文/中国の大法弟子 屹然
【明慧日本2016年1月12日】
尊敬する師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
ここで私が言いたいことは、大法弟子が人を救うのは縁によるものですから、何かしらの条件を要求したり、不平を言ったりしてはいけないということです。なぜなら、私たちが直面する出来事には、いつも自分が修煉しなければならない心が隠されており、そこに向上しなければならない要素があり、さらに、何らかの出来事に直面した時、私たちにはまだその中にある因縁関係がわからないからです。
地方の同修と協力して大法の仕事を行っていた時、釈然としない出来事に遭遇しました。出来事の起因は次のようなことです。私はA市に住む同修のAさんと同じ労働教養所に不当に拘禁されたことがあり、戻ってからはいつも連絡を取り合っていました。Aさんの地区の同修が書いた文章や法会の応募原稿、迫害を指摘する文章などについて、私はいつもAさんを手伝っていました。私はいつも真面目にその仕事に対処し、いつも注意して書いていました。結果として、迫害を指摘した文章は一篇残らず明慧ネットに掲載され、法会の応募原稿も多くの文章が発表され、さらに多くの文章が明慧ネットの同日に掲載する文章として採用されました。このように、いつのまにか慣例が形成され、Aさんのところでは、何かを書きたい時には、いつも私に頼んできました。
しかしある時、まさに法会の応募原稿期間中に、地元の同修の文章を整理する以外に、地方の同修の文章も整理していて、本当にてんてこまいの忙しさだったのです。そして、この肝心かなめの時に、Aさんが私に会いに来て、Aさんの地区の迫害を暴露する文章を書くように頼んで来て、さらに具体的なやり方を提案し、要求してきました。私はしぶしぶ承諾しました。
戻って来てからとても不愉快になり、今がどういう時期なのかを全く考慮していないAさんを恨み、いろいろなことをすべて私に押し付けるべきではないと恨み、こういうことはすべてAさんの地区の同修が行うべきだと思いました。私はAさんたちに替ってAさんたちの執着心を探し、Aさんたちには依頼心があるのだ、と思いました。
しかし、その日の夜、夢の中で私の元神が次の一幕を見ました。私が何かのことで忙しくしていると、年老いてもかくしゃくとした長者が目の前に現れ,私を引き起こして立ち上がらせると、その瞬間、広々とした場所まで飛んでいき、よく見ると、そこには誰もおらず、不思議な場所でした。長者は大きな石の箱を開けると、分厚い紙束を取り出し、見せました。それぞれの紙の上端に「○○公安局」や「○○警察署」などの部門名が書かれおり、部門名の下にはっきりとは読み取れないほどの小さな字が見え、それがかつて誓約を署名した人の名前だと、わかりました。その紙を見ながら「この長者はすごいことができる!」と讃嘆しました。長者は再び紙を見せ、署名欄を見せると、なんと私の名前が書かれているのが目に入り、「誰が私の名前で署名したんですか?」と怒って尋ねると、長者は「よく見ればわかりますよ」と笑いながら言うので、よく見てみると、なんと、その筆跡は私の筆跡と全く同じでした。そこで、夢から覚めました。
現実に戻って来て、夢の中の出来事を思い出して衝撃を受けました。すべての署名が皆、私がかつて署名した誓約であり、しかもあんなにたくさん署名してあったことが信じられませんでした。最も衝撃を受けたことは、誓約の上に部門名が書かれ、それらの部門名はすべて、私が現在参加して真相を伝えているいくつかの街の公安局、検察院、裁判所の本当の部門名でした。あれは私の書いた誓約だと悟りました。
私が人心に邪魔されて自分の誓約を果たさなければ、これは決して小さな事ではないと悟らせるため、この一幕を見せ、師父が教えてくださいました。師父のご慈悲と並大抵でない苦心を知り、深く心がとがめました。そして、「これからは三つのことが必要であれば、どんなことであれ全力を尽くして行い、たとえどんなに高い難度であろうと不平を言わない」と自分に言い含めました。
このような悟りを経て、主にA、B、Cの3つの街の間で私は忙しく行動し、3つの街の公安局、検察院、裁判所の人員に対して広範囲に真相を伝えました。そして、A市の公安局、検察院、裁判所の人員に対しては最も多く貢献しましたが、まったく恨んだりしないどころか、きちんと仕事を行い、これこそが私の責任なのだ、とはっきりと理解しました。ここでは、2つの例を挙げて同修と分かち合いたいと思います。
事例一
ある日、A市の警察官が青年夫婦の法輪功修煉者を不当に連行し、その夫婦の娘はまだたったの2歳でした。警官は幼い2歳の女の子が泣き叫ぶのを無視して、女の子の前で母親を不当に連行しました。この事を知り、私はすぐに手を打って、同修の家の写真を撮り、その中の1枚は2歳の女の子の写真で、写真の中で女の子は涙があふれていました。私は2枚の写真を選び出しました。1枚目は、一家3人が公園でお父さんお母さんの保護の下、楽しそうに遊んでいる写真で、もう1枚が母親と離れ離れになり、2歳の女の子が泣きじゃくっている写真を選びました。この2枚の写真を処理して文章の中に挿入し、報道文を書いて明慧ネットに送りました。文章が発表されると、すぐに国内外の同修と正義の人々の関心を集めました。A市の政法委員会書記と「610弁公室」主任の携帯電話は、まるで彼らの理不尽さを叩きつぶすかのように、ひっきりなしに鳴ったので、彼らは怖くて電話に出ることすらできなくなりました。
私はインターネット上で多くのA市の連絡先を集め、その中には市政府、市の人民代表大会、婦人連合会、各大学、数十カ所の弁護士事務所、および4百カ所以上の公安局、検察院、裁判所の人員の連絡先が含まれていました。そして、この報道文章をプリントアウトし、真相資料として配り、多くの街からその真相資料を私が集めた連絡先へ郵送しました。ある時期、この出来事は多くの街で大ニュースとなり、街のあちこちで議論となり、多くの人が警察の不法行為を非難しました。
そして、中秋節の日に、A市の政法委員会書記や「610弁公室」のボス、そして公安局長などに、次の2通のショートメールを送りました。「相手の立場になって考えてみてください。月は満ちても幼い女の子は両親がいなくなって悲しんでいます。ですから、拘禁されている大法弟子の○○を釈放してください。そして、幼い女の子が一日も早くお父さんお母さんと一緒に暮らせるようにしてください。人がやることを神は見ていらっしゃいます。あなたの立場を利用して、どうか良い人を保護し、人々を大切にすると同時に、ご自分にも逃げ道を与えてください」
政法委員会の書記は「あなたがお求めになってる方にとって、このような申し出はもはや必要ありません」とすぐにショートメールを返してきました。この返事を見るなり、「彼は恐れている」とすぐにわかり、この事は私が行ったことが正しかったことを意味します。そこで、1日おきに異なったSIMカードを使って政法委員会の書記たちに、大法弟子を釈放するようショートメールを発信し続けました。すると1週間後、不当に連行された2人の同修が戻ってきました。
2人の同修が救出されたのは、同修たちが力を合わせて善を勧めた結果でした。私は自分ができることを行い、とてもうれしく思いました。
事例二
最近、私がA市の同修を救出することに参加しました。しかし、女性同修のBさんが地元の公安局長にわなにかけられ捕まり、留置場に拘禁されてもうすぐ1年になります。その間、家族に会わせないばかりか、Bさんに拷問を加えて半年以上が過ぎました。家族はこの事を知り、局長に同修の引き渡しの要求に行きましたが、態度が異常なほど悪質で、横柄で、同修を釈放しませんでした。
この事を知って、私はBさんの家族に会い、状況を理解した後、報道文を書いて明慧ネットに送りました。文章が出来上がるとすぐにプリントし、A市にある多くの警察署に郵送しました。同時に、文章を写真付きメールにすると、A市の多くの部門に広範囲に送りました。すると、公安局長は証拠を偽造し、検察院に報告し、Bさんを正式に逮捕し早く刑務所へ送るよう催促しました。Bさんについて調査するという通告を国際組織が発表したことを知り、私は直ちに公安局長・本人とその周囲の人間にその通告文を送り、さらに善を勧める手紙を送りました。
Bさんの案件が裁判所にとどくと、公安局長はすぐにでも裁判を始めるよう裁判所に催促しました。裁判所の人間に真相を伝えるために、私はBさんの案件の経緯をわかりやすく書き、写真付きメールにして裁判所の人間に送れるように準備しました。写真付きメールを次の日に送れるように準備していたのですが、写真付きメールの出来上がりが遅すぎたようでした。その日の夜、私は夢を見ました。背が高くて大きな悪魔に追われ、どんなに逃げてもダメで、私の家までずっと追ってきました。悪魔は手にあいくちを持ち、私に向かって刺してきました。争いの中、私はスコップで悪魔の頭部に向けて激しく切りかかり、それを何回か繰り返して悪魔を切り倒しました。私は非常に疲れて夢から覚めました。
これは、私が行ったことが正しかったのだと師父が励ましてくださっているのだとわかり、やはりBさんの件は暴露すべきだと思いました。このようにして、他の空間の邪悪要素は解体されいき、最後にはすべて解体できました。次の日、私は写真付きメールを裁判所の90人近くの人に送り、中国共産党に騙されないように説得し、局長の殺人刀にならないように説得しました。
数日前、私はA市で法会の応募原稿の整理を手伝いました。その2日目の午前中に、Bさんに対して裁判所が不当な法廷尋問を行おうとしていることを知り、Bさんの案件に対する18人の責任者に対して、それぞれに善を勧める写真付きメールを作って送りました。次の日、私は法廷尋問の前に再び18人の責任者に対して、ショートメールを発信しようと思いましたが、現場に行くべきかどうかについては少し躊躇しました。しかし、心の中で「もし今回、現場に行かなければ、将来必ず後悔し、さらに、今回悔いを残したら、それを補う方法はなくなるはずだ」と、特に強く感じ、そこで「行こう!」と決心しました。
私と同修は裁判所という関を突き破り、審判所に入りました。私たちが裁判官の前に座って正念を発したので、不当な法廷尋問全体を通して、裁判官はまったく凶険ではなくなりました。裁判官は何度も弁護士の弁護を中断させようとしましたが、私は神通力で、背後で裁判官を操作して話をさせている大きな口をつかみました。裁判官が何度か口を開けるのが目に入り、そのたびに裁判官はため息をつき、結局一言も話せませんでした。
公訴人は邪悪で、重い罪名を訴えてきました。私たちは公訴人に向けて正念を発し、公訴人が起訴状を読み上げた時、同修は公訴人に向けて「滅」の文字を念じました! 私は功能を使って公訴人の思惟をかき乱し、分子レベルで公訴人の言語能力をかき乱しました。公訴人がしょっちゅう頭を掻くのが目に入り、さらに、起訴状を読み上げた時はまったく文脈が合わず、どもりはじめ、話が支離滅裂でした。
結局、不当な法廷尋問は「日を改めて法廷尋問を行う」という言い逃れで早々に終わってしまいました。その日の夜、私は裁判官と公訴人に善を勧める手紙を書き、それを写真付きメールにして送りました。
しかし、その日の夜、私は次のような夢を見ました。私は2匹の犬を飼い、1匹は白い老犬で、もう1匹は乳白色の中型犬で、2匹ともとてもきれいな犬でした。老犬はオスで、中型犬はメスで、2匹の犬は隣り合って私のそばで座っていました。不意に、老犬が家の中で糞便をしたことに気づき、老犬にしてはいけないと懲らしめると、老犬はわかり、私は糞便を外へ投げ捨てました。私が戻って来ると、今度は中型犬が粗相をしているのに気付き、しかも大きな糞便でした。私は頭に来たので、中型犬を手で叩き、「さっき悪さをしてはいけないと言ったばかりなのに、どうしてわからないんだ」としかりました。中型犬は自分の糞便を見て、それがよくないことだとはわかったようですが、悔しそうに2回グニュグニュと声を上げ、その意味するところは、中型犬はさっき私が言ったことを聞いていなかった、ということでした。
目が覚めた後、夢の中での中型犬の悔しそうな様子を思い出しました。そして、それが何を意味しているのかをよく考えてみると、何と、うっかりして公訴人には写真付きメールを送っていませんでした。そこで、私は特別に公訴人宛てに善を勧める手紙を誠意をもって書きました。それを写真付きメールにして公訴人宛てに発信しました。私は正念を以って公訴人のわかっている一面に向けて、自分自身のために素晴らしい未来を選択できるように加持しました。
これまでのところ、Bさんの案件の結果はまだ未知数ですが、自分ができることを、全力を尽くして行えば、心は平然としていられるはずです。
衆生を救い済度する道は順調にいくとは限らず、時には試練や妨害があるものです。大法弟子は困ったことがあっても、避けて通ろうとしてはならず、さらには、これはあなたの分、あれは私の分などと、やるべきことを分割してはならず、自分がやるべきではないことなど、いったいどこにあるというのでしょうか。このことだけに限らず、さらに重要なことは自分の誓約を実行することです。もし歴史上において師父と約束を交わし、それを実行しなかったならば、それはどれほど大きな問題となるのでしょうか!
師父は「もし大法弟子であれば、あなたの誓約はどれだけ実現されなかったのでしょうか? 誓約が実現されなかったことはただの一つの側面ですが、あなたが行なわなかった、またはしっかり行なわなかったために引き起こしたすべての結果に対して、大小に関わらず、いずれも責任を負わなければなりません。あなたの行なったすべての事によって大法にもたらした恥辱と主に対する欺きに対して、責任を背負わなくてもよいのでしょうか? このことは以前話したことがなく、私はこれらのことを言いたくはなかったのですが、皆さんは本当に目覚めなければなりません」 [1] と説かれました。
衆生を救い済度することは最も重要で、最も差し迫っており、さらにそれは大法弟子が持つ共同の本分と責任ですから、人を救うことは必ず行わなければならず、さらに心を尽くしてしっかり行わなければならず、そうすれば自らの生命に悔いを残すことにはならないでしょう。
注:
[1] 李洪志師父の経文:『各地での説法九』「新唐人テレビ討論会での説法」
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)