法輪大法の素晴らしさと奇跡を目にし、大法の道に入る
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年3月15日】私は1997年から法輪大法を学び始めた、56歳の女性です。1999年7月20日、江沢民が法輪功への弾圧を発動したため、私は当局のブラックリストに載せられ、法輪功の重要人物だとして扱われました。そのため、5回も連行され、実刑判決や労働教養処分などの迫害を加えられました。

 一、馬三家労働教養所の迫害により危篤状態に

 私は法輪大法を学んでいるとの理由で、実刑判決を言い渡され、刑務所に収容されました。刑務所から出た8カ月後の2004年2月のある日、私は同修と一緒に横断幕を掛けたため、地元派出所の警官に市留置場に連行され、1カ月後に労働教養処分を下され、馬三家労働教養所に収容されました。

 労働教養所である日、警官は拘禁されている法輪大法修煉者たちを会議室に集め、強制的に洗脳を行いました。私は囚人服を着用せず、名札も着けず、会議室にも入ろうとしなかったため、警官に猛打されました。それから、警官は私に向かって、「お前の名前を言え」、「名前は大法弟子です」と、私は答えました。「年齢は?」と、警官に聞かれ、「64歳です」(実は46歳) と答えました。警官は「住所は?」、「宇宙です」と答えたら、「現在の住所は?」、「悪名高い、馬三家労働教養所で迫害を受けています」と答えました。そして、警官に「お前、俺たちを怒らせたいのか」と怒鳴られた私は、「『真・善・忍』に従って、より良い人になるよう努力をしてきましたが、あなたたちは私を拷問したり、強制的に 『転向』するように仕向けています。伍子胥が昭関を通過するため、焦りと心配で、一夜明けると、髪の毛が真っ白になったという昔話がありますが、私もここに入る前は、よく30代と間違えられました。しかし、ここに入ってから、迫害され、一夜のうちに総白髪になり、64歳に見られます。なぜ、良い人を悪人にさせるのですか! それでも、良心があるのですか!」と訴えました。しかし、警官らは私の話に耳をかさず、独房に入れました。以前、私は3回も独房に入れられたことがあり、拷問を受けました。

 労働教養所の迫害によって、息も絶え絶えになり弱っている私は、2005年4月27日、4人の警官によって抱えられ、ワンボックスカーに入れられ、自宅に連れ戻されました。その前日、私は瀋陽の病院で応急手当を受け、お腹に二つの直径12センチの腫瘤が見かり、しかもその二つの腫瘤からさらに、3つの直径6センチの腫瘤が伸びていると診断されました。そのうえ、舌根の下に米粒ぐらいのできものがあり、心臓も悪く、お腹が臨月の妊婦みたいにパンパンに膨らんでいました。

 ワンボックスカーに乗っている間、前に私を猛打した警官は、私の名前を呼び続けながら、「家についたら、お前を労働教養所に連れ戻さないから、このまま家へ置くようにと家族を説得するんだぞ」と脅しました。警官は私がこのまま、この車の中で死ぬことを恐れていました。

 村に着くと、警官は私を起こしました。ちょうど通りかかった二番目の姉に出会いました。姉がすぐ兄を呼んできました。兄が来て、警官に向かって、「なぜ、妹を起き上がれないまで迫害したのか! 妹の腫瘍はずっと前からあったというのか? 本当に妹に入院の健康診断を受けさせたのか」とあまりの変わりように怒りましたが、警官は黙ったままでした。兄はまた、「妹を労働教養所に連れ戻せ。お前たちのことを訴えてやる」と言いました。姪が車に上がってきて、変わり果てた姿の私の写真を取りました。

 その後、私は車から降りました。警官は「お前の兄が引き受けないなら、連れ戻すしかないな」と言いましたが、私は「迫害で死にかけています。馬三家労働教養所は、地獄です。私は絶対にあんなところに戻りません。大法弟子の私は師父がいらっしゃるので、守ってくださいます。身を置くところが絶対にあります」と 話し、2番目の姉について、姉の家に行きました。

 その翌日、私は姉の家の洗濯物を全部洗濯し、タンクに水をいっぱい汲みました。それを見た義理の兄(姉の夫)は驚きながら、私の顔を見て、「労働教養所から何度も電話がかかってきて、迎に来るようにと言われ、あなたが死にかけていることを知ったので、兄さんもお墓を買ったんだよ」と聞かされました。「私はこの通り大丈夫です。本当に、法輪大法は素晴らしいでしょう」と言うと、現代科学を信じている医者の兄は、私の身に起きた奇跡に感心し、観念も変えました。法輪大法を信じるようになり、私の修煉を支持してくれるようになりました。

 二、生死を放下し、慈悲なる師父に救われる

 姉の家に泊まって3日目に、同修が私を迎えにきて、同修の家に行きました。私は協調人で精進している同修の家に住み込みました。そのときの私は、両耳が聞こえず、記憶力もずいぶん低下し、学法のときに瞼が重くて目を開けられず、発正念のときに手が倒れ、腰が真っ直ぐ伸ばせず、月経期間が長く、両足が腫れ上がり、爪が真っ白で、階段を上がるだけで息が切れるという状態でした。しかし、毎日外へ出て、人々に法輪功の真相を伝え、「三退」を勧めました。

 ある日、年配の漢方医に法輪功の真相を話した後、私のことを心配し、「あなたはヘモグロビンが足らず、ひどい貧血ですよ。家で食べたいものを何でも食べなさい」と言われました。私は動揺せず、ニコニコ笑いながら、その漢方医に「『法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい!』を覚えておいてくださいね」と言うと、「ありがとう」と言ってくれました。

 ある日の朝、私は第二式の功法をやっていると、突然、息が苦しくなり、吐き気とめまいがし、ベッドに倒れ、意識を失いました。11時すぎに、やっと目が覚めました。 意識のない間、同修は私のために、ずっと発正念をしてくれました。目が覚めた私を見て、同修はゆで卵を持ってきましたが、手を伸ばし、スプーンを取ろうとしましたが、力が無くて取れませんでした。『轉法輪』に書かれていた「どんな時になっても魔は道より高くなることはありえません」[1]を思い出し、頑張ってスプーンを取ってゆで卵を食べました。同修は「今日、会社に電話して休みを取ってください」と言いましたが、私は「会社に行きます」と言い、外へ出て、自転車に乗って出勤しました。

 ある日、私は多くの学習者とともに市の裁判所前に行き、不当に開廷されている同修に正念を発しました。私たちの強大な正念で同修に対する開廷は取りやめになり、同修は留置場に戻されました。その時、隣の同修は私に「あなたはふらふらして歩いているよ」と言われました。確かに、私のそのときの体重は40キロしかなく、ご飯ものどを通らず、顔色が悪く、水を飲んでもお腹が痛くなるし、いつ倒れてもおかしくない状態でした。

 ある日の午前、数人の同修は正念で関門を乗り越えることについて、私と交流をしました。交流が終わる前、同修は私に「この西瓜を食べてください。きっと、大丈夫ですよ。観念が変わらないといけません」と話しかけ、私はすぐ、その西瓜を食べました。食べた後、自転車に乗って帰りました。午後1時頃、 家に着き、学法をしようとしましたが、突然、激しい痛みが全身に走り、五臓六腑みな動いているように感じました。私はすぐに発正念をし、「師父、ご加持をお願 いします。私の体を迫害する他の空間の邪悪な生命・要素などを、すべて解体します。私にどんな執着心や漏れがあっても、全て大法の中で正されます。私の執着心と漏れを利用して、迫害を加えようとする生命、試練を与えようとする生命、みなその資格はありません。私は師父の弟子であり、師父にしか従いません」と、絶えず発正念し続けました。「邪悪は今回、私の命を取ろうとしていますが、物事は極限に達すると必ず逆の方向へ転化する」と思ったとき、発正念の手と腰が真っ直ぐに伸びていましたが、いつの間にか、意識を失ってしまいました。目が覚めたときは、もう翌日の朝7時過ぎでしたが、発正念の姿勢のままで、痛みがすでに消えていました。「慈悲深い偉大なる師父が、弟子のためにこの一切を引き受けてくださいました」と思い、心から師父に感謝いたしました。まさに「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[2]です。

 三、私の身に起きた奇跡を見て、姉夫婦が大法の道に入る

2009年春、私はある飲食店でアルバイトを始めました。お客さんと接する機会があって、人々に法輪功の本当の事実を伝えたり、法輪大法のお守り札をあげたりしましたが、中国共産党の法輪功への誹謗中傷を信じた人に通報され、警官に連行されました。

 警官は私を市公安病院に連れて行き、健康診断を受けさせました。そして、大きな腫瘍が二つ発見され、19.9セ ンチの腫瘍は小腸まで押し込んで小腸を変形させ、胆のうも元の位置にない状態でした。しかし、警官はこんな状態の私を解放せずに、留置場に送り込みました。留置場で私は 断食して迫害に抗議し、「ここは私たち大法弟子のいる場所ではない。絶対、ここから出て行く」と決心して、自分の内に向かって探し、法を暗誦し、発正念をしました。3日目の夜、私の天目(天目が開いていなかったが、その日、師父が私の天目を開いてくださった)から、色鮮やかに回転している法輪が、他の空間にいる邪悪を次々に解体している光景が見えました。慈悲深い師父が、弟子の私を激励してくださいました。

 それから、私は留置場にいる囚人たちに法輪功の真相を話し、「三退」を勧め、法輪大法の歌を歌いました。2週間後、警官は救急車で私を公安病院に搬送し、応急手当をしました。二番目の姉夫婦は病院に駆けつけ、大声で副所長に「あなたたち、なぜ、うちの妹を連行したのですか?  妹はどんな法を犯しましたか?  妹をネット手配された犯人と同じだとでも言うのですか? 当初、馬三家労働教養所は妹を迫害して、死ぬ寸前になって、家に送り返してきたのに、妹が逃走犯だというのですか? 妹はただアルバイトをしていただけで、なぜ、罪になるのですか? 妹を留置場に入れて、死ぬ間際までなぜ迫害したのですか!」と怒りながら、警官らに問い詰めました。隣にいる男性が姉の話しを聞いて、警官の行為に、「警官らのことを訴えなさい。警官らの良心は地に落ち、少しの人間性も持っていません」と憤慨しました。

 それで、副所長は姉に「お姉さん、もうすっきりしたでしょう。これまでに、そこまで言われたことはない。もう、サインして、妹さんを連れて帰りなさい」と言いました。姉は「私にサインをさせないでください。副所長のあなたがサインすべきじゃないですか! 今度、妹をこんな目に遭わせたら、絶対に許しませんよ」と怒って言いました。そして、警官らは病院から立ち去りました。

 私は姉の家に戻りました。当時の私は全身に力が入らず、歩くことも困難でした。ある日、私は牛乳を少し飲んですぐに、トイレに行きたくなりましたが、部屋には誰もおらず、自力でトイレに行けませんでした。そのとき、私は「この関門を乗り越えなければならないと思い、ベッドから転がるように下りて、這ってトイレに行きました。 それを見た姉は、外から私のところに駆けつけてきました。姉の一言だけ聞いた後、私は意識不明になりました。姉が抱きかかえたとき、私はもう息をしていませんでした。義兄も駆けつけてきて、「もう終わりだ。『死に便』も出てきた」 (人間が死ぬと筋肉が緩んで尿と便が漏れる)と思わず、口に出して言いました。

 そこで、姉は、「大法の師父、お願いします。あなたの弟子を救ってください。妹は良い大法弟子です。妹を死なせないでください」と30分ほど泣き叫んでお願いしました。すると不思議にもこの私は、本当に生き返えりました!

 義兄は吃驚しながら、「法輪大法は素晴らしい! 法輪大法は本当に不思議だ! 今日、もし、自分の目で見なければ、このように人が死んで生き返ることなど信じません。今までは、神話や物語だと思っていました。今度こそ、私は本当に大法の師父を信じます」と言いました。それから、姉夫婦は法輪大法の道に入り、しっかりと歩み始めました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/9/16/315695.html)
 
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