浙江省 法輪功学習者9人の迫害の実態
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 【明慧日本2015年11月28日】

 施標さん(男性、30歳前後)は、洗脳班で殴打され負傷した。釈放されてから1年後に傷が悪化して、幼い娘と年寄りの両親、および不安げな妻を残したままこの世を去った。

 凡忠庄さん(男性、60歳前後)は、何回も労働教養され、縉雲の公安に迫害されて重傷を負った。麗水病院で38万元使っても治療できず、医者は一生涯・障害者となり、植物人間になる可能性もあると述べた。凡さんは退院後に法輪功の修煉に励み、今は杖を使いながら歩けるようになった。

 官徳さん、杜蘭蕊さん夫婦(6、70歳代、壺鎮蒼峰足村の村民)官夫婦は1999年に、北京へ法輪功のため陳情に行ったが強制連行され、洗脳班に拘禁され迫害された。罵られ、殴打され、そのうえ杜さんは、箒の取っ手の上に跪かされた。杜さんは一年の最も寒い極寒に、裸足でコンクリートの床に立たされ、足に冷たい水をかけられた。杜さんはその時から普通に歩くことができなくなり、階段を上れなくなった。2002年、官さんは6年、杜さんは7年の刑を言い渡された。釈放されてから、また洗脳班に連行されて迫害された。2010年、杜さんは610弁公室に、洗脳班で無理やり書かされた転向書の返却を求めたところ、さらに3年の刑を言い渡された。刑務所で杜さんは迫害されて、目が見えなくなり歩けなくなった。全身は痛みのため、どこも触ることができず、自分で身の回りの事が出来なくなって釈放された。官さんは昨年上旬に、また不正に逮捕された。全身に傷を負っている杜さんと脳に障害のある息子は、面倒をみてくれる人がいなくなった。

 李土漢さん(縉雲県壺鎮宮前村の村民)は、2000年縉雲610弁公室と壺鎮政府の派出所が設置した場所に、数カ月間拘禁された。その間、5人に両手足と頭を引っ張られる拷問にあった。また両掌を広げるように要求され、両掌の下に火のついたろうそくが置かれた。掌を少しでも下げると火傷を負った。その後、李さんは窓から逃走したが、しばらくして、また強制連行され刑を言い渡された。釈放されてからも依然として、嫌がらせを受けた。李さんはやむを得ず家を離れたが、いまだに音信不通である。李さんの息子も拷問されて、両手に障害を受けた。

 金子根さん(男性、国家糧食局・壺鎮糧食管理所倉庫の管理員)は、法輪功を修煉する前に癌を患った。金さんの父親と兄弟も全員癌で亡くなった。金さんは生き残るために法輪功を修煉しはじめた。しかし、法輪功を修煉していることを理由に、退職金を没収された。2001年金さんは洗脳班に強制連行され、全身に打撲傷を負った。金さんの妻・呂祝春さんも不正に労働教養され、刑を言い渡され洗脳班で迫害された。

 呂渭梅さん(女性、60歳前後)は不正に刑を言い渡され、洗脳班に拘禁された。洗脳班で突然頬を殴打され血を吐き、歯が何本もぐらつくようになった。

 麻月鳳さん(女性、65歳)は、弁護士から「法律では法律執行者は、人を殴ってはいけないと決められている。刑事犯でも殴ることはできない」という法律知識の説明を受けた。しかし、ここでは毎日、刑事犯が、法輪功学習者を殴打した。麻さんが「誰それが、殴っている」と抗議したその夜、麻さんは派出所の警官と鎮政府の人員に頬を打たれ、こぶしで顔を殴られ足をけられた。

 周愛女さん(女性、40歳前後)は、北京へ法輪功のため陳情に行ったところ、強制連行され鎮政府に拘禁された。周さんは壺鎮派出所の所長に、足で蹴られて排尿が困難になった。周さんは不公正に労働教養された。その間、長期にわたり眠ることを許されなかった。迫害により心臓病を発病し、自分で身の回りの事ができなくなった。労働教養所が何回も現地に迎えに来るよう通知したが、縉雲の610弁公室と鎮政府は先延ばしし対応を遅らせた。最後に周さんの家族が、再三厳しく催促して、ようやく迎えに行った。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/2/5/304072.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/3/2/149170.html)
 
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