文/中国の大法弟子
【明慧日本2016年1月22日】私は今年72歳で、迫害が始まる前、大法を修煉しましたが、着実に修煉できず、迫害が始まってからやめてしまいました。2004年、同修の助けの下で、再び修煉を始めました。
絶えず法を学ぶことによって、大法の素晴らしさを認識し、着実に修煉するようになりました。これから、正念を持って、迫害先から3回も釈放された体験を、皆さんと分かち合いたいと思います。
息子は外地で仕事をしており、私は息子に会いにその町へ行きました。そこの大法弟子はとても少人数で、法輪功への迫害の真相を知る人がほとんどいませんでした。そこの衆生を救うため、私は暫くの間、当地にとどまることにしました。そして迫害の真相を伝えている時、デパートでそこのマネージャーに通報され、警察署に連行されました。
警察署で、名前と住所を聞かれ、家族に迎えに来てもらうから、連絡先を教えるように言われ、口実をつけて息子の連絡先を聞き出そうとしました。私は学校に通ったことがありませんが、大法が与えてくださった智慧がありますので、彼らの嘘をすぐ見破りました。それに、私は師父が法を正すことを手伝いに来た大法弟子ですので、警官らに迫害する資格はありません。大法の素晴らしさと、江沢民がなぜ法輪功を迫害するのか? その迫害の真相を伝える以外、何も答えず、20時間後、私は釈放され、師父が説かれた「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1]を実体験しました。
その数カ月後、息子と一緒に神韻のDVDを配りに行った時、息子が連行され、町中の警官は私を連行するため、動いていました。その中、私は無事に家に帰ることができました。しかし、家の鍵は息子が持っていたため、団地の管理人にカギを開けてもらうことにしました。ずっと田舎で生活していたため、町のことをよく知らず、安全意識もありませんでした。管理人に身分証明書の提出を要求され、見せてしまいました。それから、カギを開けてもらい、部屋に入って寝ましたが、暫くすると、ドアをノックされ、十数人の警官がやってきました。家宅捜査した後、私を警察署に連行しました。
警察署で、個人情報を聞かれ、私は何も答えず、師父が必ず助けてくださると信じていました。警官は私のベルトを外して、ベルトで私のお尻を強く打ちました。夏でしたので、ズボン一枚しか履いていませんでしたが、2人の警官が汗をかくほど強く打ちましたが、少しも痛くありませんでした。なぜなのか、分かりませんでしたが、ふと師父が肩代わりされたと分かり、辛くて涙がこぼれました。
それから、警官は国保大隊と610弁公室に受け取るようにと連絡しましたが、どっちも受け入れませんでした。また私を刑務所に送って、入所のため体の検査をしたところ、心臓病やメニエール症候群などの病気が見つかり、命が危ないと診断され、入所を拒否され、警官らは再び私を警察署に連れ戻しました。警官らは息子の家から押収してきた、法輪功の迫害の真相資料と神韻DVDを出して、私に神韻DVDを持たせて、写真を撮ろうしました。これは法を実証するチャンスと思って、喜んで撮らせました。終わった後、所長は「このくらいの証拠があれば、十分10年の判決を下せる。もう帰っていいよ」と言いました。警察署の正門を出て、師父に感謝する気持ちでいっぱいでした。師父の慈悲なる済度に感謝いたします。
その後、私は迫害の真相を手紙に書いて、100部コピーした後、封筒に入れて、30部を持って、警察署へ配りに行きました。一階で配り終わった後、取りに帰って、また警察署に戻って、2階で配りました。時間が長かったため、警官に警戒され、連行され、610弁公室へ送られました。
610弁公室の幹部が数人の手先を率いて、居丈高な態度を示しました。私は少しも恐れず、大法の素晴らしさを伝える以外、尋問に対して何も答えませんでした。そして、私のポケット内を調べようとするので、「下がりなさい。全員あっちへ行きなさい。私の物に誰も触るな!」と叱りつけると、警官らは本当に私から1メートル以上離れました。警官らが私のお金を欲しがっているので、すべてのお金を出して見せながら、「これは私のお金で、あなた方にあげません」と強く言いました。
ふと息子に知らせなければと思い出し、電話をかけました。警官らの前で正々堂々と、自分が連行されたことを教え、同修たちに連絡して、明慧ネットで暴露し、私を助けてほしいと頼みました。息子は電話の向こうで、610弁公室の幹部たちの行いに対し、大声で非難しました。それから、610弁公室の人たちは私を店に連れて行き、食事をしました。私は逃げようともしませんでした。何も悪いことをしていないので、犯人のように逃亡してはならない。必ず正々堂々と家に帰ろうと思いました。
食事の後、610弁公室の幹部は私を部屋に閉じ込め、判決を下してやると言って、ひどい言葉で私を中傷しました。私が「あなたたちに私を迫害する資格はない、今日中に帰ります」と言うと、610弁公室の幹部は「お前には決定権はない」と言うので、「私の師父にはあります」と答えました。最後に、610弁公室の幹部とその手先が、あれこれと相談した後、私を釈放することにしました。「われわれはお前に同情し、釈放することを決断した」と、610弁公室の幹部が言いましたが、私は何も答えず、ただ、ニコッと笑って、立ち去っていきました。
数年来、私は毎朝『洪吟』を暗記して、午前に『轉法輪』を1講から2講、拝読して、5つの功法を休まず煉っています。午後は、自転車に乗って町のあっちこっちへ、迫害の真相を伝えに行っています。数年間の三退の人数を合わせると、1万人に上ります。
真相を伝える中で、私を通報したり、脅かしたり、嫌がらせを言ったりする人にも遭遇しますが、私は師父の教えをしっかり肝に銘じて、執着を修めるいい機会だと見なしています。時に病業が現れてきますが、歩くことさえできれば、休まず迫害の真相を伝えに行っています。そのうちに、体が自然と治ります。
私の体験では、師父が法を正されることを手伝う道が、すでに按配されているということです。肝心な時、強い正念を持ち、師父と大法さえ思い出せれば、必ず、必ず難を乗り越えることができます。これが、強い正念で迫害先から3回も釈放された私の体験です。
師父に深く感謝いたします!同修の皆さんにも、感謝します!
注:
[1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」