協調をする中で自分を修める(2)
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 【明慧日本2016年1月28日】

 学法大法の仕事を行う基礎である

 神韻が終わってから一時、同修たちはまたばらばらになり、それぞれ自分のことで忙しくして、時には、グループ学法と煉功に参加するのは私ともう一人の年配同修だけになりました。しかし私たちは諦めず、何人が来るかにも関わらず、週一回のグループ学法と煉功をずっと続けていました。だんだんと環境は変化し始めて、新しい修煉者も増えてきました。今、毎週の固定した学法は2回あり、日曜日のグループ学法と煉功にやって来る参加者は、10人ほどいます。

 師父が『二十年説法』でおっしゃった「以前は一部の大法弟子がまだ表に出ておらず、できるだけ彼らが表に出られるよう、待ってあげる必要がありました。この時間もますます少なくなりました。中国大陸から出てきた学習者に会うと、まだ表に出てきていない学習者が早く出てくるように働きかけ、また方向を見失った学習者に早く真相を伝えるようにと伝えています。そうしなければ、彼らに最も惨めな結末が待っています」を読んだ後、かつての同修をもう一度修煉に呼び戻そうと皆が思いました。協調人として、私はできるだけ、かつての同修の家近くに煉功点を設けて、あるいは彼らの家に行って学法します。他の同修にも参加を呼びかけました。だんだんと、かつての同修の修煉状態は、ずいぶん好転してきました。

 去年、私たちは現地のクリスマスパレートに参加しました。初めての参加で何も準備がされていなくて、地方の同修がこれを応援してくれて、花で飾りをつけた花車を30時間も運転して、ウィニペグ市まで持って来てくれました。我々はたいへん感動して、来年のパレートには、ぜひ自分たちで飾りつけた花車を使おうと決心しました。今、皆はすでに準備し始めて、私から呼びかけをしなくても、誰もが自発的に積極的に参加しています。同修の長所だけを見て、欠点を見ないことを、私ははっきりと自覚しました。協調人として、皆の長所を発見して、それを発揮させて、皆のために良い修煉環境を提供するのが私の役目です。同修の良くできていないところを、私は黙々と補えばいいのです。

 私とウィニペグ市の同修とも、法を正す最後の段階で、大法と自分の修煉に申し訳が立つように、衆生の期待に背かないように、自分に遺憾を残さないように頑張っていきたいと思います。

 皆様、ありがとうございました。

 (2012年カナダ修煉体験交流会の発表原稿)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/9/7/262479.html)
(English: http://en.minghui.org/html/articles/2012/10/14/135851.html)
 
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