怨む心を取り除く経験
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文/中国遼寧省の大法弟子 一蓮

 【明慧日本2016年7月31日】私はいままで同修を見下して来ました。しかし内に向けて探すことによって、いかに同修を大切に思うようになり、同修との関係を正しく持つようになりました。それらの経験を、私はこれから皆さんと分かち合いたいと思います。法を正す師をともに手伝い、ともに衆生を救いましょう。

 私は以前ある女性協調人に出会い、彼女の正念、熱心さ、苦を恐れない精神に一時期感動していました。私たちは一緒にグループ学法に参加し、皆で交流し、真相資料を作り、何かがあれば相談し合い、誰もが自らできることを自主的に行っていました。私は比較的修煉を遅く始めたので、彼女と比べるとずいぶん遅れているような気がして、彼女から色々助けてもらいました。他の同修も何かがあれば彼女に相談するようにしていました。

 ある日、グループで『洪吟三』を学んだとき、私は本を読んでいましたが、年上の彼女は暗記していました。そこで、私は彼女との差を感じ、自分も『洪吟三』を丸暗記しようと思いました。

 しばらくして、私も『洪吟三』を暗記しました。突然、今までよく分からなかった多くの物事が見通せるように感じました。私は同修の皆さんにも『洪吟三』の暗記を勧めました。

 時間が経つにつれて、徐々に私たちは物事に対する観点が違ってきました。私から異なる意見を聞くと、彼女はすぐに否定しました。私は「以前、あなたの多くの言動は法理に叶っているからあなたに従ってきました。しかし今は正しくないと思う部分があるから反対意見を言ってみただけです。私はそのような意見も言えないのでしょうか?」と思いました。しかし意見を言う度に言い返されてしまう私は、彼女との議論を避けました。

 議論は避けたものの、彼女の強勢に抑えられただけで心からは納得しておらず、徐々に私は心を閉ざしてしまい、彼女と交流せず、間違いに気づいても何も言わないようにしました。しかしある日、グループ学法を終えて、彼女があることについて意見を言った後、私はついに反対意見を言いました。「違います」と彼女から言われた私は爆発し、初めて彼女に反発しました。その場にいた同修達はビックリして、このままでは二人が対立してしまうと心配していました。

 当時、自分が怒ったのは間違いだったのですが、その他の問題はないと思いました。2日後、ある同修が私に「あなたが間違っています」と言いました。頑なな観念に遮られて私は自分が間違っていないと思っていました。一方で、同修はずっと同じ言葉を繰り返すばかりでした。そのとき、私は師父の説法を思い出しました。「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません」[1] なるほど、やはり私の間違いでした。忍を実行せず、彼女に反発したのが間違いでした。それでも、ずっと私が間違っていると言う同修をみて、今度は師父の別の経文を思い出しました。「それに気がつけば、改めることができますが、なぜ改めることができるのでしょうか? 常人の中で良い人になるために改めるのではなく、修煉して圓満成就するために改めるのです。(拍手) これはすなわち、神聖なことであり、神の道のりを歩んでいるのです」[2] そうです。師父のお話に従い、私は徹底的に自分の間違いを認めました! その瞬間、バスに乗っていた私は心の中で「師父、私は必ず改めます! 必ず改めます!」とつぶやきながら涙をこらえることができませんでした。

 気性が良いと思われていた私に、なぜこのようなことが起きたのでしょうか? 私には一つの観念がありました。誰かに刺激されれば、表面上穏やかに見えても、実際のところ、私は心を閉ざし、相手と距離を置くようにしてきました。それは何の心でしょうか? 深く隠されていた怨む心です! 思えば10年前、家族がいなくなった時、私は非常に同修の慰めを期待(当時は心性が低かった)していました。しかし、ある同修から「いない方がまし」と言われて、その瞬間から私はその同修と距離を置くようにしました。今までは相性が良かったのですが、自分の方から壁を作りました! その後、私の心性は一向に向上しませんでした! さらにうちに向けて探していくと、私は恐れる心、色欲心、安逸心などを見つけました。やっと、今までのトラブルは私の心性を向上させるチャンスだと気づきました。しかし、関のまっただ中で、私は勇気を出して同修に謝ることはしませんでした。

 2日後、ある同修が「あなた達の問題が解決されなければ、皆は心配になります。実は、私はあなた達のことで一晩中眠ることができませんでした。改めなければ本当に危険ですよ!」と言いました。私は同修の話に感動すると同時に、同修達に心配をかけてしまったことに対し気持ちが重くなりました。そう考えながら歩いていて、私はいつの間にかある同修の家に来てしまいました。ちょうど、私とトラブルになった同修もそこにいました。私は彼女に「ちょっと別の部屋に来てくれませんか? お話したいことがあります」と言いました。彼女は横柄な態度で「何か言いたいことがあるの?」と言いました。私は涙を流しながら「ごめんなさい。私の間違いです」と言いました。彼女は依然と納得いかない顔で「なぜ泣くの?」と言いました。私は「あなたに感謝しています。今回の件をきっかけに内に向けて探す過程で、私は10年前から抱いていた怨む心を見つけ出して、取り除くことができました。以前、あなたに突き返されるたびに、私は自分の心をますます固く閉じていました。修煉者として、そうすべきではないと気づきました。『なぜ改めることができるのでしょうか? 常人の中で良い人になるために改めるのではなく、修煉して圓満成就するために改めるのです』「2]という師父の説法に照らし合わせて、私はやっと自分の思うことを素直にあなたに打ち明けることができました」と言いました。

 聞いていた彼女は徐々に表情を和らげ、最後に「自分も間違っていました」と言いました。私は2時間ほど彼女に話し続け、トラブルが解消されました! 今回のトラブルから得た教訓は余りにも大きく、その後、他の関に遭っても比較的乗り越えやすくなりました。

 その後、もう一つの出来事がありました。その女性協調人はある日、同修の家で用事を済ませて出て来た後、2駅ほどの距離を歩いてからまたその同修の家に戻りました。「どうしましたか?」と同修から聞かれた彼女は「さきほどはごめんなさい。言い方がきつかったと思います。謝りに来ました」と言いました。彼女のきつい言い方に慣れてきた同修たちは「彼女も内に向けて探すようになりました。彼女が変わりました!」と言いました。トラブルの中で、私たちは師父の法に則って自分を改め、ともに向上することができました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法七」「米国首都法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/1/16/322164.html )
 
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