければなりません。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/3/318489.html)
 
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