家の所有権についてのトラブル
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文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年3月5日】

 心に深く棲みつく利益心

 夫と結婚してからしばらくの間は舅と姑と一緒に生活し、「後ほどこの家はあなたたちにあげる」と舅と姑は約束してくれました。しかし、それから時が経ち、私と夫は子供を連れて南の方へ引っ越しました。一昨年、東北地方で大幅な土地再建計画が実施されたため、ほとんどのマンションが建てなおされ、この家は二つのアパートに建て替えられました。本当は二つのアパートとも私と夫のもののはずでしたが、舅と姑はこれらを夫の伯父にあげてしまいました。

 昨年舅が亡くなり、私たち3人家族は一度東北(実家)に戻りました。舅と姑が約束を守らなかったことに私が激怒すると家族全員(私を除いて4人の兄弟と姉妹)が心配していましたが、「私は法輪大法の弟子です。師父の教えにより真・善・忍で自分自身の言動を常に要求しますから、不満に思ったりしません」と自分の本当の気持ちと大法の素晴らしさを皆に伝えました。特に夫の叔父が「法輪功修煉者でなければできないことだ」と言ってくれたのです。

 お葬式を終えてから私たちは自分たちの家に戻り、家を建てました。家族全員の戸籍がまだ東北にあるため、母の名前で建てようと相談した時、母もこれに賛成し、資産証明書には私と夫の名前で登録するよう提案してくれました。しかし、資産証明書を作ろうとしたとき、突然母は私が彼女のお金(2万元)をつかったと怒り出し、返すと言ってもいらないと言われ、そのかわり資産証明書には自分1人の名前を書くよう無理難題を言い出したのです。それから1カ月後、手に入った資産証明書は母の名前だけが書かれていました。これは親孝行だと母は言いましたが、私たち5人兄弟の中で私が一番母のために様々なことをしてきました。それにもかかわらず、母は私の態度が悪い、この家を売り払って老人ホームに住むと脅してきたのです。

 それから約1年半にもわたって母と利益による言い争いが始まりました。現代社会ではお金が一番大事で、すべてがお金に取り換えられてしまいました。大きな利益のために争い続けるのは本当に大変辛いことで、私はなぜこれほど多くのトラブルに遭うのかとずっと考えていました。

 師父はかつて「その過程に偶然なことは一つもありません。常人の中で偶然に見えても、常人の中において常人の形式として現れても、間違いなく彼らに按排されたのです」[注1]と説かれました。さらに、「もしこの事があなたと絶対に関係なく、あなたに取り除くべき心を持っていなければ、この事があなたの周囲に発生することはめったにありません。もしあなた がこの心を持っていなければ、トラブルを引き起こすことはありません。あなたの修煉に責任を負わなければなりません。周辺に起きるすべてのトラブルや、あなた達の間に現れたいざこざ、現れたすべてのことは恐らくあなたと関係があり、あなたに取り除くべきことがあるのです。この事があなたのせいであるか、また彼のせいであるかを問いません」[注2]とも説かれました。

 そして『洪吟三』の「誰が是誰が非」と「私は誰か」を暗唱している時、ふと師父の教えを思い出しました、「時に、それが自分のものだと思い、他の人もあなたのものだと言ってくれても、実際はあなたのものではない場合があります。あなたは自分のものだと思い込むかも知れませんが、最後になるとあなたのものでなくなります。その点から、そのことに対してあなたが無頓着でいられるかどうかを見ますが、無頓着でいられなければそれは執着心なので、この方法を用いて利益にこだわる心を取り除かなければならないのです。そういうことです。常人はこの理が悟れないので、利益をめぐって争ったり、闘ったりするわけです」[注3]

 私は泣きながら何度も師父の『真修』という経文を暗唱し、「あなたは真修弟子か」と自分に問いかけるたびに,「そうです! 私は真修弟子です!」ときっぱり答えます。これ以上常人と神の両方を掴むわけにはいきません。今度こそ輪廻転生を通じて骨の髄まで形成された観念を取り除かなければなりません。そうしなければ、本当に帰れなくなるので、必ずすべてを取り除こうと心に誓いました。

 ここまで思って、ふと自分はかつて彼らに借りを作ったことがあり、今は借金を返しているのだと悟りました。法を正す時期はもはや最後の最後になり、これ以上名誉や利益、情などに嵌っていられる時間はないのです。今すぐ飛び出なければなりません。常人社会にいても、心性はここにとらわれてはならないのです。

 すべてを悟り、執着心を取り除こうとしたとき、今までにない気持ちよさを感じ、「お母さん、この家は今日からあなたの物だから好きなようにするといいですよ。もし、売るときは事前に私に伝えてください。夫と子供を連れてここから出ます。今の私にとって家どころか、金塊をもらっても、もう何とも思いません」と母に伝えました。

 こうして、私は長年にわたって苦しみ続けてきた利益を重んじる心を取り除くことができたのです。

 ここで助けてくれた同修に感謝します。今回の難関を乗り越えたことで、奥深く隠れていた利己心や恨みなどの執着心を見つけ出し、慈悲の心をまだ修めていないことに気づいたのです。特に母親への恨みは本当にいけないことだと認識し、今は家族への情ではありませんが、以前より親孝行をしています。時間がない上、5年間ほど修煉をやめていましたので、これ以上少ない時間を無駄にしてはならず、しっかり三つのことを全うしようと努力しています。

 生死の難関

 私は1999年の「7.20」以前に法を得た大法弟子ですが、三つのことができていないため、旧勢力に隙を突かれたことがあります。

 4年前のある日、子宮の出血が止まらず、半年あまりずっとベッドから降りることができませんでした。法を勉強することも煉功することもできないのはもちろん、経営していた店も一時閉店しました。毎日ベッドに横になり、1日何口かの水とゆでうどんしか喉を通らず、水すら飲めませんでした。手首の脈を探しても見つからず、残された時間もあまりないと気付きました。ある日の深夜、突然師父の説法が頭の中に流れ込んできました。「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」[注4]と「何れの何能く聖を阻まん」[注5]が分からなかったのが一気にはっきりしました。自分はすでに法を得ている大法弟子であり、自身の全てを師父に任せればよく、何があっても師父がそばにおられると悟り、瞬時に目から涙があふれました。無理やり体を起こして師父の写真の前に跪いて、ご加護を求めました。そして第二功法を始めましたが、途中で立っていられなくなり、第五功法に変えました。「1時間の座禅に耐えることができれば、この難関を乗り越えたのも同然です」と心の中で師父に告げ、涙と汗が混ざりながら、とうとう耐えてこられました。このことを通じて師父が代わりには私の大半の業を引き受けてくださり、命を延長してくださったと悟りました。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『導航』「米国西部法会での説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [4] 李洪志師父の経文:『精進要旨』「法の中に溶け込む」
 [5] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「道中行」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/2/25/324573.html)
 
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