文/中国の大法弟子 若水
【明慧日本2016年1月25日】
慈悲深い師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
早いもので、またたく間に今年も法会の時期がやって来て、とてもうれしく思っています! 今年の法会こそ、決して機会を逸してはいけないと心に決めていました。怠ける心と困難にひるんでしまう心を克服し、自分の文章が明慧ネットに載るかどうかということに執着せず、数年来の自分の修煉上の体得と実感したことをまじめに書きます。文章を書く上で最も重要なことは自分の不足と隔たりを見つけ出すことですので、師父にご報告するとともに、同修と共に励まし合いたいと思います。
修煉を始めてから現在まで、すでに20年近くなります。修煉を始めた時から非常に好調で「根基が良く、悟性が高い」と同修は認めていましたが、ここ3年の間に繰り返しひどい迫害に遭い、その中で師父のご慈悲を実感しました。迫害に反対しながら生死を放下し、世間の全ての執着を放棄し、全力で衆生を救い済度し、今日に至りました。困難の中で大法修煉のたとえようもない偉大さと素晴らしさと喜びを実感しました。
警官を救う
3年前、警官を追いかけたために、私は地元の警察署に不当に連行されました。不当に連行される前、ある程度の心構えはできていましたが、大法に対する中国共産党の迫害の残酷さと非理性的な拷問に対しての認識が不足していました。不当に連行される前に、すんなりとその場を離れるチャンスが3回あったのですが、あえてその場を離れませんでした。離れなければ不当に連行されることはわかっていましたが、その場に留まることによって、自分のため、大法のために正義を貫く必要があったからでした。結果、家を家宅捜査され、警官は大量の真相資料と設備、さらに多くの現金を奪って行き、私には修煉し法を実証するための大きな困難が残されたのでした。
私は鉄の檻に不当に拘禁され、後ろ手に手錠、足には足枷をかけられました。警官たちは「反抗してみろ」と言いました。警察署に第一歩を踏み入れた時「誰であろうと私の指1本でさえ動かすことは許されない!」という念が頭に入ってきました。私は警官たちを救うために来たのであり、急いで帰る必要はなく、誰であろうと私を閉じ込めることはできませんでした。いつも正念を発して悪を取り除きました。たとえ警官たちが近くにいなくても正念は警官たちに届くので、発正念をしているのを見つからないようにしていましたが、今はその必要はなく、正々堂々と警官のそばで正念を発し、警官を操っていた邪悪な要素をきれいに清めました。
鉄の檻の上には監視カメラと録音設備があり、それらはすべて私に向けられていました。それでもまったく恐れる心はなく「これでいいんだわ。ここで私が真相を伝えれば、すべての警官が上のカメラで私を見て、私の声を聴いているのだから」と思いました。
数時間後、2~3人の警官たちが一緒にやって来ました。最初は尋問し、次に説得し、最後にはなだめはじめました。警官たちは「あなたの家を家宅捜査したらいろいろなものが出てきた、あなたはお金を持っている。ただし法輪功を学ばなければだ。法輪功を学ばなければ素晴らしい日々を過ごすことができるぞ。お金があればやりたいことは何でもできる。どこへでも遊びに行けるんだ。法輪功なんか学んで何をするつもりだ」と言いました。
警官たちが来たのには二つの目的があったことを私は知っていました。一つは、背後にいる旧勢力が警官たちを利用して私を試して、名利や生死と世間の全てを私が放下できるかどうかを見に来たのです。もう一つは、真相を探し、真相を聞きに来たのでした。私の心ははっきりとしていました。私は李洪志師父の真の大法弟子です。世間の全てを放棄し偉大な神に向かって歩んでいます。旧勢力の全ての按排を認めず、旧勢力には私を試す資格などありません。なぜなら私が歩んでいるのは師父が按排された道であり、本当の大法弟子としてしっかり行わなければならないからです。
私は警官たちがどんな態度をとろうが、何をしに来ようが気にしませんでした。警官たちは今日も来ましたが、私は衆生を救い済度しなければならなかったのです。警官たちは「あなたは弁が立つ」と言っていました。そこで、自分のあらゆる能力を発揮し、背後にあるすべての妨害要素を取り除き、全力で警官たちに真相をわからせようと思いました。
そこで、法輪功は「真・善・忍」を修煉することから話し始め、大法は病気治療と健康保持に不思議な効き目があること、私自身は修煉した時間は長くないけれども、多くの深刻な病気がいつの間にかなくなり体が強く健康になったことを話しました。そして、白血病やがんなど多くの不治の病にかかった人もすべて良くなったこと、深刻な特発性血小板減少性紫斑病や再生不良性貧血などの不治性出血性疾病が治療しなくても自然に良くなった人の話をしました。さらに、極度の猫背がまっすぐ背を伸ばして立てるようになった人もおり、大法の修煉が病気治療と健康保持に不思議な効き目があることは公認の事実であることを話しました。
これらの話を警官たちはすべて認めました。
そして、警官たちに「法輪功は佛法修煉です」と伝え、さらに「『因果応報』は天の理です。すでに『天が中国共産党を滅ぼす』時間が到達しましたが、三退すれば命が助かり平安が保たれます。薄煕来や王立軍を見れば、因果応報が絶対的なものだとわかるはずです。彼らは、法輪功を迫害している江沢民政策の具体的な執行者です。今は鎖につながれて投獄されています」と伝えました。
「あなたたちは自分で自分をよく見て考えてみればわかると思いますが、彼らの実力はあなたたちとは比べものにならないぐらい強かったですよね。 薄煕来は後ろ盾が必要になれば用意できました。権力が必要になれば権力を持てました。金が必要であれば金を用意できました。しかし今は無期懲役の判決を受け、秦城刑務所に拘禁されています。 王立軍はあなたたち公安局のいわゆる模範で、そのやり方は残酷でした。しかし、薄煕来の口封じを恐れ、やむを得ずアメリカ領事館に保護を求めました。もしあなたたちが天に背く悪事を働けば、他人のために身代わりになるという悲惨な役柄に成り果て、一生浮かぶ瀬がなくなります。そうなったら家族やお子さんはどうなるのですか」
私が話し終わると、その場にいた3人、つまり2人の保安員と1人の警官は私から仮名を受けすぐに三退しました。
次の日、私に後ろ手に手錠をかけた警官(以下・警官A)が上から下りて来ました。昨日のような凶悪で残忍そうな様子はなく、まるで若いお嫁さんのような様子でした。しかも態度がとても不自然で、そして、私の前に来て「私はそのう、昨日あなたに手錠をかけたのは、あの・・・」と言いました。
最初、私はきょとんとしましたが「きっと上にある監視装置で、私が話した真相を聞いて、自分の命が助かるかもしれないことを理解したに違いない」と思うと、思わず笑ってしまい「あなたは自分がどれだけ危険な境地にいるのかわかりますか。あなたは最も危険な状態にあります。あなたは部隊から公安へ移って来たのではありませんか」と言いました。真相を理解した保安員によって、すでに私は鉄の檻、手錠、足かせから解放されていました。警官Aは鉄の檻から出て来るよう私に合図しました。というのも、私が鉄の檻の中で話した真相を、上にいた人はみな、監視装置を通じて聞き、見ることができたからでした。私は鉄の檻から出てソファーに座りました。警官Aは「内モンゴルの部隊からこの警察署へ移って来てちょうど1年です」と言いました。私は「それならあなたは党員ですよね。私も部隊を退職したのですが、あなたと私がここで出会ったのは、縁があるからですよ。そういうことなら、あなたのために仮名を与えますので、共産党を脱退してください」と言いました。警官Aはうなずいて同意しました。
私はなぜ迫害を受けるのか?
夜が更けて人が寝静まると、まず正念を発して邪悪を取り除き、それから注意深く内に向けて探しました。師父は「弟子正念足りれば 師は回天の力あり」[1]と説かれました。師父はさらに「静かに思う幾多の執着の事を 人心を片付けば悪は自ら敗る」[2]と説かれました。私は「大法弟子が迫害を受けた時、その大きな原因は修煉における自分の存在が十分でないために、旧勢力がしっぽをつかんで離さないためだ」ということを、悟りました。重大な瀬戸際に正念を確固とし、恐れる心を失くしさえすれば、師父のご加護の下、邪悪を打破することができ、迫害は姿を消すのです。上に挙げた2つの師父のお言葉は、反迫害のために存在する大法弟子のための神通力のある宝物です。その師父のお言葉を実行すれば、中国共産党は必ず負けるはずです。
老虎凳(訳注:刑具の一種で、細長い腰掛けの一端に両足を伸ばして座らせ膝を縄で固く縛りつけてからかかとの下にれんがを挿し込む。れんがを増やして高くするほど苦痛が大きくなる)に座りながら、修煉でいったいどこに問題が存在したのか、と思考しました。普段から多くの事が起きているのは知っていましたが、それをすべて取り除くことはできませんでした。たとえば、嫉妬心、顕示心、歓喜心、情などなどが習慣となってしまい、自分に厳しく要求していませんでした。一思一念でそれらの執着心をつかみ、修煉して取り除かなければならなかったのです。深刻だったのは、ほめられたいと思う心、人にあれこれ言われたくない心、内に向けて探さずに修煉すること、もっぱら他人の不足ばかりを見ること、などでした。これらの問題は他の人の場合はそれほど深刻ではありませんが、私の場合は特に顕著に現れていました。根本的な原因は「自分は他人より法に対する理解が深く、悟性が高いと思い込んでおり、さらに他人よりも次元が高いと思っており、悟性が低い人を助ける責任があると思っており、他人に対して責任があると思っていたため、自分を修煉せず、いつも他人を修煉していた」ということでした。現在はそれが改善してきたので、旧勢力が私を妨害する方法を考えようと思い、その結果、私は迫害を受けたのでした。
もう一つの原因は、ここ最近、発正念に気を配っておらず、もともとは毎晩4回、地元の中国共産党に対してしっかり正念を発していました。今ではすでに長い間、正念を発しておらず、さらに毎日4回の全世界の大法弟子が正念を発する時間にも続けられず、つねに発正念の立ち遅れが目立つようになっていました。意念を集中できず、自分ではこれらの問題の存在を知っていましたが、重視していなかったのでした。発正念は、師父が私たちにしっかりやるようにと啓示された三つのことの内の一つです。私が師父の教え通りに行わなかったので、これが、旧勢力によって迫害された理由でした。こうして、迫害を受けた主要な原因が導き出されました。
当時は見つけられませんでしたが、さらに隠れた執着心を見つけ出しました。それは自分の中に存在する変異した思想と観念で、射幸心すなわち幸運を願う心でした。もともとは警官を追っていました。警官を追うのであれば迫害を防止しなければならず、その準備をしてから行うべきだったのです。私の家はちょうどいい大きさの資料拠点で、さまざまな機械があり、いつでも使えるたくさんの現金があり、また、5人の学法グループの学法点にもなっていました。射幸心があったために、あらかじめ家の中の設備と資料をうまく片付けず、また同修とも協調せず、そのため、中国共産党によって家宅捜査された時、大法の資料と物資に大きな損害を受けてしまったのでした。その後、中国共産党と面した時、同修を保護する方法を考えたいと思いました。すべての責任を自分で握りました。そのため、中国共産党が理由もなくその他の同修を探し始めました。自分の射幸心が作り出した損失は償えず、これは自分に対して、同修に対して、大法に対して責任を負っていなかったという、深刻な問題だったのです。
それ以外に、優越感と他人を軽蔑する心、同修の欠点と執着心を見ようとすること、などがありました。それは「善意や慈悲からきており、やり方も穏やかで、同修のため、同修に考慮し、同修の受け入れ能力に合わせてゆっくり話すのではなく、嵐のように激しく直接指摘し、いつも自分が道理的だ」と思っていました。修煉することを主とし、真実を話すには遠回しに話してはならず、さらに「真理とは誠意を以って指摘しなければならないので、口は悪いが気はやさしい」のであり、その言い訳は「同修のため」だったのです。しかし、実際には私の想定とは反対の作用が起こり、同修は私を受け入れられなくなったのです。これは明らかに修煉から出た慈悲心の表れではなく、自分を考慮し他人を考慮しないという極端に利己的な行動だったのです。
師父のご配慮
内に向けて探し正念を高密度に発し続けるにつれて、周囲の環境に大きな変化が生じました。警察署の警官の態度が明らかに良い方向に変わり、手錠と足枷はなくなりました。夜間宿直の警官は自分の布団を私に使わせてくれ、その警官自身はコートをはおって戸口のベンチで横になっていました。
私は「師父が私を保護してくださっているのだ」とわかりました。
朦朧としている中でピンク色の厚くて大きい壁が目に入りました。突然下の方からひびが入り、厚くて小さい門が開き、そこから外に出ると、アスファルトの道がありました。道の真ん中にびっしりと埋まっていたのはハエのようなロボットで、2枚の羽根で着地すると、道の上に立ち上がりました。私はすぐに正念を発してそのハエロボットを取り除きました。しかし、ハエロボットはどんどん多くなり、道の上から空まで全部ハエロボットで、一群また一群と増えて行きました。私は長い間正念を発してこの邪悪要素を除去していきましたが、除去しきれず、ハエロボットは天地を覆い隠すかのような勢いでした。私は同修が懐かしくなってきました。もし私が獄中にいることをみんなが知っていれば、きっと正念を発して私を助け、この邪悪はきれいに片づけられることでしょう。私は疲れを感じましたが、気持ちを緩めるつもりはなく、引き続き正念を発し続けました。道は前方に伸びており、前方に行くにしたがって邪悪は少なっていました。前に向かって歩いて行くと、邪悪は消失しました。その道は果てしなく、休まず前に進み「これは師父が私を救ってくださる道だ」と思いました。この道は邪悪が多く果てしなく続いていたので、私は正念を使って走り出しました。
さらに前に進むと、アスファルトの道は消え、続いて狭い土の道になりました。さらに進んでいくと、この道の果てに花が満開の大木があり、木は高くはありませんでしたが、樹冠(訳注:葉の茂っている部分)は広く、肌色の桃の花が満開でした。「これは桃の木に違いない」
ここで目が覚め、「師父が私を救出する道は好調というわけにはいかず、旧勢力がこの道で按排した多くの邪悪が待っていますが、最終的に結果は非常に良いものだ」ということを知りました。心の中で師父に感謝を申し上げ、少しも怠けたり気を抜いたりできないと自分を励ましました。旧勢力のすべての妨害と迫害を必ず否定し取り除き、道の前方にあるすべての邪悪を取り除かなければなりませんでした。
いわゆる「強制逮捕」を否定する
続いて、私の案件が「重大犯罪事件」であると警官たちが話していたのをなんとなく知りました。警察署では48時間まで拘禁でき(法律の規定によれば、警察署は24時間を超えて拘禁できない。しかし、実際には警察署は私を50時間以上拘禁していた)、その目的は、私を留置場に送り1カ月間の強制逮捕を行い、その後、検察院と裁判所を通じて私への迫害をひどくしよう、というものでした。
次の日、健康診断が行われました。問題があれば再検査になります。結果、初日には正常に近かった血圧が2日目は200以上に上がりました。警官たちは私を留置場へ引っ張って行きましたが、血圧は依然高いままでした。
留置場の廊下に座っていると、あのハエロボットが隊列を組んで私を待っているのが目に入ったので、すぐに正念を発してハエロボットを払いのけました。そこが夢に見たあの極端に狭い廊下であることに気づきました。なんと、目の前に6人の警官が立っていて、怒ったように私を見ていました。私は正念を発し続け、ここで真相を伝えるべきかどうかを考えました。この6人の警官たちは、私が救い済度すべき人たちなのでしょうか? 警官たちの良くない心が透けて見えるようで、私は少し心配になりました。これは旧勢力が按排した試練である、と感じました。私は「生死を放下し、すべての懸念を放下し、思い切ってやってみよう。今日どんな結末が待っていようと、私は警官たちに真相を聞かせなければならない」と決心しました。
そこで、その場に座り、「天安門焼身自殺」の真相、「天が中国共産党を滅ぼす」ことの真相、「因果応報」の真相など、大法修煉の真相を、警官たちに面と向かって平然と伝えました。
私を留置場へ送った警官の一人に劉という姓の警官がおり、若い警官で、警察署内では、私のこの案件の責任者でした。身体検査をした後、医者は私に「検査結果は不合格なので、リーダーと相談する」と言いました。ちょうどこの時、別の空間では正邪の大戦が行われていることを私は知っていました。注力して正念を発してそのいわゆる「リーダー」の背後にいる邪悪要素を取り除かなければならず、リーダーが私に対して留置場への受け入れ拒否を決定するよう、師父に支援をお願いしました。そして、留置場のリーダーは受け入れ拒否を決定しました。
劉という警官は諦めず、こそこそと私の後ろで電話をかけていました。どこに電話していたかというと、警察署や公安局の分局などで、他の方面を通じて影響を加えることによって、私をどこかに閉じ込めたがっていました。私は6人の警官の目の前にいたのですが、私は劉という警官に向かって「医者はすでに私の身体検査を終え、検査結果は明確に不合格だと言い、彼はリーダーに指示を仰ぎ、彼のリーダーは受け入れ拒否を決定しました。それなのに、あなたはなぜ小細工をしているのですか?今日もし私が不当に拘禁されたら、あなたが私に与えるこの難はいずれあなたのところに戻って来ることになります。あなたに教えましょう。因果応報は天の理で、生きている限り私は出て来てあなたを探し、役所に抗議し、説明を求めに行きます」と言いました。
私がこのように言うと、医者は非常に緊張した様子で「今回の私の件は彼とはまったく関係がなく、これはリーダーの決定で、彼はリーダーに指示を仰いだだけです」と言いました。私は「あなたが自分の責任をあなたの上司に押し付けようとしているのなら、それは間違っています。上司に指示を仰いだ結果、どんな指示を受けたのですか? もしそこにあなたの態度と意見が含まれているなら、それはあなた自身が未来を選択したことになります。もしあなたが大法弟子を助けるのなら、あなたは自分のために素晴らしい未来を選択したことになります。もしあなたが大法弟子に危害を加えるつもりなら、あなたは必ず悪の報いを受けるでしょう。そして、この報いは必ずあなたの所に戻って来るでしょう」と言いました。劉という警官はすぐに生真面目な態度になって私のそばに座ると、あちこちに電話をかけて画策することはしなくなりました。
それから半日以上待ち、廊下には誰もいなくなりました。食事をした後、2人の警官がやって来たのですが、その中の1人は本当に恐ろしいと感じました。背は高くなく、大きくて太った体で、見たところ、腕が普通の人の胴体ぐらいの太さでした。体の幅は3人分ぐらいあり、私は今までこんなに恐ろしい人間を見たことがありませんでした。私は心配が恐怖に変わり、この男が労働教養院(訳注:犯罪を犯した青年のための更生施設)が飼いならした用心棒だとわかりました。もしこの男が人を殴ったらだれも抵抗できないように思われました。
自分の恐怖心を抑え、機会を逃すまいと決心し、悪を取り除くと同時にこの男に真相を伝えました。男は「後で劉胡蘭さんが来る」と言いました。私は男の言葉を無視して真相を伝え続けました。すると知らせが届き「彼女を家に帰す」という上層部からの通知でした。
警察署の医者は私に健康診断書にサインさせようとしました。健康診断書を見てみると下に「拘禁者のサイン」と書かれていたので私は拒絶しました。なぜなら私は「拘禁者」ではなかったからです。医者は私にサインするようしきりに哀願し「サインがなければ健康診断書は不合格となります。なぜなら今の検査は非常に厳しいからです」などなどと言いました。私を送って来た警官が医者に「彼女にサインさせなくてもいい。今まで彼女はサインをしたことがない」と言いました。私は心の中で可笑しくなりました。なぜなら、大法弟子が本当に法の教え通りに行えば、何でも成し遂げることができ、たとえ自分では何も言わなくても、警官は敬服するようになる、ということを知っていたからでした。
師父は「しかし、いずれにせよ、師父は旧勢力を認めていません。皆さんも認めないでください。正々堂々と良く行い、それらを否定し、正念を十分にするようにしてください。私は李洪志の弟子であり、他の按排は要らない、認めないと思えば、それらは恐れ怯えて手を下すことはできず、何でも解決することができます。あなたが本当にこれをやり遂げることができれば、口先で言うだけではなく、行動においてこれをやり遂げることが出来れば、師父は必ずあなたを支持します」[3]と説かれました。
そして最終的に、私は師父が按排なさった道を歩んでいきます。
警察署でのすばらしい一幕
夜の仕事が終わる前に、すべての警官が警察署に戻って来て、20数人の警官が1階の大会議室に集まっておしゃべりしていました。人が多すぎて全員は座れず、何人かは立っていました。私はロビーに立って、壁にかかっているすべての警官の写真を見ていましたが、写真には各々の名前が書かれた大きな表証版がついており、個人情報が詳しく紹介されていました。そして、ここ数日で私と接触した警官の名前を注意深く探しました。
すると、あの劉という警官がやって来ました。事務所は人でいっぱいで入れなかったので、劉という警官は入り口に立っていました。私は振り向くと、劉という警官に「あなたの名字は劉、劉xxというんですね」と聞きました。するとなぜか、事務室の至る所でどよめくような笑い声が起きました。劉という警官は顔を紅潮させて「私の名前を知ってどうしようというんだ?」と言いました。私が返事をする前に、1人の警官が大声で「明慧ネットに載せるんだよ。悪人の一覧表に載せるんだ」と言いました。事務所内の笑い声はさらに爆笑に変わり、別の警官が同調して「そうだ、明慧ネットに載せるんだ! 悪人の一覧表に載せるんだ!」と叫びました。多くの警官が同調して「そうだ、悪人の一覧表に載せるんだ!」と言いました。そして、みんな大笑いしました。
劉という警官は苦しい立場に追い込まれ、顔が赤くなったり青くなったりしていました。最初に大声で叫んだ警官を指さして「おまえもだろう」と言いました。その警官は自信を持って「私は悪いことはしていない。彼女が餃子を食べる時に箸がなかったので、箸を持ってきてあげただけだ」と言いました。そして、私の方へ振り向いて「そうでしょう?」と聞きました。私が笑いながらうなずくと、その警官は重ねて「私は彼女に箸を持ってきてあげただけで、あんたたちの捜査班じゃないから、私は悪いことはしていない」と言いました。その警官が「おまえを悪人の一覧表に載せるんだ」と何度もそう言うと、みんなも劉という警官のことを何度も嘲笑しました。
警察署内の邪悪が除去された後は、警官も救い済度されることを待っている衆生であり、警官たちは邪悪を抑制し、自分たちの未来を選択したことを私は理解しました。その後、何度か不当に連行されましたが、中国共産党がいわゆる若い後継者として養成した劉という警官に出会ったことはなく、おそらく劉という警官は二度と大法弟子を迫害することをしたいとは思わなくなったのでしょう。道を踏み違えた劉という警官がまともな道に立ち返ったならば、再び中国共産党に利用され、大法に対して悪いことをしてはならず、自分のために罪滅ぼしをして、すばらしい未来を選択しなければなりません。
私は家に帰りました。しかし、中国共産党は諦めていませんでした。警察署の隊長は私の息子と会い話をしました。私を息子の家に住まわせ、いつも連れだって私から寸刻も離れないように息子に要求しました。私が自由に行動しないようにしようとしました。そして、毎週1回、私を連れて警察署に報告するように要求しました。これは大法弟子が行わなければならない事、つまり、思想上、行動上から中国共産党をきっぱりと否定しなければならない、ということでした。この迫害を決して認めず、中国共産党を恐れてはならない、と息子に教えました。
次の日の早朝、子供たちはまだ寝ており、私は一人で朝市へ出かけました。7時半ごろ、私が大通りの交差点に立っていると、ちょうどパトロール中のパトカーがやって来ました。私との距離は20メートルもなく、パトカーの中の2人の警官が体をこちらへ向けて私のことを見ていました。私は師父のお言葉を思い出したので、その場に立って警官たちの目を直視しました。まったく怖いと思わず、すると、警官たちは車を運転して離れて行ってしまいました。それ以後、警官たちは私に毎週の報告をさせることはなく、息子に私を見張らせることもなくなりました。そこで、私は自分の家に帰りました。
1週間後、公安局の分局から警察署へ転勤してきた1人の警官が、なぜかわかりませんが「私の案件を新たに審理しなければならない」と言い出し、警察が私を探しに来ました。その日の情況はまるでドラマのようでした。
新しく来た警官と2人の女性保安員が私を審理しました。私は警官たちに「私の案件はすでに終わっており、何も言うことはありませんが、状況を理解したいのであれば、記録を見てビデオを見ればわかると思います。それと、大法に対して悪いことをしてはいけません」と伝えました。私の話が終わると、新しく来た警官は私に質問し始め、自分で記録し始めました。警官は6つの質問をしました。みんな似たような質問で「あなたの名前は?」とか、「どこに住んでいますか?」などの一般的な質問でした。私は「法輪大法は素晴らしい」と6回答えました。それから、警官は「もともとはもっとたくさんの質問を準備してきたのだが」と言いました。私が「法輪大法は素晴らしい」と答えたことが警官の思考をこんがらがらせ、そのため、何も思い出せなくなり、警官は質問するのを止めました。その後、警官の記録を見てみると「法輪大法は素晴らしい」と6回書いてありました。警官がなぜどう考えても思い出せなかったのかというと、大法が警官の頭の中の邪悪思想を除去したので、警官は何を話していいかわからなくなってしまったのでした。
修煉は本当に素晴らしい!
家に帰ると、非常に学法をしたくなりました。そこで、しっかり学法し、自分の一思一念を正し、歓喜心や顕示心、自分自身を証明しようとする心が二度と生まれないようにしました。それはすべて師父の慈悲と按排によるものでした。数日後、師父は夢の中で私を諭されました。私は夢の中で二つの階段を上っており、それぞれの階段にそれぞれ四つの段があり、二つの階段の間に踊り場がありました。その踊り場はカーブしていて、階段の一つ一つの段はとても高く、師父が私に悟らせている内容には本質的な内容が含まれていることを理解しました。その次の日、夢の中で大きな市場の中にものすごく高いエスカレーターがありました。私がエスカレータに乗って上に上がって行くと、まあ、何と高いのでしょう。さらにその次の日、虹のような半円形の梯子が空にかかっており、夢の中で「どうやって上がって行けばいいんでしょう? どんなに頑張っても登れそうもないですね。法輪が私を上へあがらせてくれないかしら」と思いました。そう考えると、「フワッ」と私は半円形の梯子のてっぺんの橋の上まで上がり、その後、法輪は私を遠くまで引っ張って行きました。
その時の心情は本当に表現する方法がありません。とにかくその時は、不当に拘禁され迫害された時の苦しみを忘れ、その苦しみは非常に遠いことのように感じられました。修煉の殊勝さと、執着を取り去り向上した後の何物にも比べようのない喜びだけをただ感じていました。
修煉は本当に素晴らしい!師父の慈悲深い済度に感謝いたします!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」
[2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「哀しむ別れ」
[3] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2015/11/10/153611.html)