文/中国の大法弟子 粒真
【明慧日本2016年3月8日】地元にある70代の同修がいますが、1999年に迫害が始まってから、彼女は大法の修煉をやめてしまいました。もちろん、同修との接触もありませんでした。
学法を通して、私は「師父はすべての大法弟子を見捨てられない」と悟りました。その後、私は彼女に会いに行きました。彼女の心のしこりを見つけようと、大法の事についていろいろな話をしました。話の中で、彼女はまだ大法のことを認めていることが分かりました。それから、1年の間、私は根気よく彼女の家に、大法の真相資料と師父の説法を持って度々行きました。しかし、彼女は自ら資料を求めることはしませんし、同修の家で学法することもありませんでした。
彼女の修煉状態があまり変わっていないので、私は少し失望していました。ある日、師父の新しい説法が出ました。私は彼女の家に持っていくかどうか、悩んでいました。「自分は80代の人だ、彼女の家に行くとしたら、バスで往復2時間もかかる。しかも、こんなに暑くて、このような辛い日はいつ終わるのか?」と考えましたが、このとき、私は師父の説法を思い出しました。「行なうべきことを正常に行なえば良いのです」[1]そして、私はすぐ同修の家に駆けつけました。
彼女は私を見て、とても嬉しそうでした。「この数日間、なぜ来なかったのですか? 私は、あなたに電話を掛けようと思っていたところです」彼女はまるで別人みたいに、積極的でした。私は「これから、集団学法に参加しましょう。もうこのような機会は二度とあまりありません。法を正す進展が早く進んでいるので、国内でも、国外でも江沢民を告発しています」と言うと、彼女は「集団学法にすぐに参加します」と言ってくれました。
この事について、私は反省しました。もし、自分の人心にまけていれば、この1年間の努力はすべて台無しになり、師父が按排してくださった道も外れてしまっていたかもしれません。今、この同修は集団学法に積極的に参加し、精進しています。
注
[1]李洪志師父の経文 『各地での説法二』 「二〇〇三年カナダバンクーバー法会での説法」