大法を修煉して、幸せになった
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文/中国 山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年2月14日】私は1998年の夏から法輪功の修煉を始めました。修煉する前、私は気性が激しく、度量が小さく、自我が強く、損をしない人間で、負けることが嫌いで相手に負けると、かっとなって凶行に走ろうとしました。そのため、いろんな病気、頭痛や脳梗塞、胃痛、胆嚢炎、ひどい腰椎分离症、婦人科疾患などを患いました。30歳をすぎた私はガリガリで40キロぐらいしかありませんでした。体の痛みと精神的な苦しみで、生きる楽しみもなくなり、絶望に陥りました。

 そんなある日、体が再び辛くなり、村の病院へ行った時、お医者さんの奥さんに『轉法輪』を勧められました。読んでみると、小学校に3年しか通ったことのない私には、一部の内容をよく理解できませんでしたが、なんとなく、これは普通の本ではないと思いました。さらに読むと、一つ一つの字がピカピカ光り、 色とりどりで、動いているのが見えました。法輪と太極が回っているのも見えました。私はびっくりして、嬉しさのあまり、街へ出て「これは天に昇る本だ」と叫びたいほどでした。

 それから、私は別人のように変わり、心性も道徳も高まりました。次元の向上に伴い、すべての病気が治りました。私の生活はすっかり変わり、ニコニコするようになりました。毎日真面目に法を勉強し、できるだけ師父のおっしゃるとおりに修煉してきました。

 一度、大きな買い物した時、相手はお釣りを間違えて1380元多くくれました。全額を返すと、相手は感動しました。私は「私たちの師父は、如何なる時でも、如何なる状況下でも、よい人になるように教えてくださったのです」と言うと、相手は感動して、「すべての人が、もしみんな法輪功を学ぶあなたたちのようになれば、この社会はどんなにいいでしょう」と言いました。

 しかし、修煉する前の私はそうではありませんでした。家の事は何もかも私の言う通りにならないと気が済まないし、夫の給料を全額もらって、1円の小遣いもあげませんでした。それでも、私はまだ不満で、よく夫を叱ったり、罵ったりしたので、夫は私に抵抗することができませんでした。修煉してから、私は変わり、家の事や山の仕事を文句なくこなし、夫も小遣いを自由に使うようになりました。私が稼いだお金もたまにあげたりして、夫を罵らなくなりました。夫はかえって私を罵ったり、殴ったりするようになりました。この時、私は心性を守り、夫と言い争ったりしませんでした。近隣の人は、「法輪功を修煉してからあなたは変わったね、優しくなったし、他人を思いやるようになった」と言います。

 私は法を学ぶ量が少なく、悟性もよくありません。さらに村で私と交流する同修もいませんが、慈悲なる師父は、いつもお告げしてくださり、徳を得ることと失う時の真相を見せてくださいました。それは修煉してまた間もないころの事です。幼い甥の子が小鳥を持って遊んでいて、小鳥はずっと私に向かって鳴いていました。私は師父が説かれた殺生の法を思い出し、甥の子に「小鳥をくれたら、飴をあげる」と言うと、甥の子は小鳥をくれ、私は小鳥を放してやりました。その瞬間、キラキラするひと塊の白い物質「徳」が私の体に落ちてきたのが見えました。また一度小麦粉がなくなり、お隣から借りてきました。自分の家の小麦を製粉して持ち帰った時、とても白かったので、お隣に返すのはもったいない、家にある少し黒い小麦粉を返そうと思った瞬間、体から数個の塊の白い物質が飛んでいったのが見え、掴もうとしても掴むことができませんでした。大事な徳を失ってしまい、とても後悔しました。その日から、私は師父が説かれた法をしっかり肝に銘じ、自分の行動を法に照らし、「真・善・忍」に同化するようにしてきました。「日頃いつも慈悲の心を保ち、善をもって人に接し、何かをする時にはいつも他人のことを考え、問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません」、「親だろうと子供だろうと誰に対しても同じように、何事につけてまず人のことを優先に考えるならば、それはもはや私心ではなく、慈悲心によるもので、慈悲そのものです」[1]と「さらに皆さんに教えますと、実際には、皆さんの以前の本性は、自らのため、私のためを根本としたものだったのですが、今後、何かをするときには、まず他の人のことを配慮して無私無我で、なおかつ他人を先に、自分をあとにするという正覚にまで修め遂げなければならないのです」[2]

 私を済度し、私をよい人間に、真の修煉者に導いてくださった、慈悲なる偉大な師父に感謝いたします。これからも三つの事をよく行い、衆生を救い、師父と天国に帰れるように頑張っていきたいと思います。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/2/8/322839.html)
 
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