明慧法会|ここは神だけが来れる場所
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 文/山東省の大法弟子

 【明慧日本2016年5月7日】

 偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は県庁所在地で生活している大法弟子で、十数年の修煉を通して、「自分を修めてはじめて、全体と協調をとることができ、正念を以って人を救うことができる」ということを深く理解しました。私はずっと農村の「真相を伝えていない空白」地区へ行って大法の真相を伝える資料を配り続けており、山村に住む人々はお客様のように親切にもてなしてくれたので、私は笑いながら「ここはなかなか外から来れない場所ですから、神様だけが来れる場所ですね」と言いました。すると山村の人々はみな機嫌がよくなりました。

 一、着実に修める

 1)不当に労働教養処分を科せられた教訓「学法を重視すべき」

 2008年に不当に労働教養処分を科せられたことがあり、主な原因は学法を重視せず、法を理解していなかった事でした。その時は資料拠点で仕事をしており、昼間は資料を作り、夜は『共産党についての九つの論評』を配りに行き、時間を見つけては三退を勧め、というのも、師父が法を正す事を終わらせてしまうのを恐れ、衆生を救うのが間に合わなくなってしまう、と思ったからですが、三つのことのバランスをうまくとることができなかったのです。仕事に対する執着で疲れてクタクタになり、発正念の時に居眠りしてしまい、内に向けて探す時のことは言うまでもありませんでした。

 不当に労働教養所に拘禁されていた時、まったく法を暗記できず、焦って涙が流れ、拘禁される前に法を暗記していなかったことを後悔しました。中国共産党の労働教養所では、心中に法がなかったため、中国共産党の洗脳と拷問に全く抵抗することができませんでした。そして、家に戻ったら必ず『轉法輪』を暗記しようと誓いました。

 半年後、師父の加持の下で家に戻り、人を救うこと以外に、分秒を争って『轉法輪』を暗記しました。私の家の学法グループの同修も分秒を争って学法したので、向上がとても速く、内に向けて探すことを知っていたので、私たちの学法グループの同修は座るとすぐ穏やかになりました。

 2)内に向けて探し、心をえぐられ骨にまで突き刺さるような人心を、取り除く

 個人修煉の上では正しいと思っていたのですが、この1年間、各々の心性の関が次から次へとやって来て、人心を取り除くのが、本当に心をえぐられ骨にまで突き刺さるような感じでした。

 最初は資料を受け取ることで人心が生じました。私はいつも外に出て真相を伝えているので、留守にしていることが多く、同修に鍵を渡していました。しかし偶然にも2回連続で家を留守にしていた時に同修が資料を持ってきて、私と交流できず、私がわざと家を留守にしているのだと誤解され、この件について同修に伝えたところ、トラブルが発生しました。同修の人心が出て来た事に飽き飽きし、「どちらにしても私は間違っていないのだから、どうでもいいことではないか」と思いました。その後、同修は2、3日間眠れず、食欲もなくなってしまった、と聞いて強いことも言えなくなってしまい、これは私のせいだと思い、どうしたらいいのだろうか、と思いました。

 謝ることでしか問題が解決しないことはよくわかっていましたが、心の中ではいろいろ矛盾してしまい、自分から謝りに行きたいとは思わず、同修が受けいれてくれないのではないか、と恐れました。どうしようもなくなり、私は座って立掌して正念を発し、同修に対するすべての先入観を除去し、心の中で「これは私ではない、これは私ではない、内に向けて探さなければならない、内に向けて探さなければならない」と言いました。約20分間、正念を発していると、頭の中に「あなたがこんな状態だと、旧勢力が喜ぶばかりで、師父は本当に悲しくなる」という声が聞こえてきました。この声はすぐに私の生命の本源に入って来たので、自分をコントロールできなくなり、声をあげて泣きだしてしまいました。そして私は師父に「師父、弟子は決して師父を悲しませることはできません。すべて私が悪かったのです、申し訳ありません。師父、これからすぐに謝りに行きます」と申し上げました。

 もうすぐ昼の11時になり、カバンを背負い、15枚の神韻DVDを入れ、バス停でバスを待っている間も、自分の涙を抑えきれず、それでも通りがかりの人にDVDを配りました。マイクロバスが止まっており、車内には4、5人の若者がおり、私は泣きながら「君たちみんなに、素晴らしい神韻公演DVDをあげます。誰が見ても福報を得られますよ」と言いました。若者たちは変な目つきで私を見ていましたが、全員DVDを受け取り「ありがとう、おばさん」と言いました。私は「ご両親や親戚、友人にも忘れずに見せてくださいね」と言いました。DVDを配り終わった所でちょうどバスが来たので、同修の家へ行き、心の中で謝り、同修に「師父の慈悲が私たちのトラブルを解消しました」と伝えました。今回のトラブルで、私は「修煉においては、内に向けて探そうという願望がありさえすれば、師父は私たちを助けてくださる」ということを自ら体験し、会得しました。

 自分には取り除かれていない多くの心があることに気づいており、それは他人と比べても非常に強い心で、同修に対する話し方も厳しく、いつも同修を傷つけていました。事実そのものについて話すのが好きで、自分の人心を見つけられませんでした。利己的で、同修に対する寛容や慈悲を修めておらず、法の要求からあまりにもかけ離れていました。長期にわたって人心が取り除かれていなかったため、6、7回、いろいろなことで同修から誤解を受け、いたるところに噂が広まり、それ以後、みんなは「私とは関係がない」という態度をとるようになりました。そこで同修の態度については、まったくとんでもないことだと思い、解釈する必要もないと思ったので心も動かされませんでしたが、内に向けて自分の人心を探すということも、まだ知らなかったのです。そこで、さらに大きな心性の関がやって来てしまいました。

 同修と大法の仕事をしていた時、師父が説かれた「ある人が他人のためだけを思って、しかも、自己の目的と認識を少しも抱かなければ、語る話は相手に涙を流させるのです」[1]の通りには行いませんでした。さらにいつも話し方が厳しいために同修の心を傷つけ、そのため、みんなの前で協調をはかっている同修に批判されてしまいました。ある時、無意識のうちにあることについての協調でミスを犯し、協調の同修の目の前で、協調人に批判されて怒られ、私が言ったことは本当に・・・本当に受け入れられず、私の人生の中でこのような経験は初めてでした。

 そこで私は消極的ながらも自分が修煉できていないのだとつくづく感じ、真相を伝えることや連携しなければならない事などが行えなくなり、一睡もできず、次の日には門を閉めてしまい、声を出すと痛い状態が2時間も続き、頭も痛くなり、解決策を考えようにも考えられず、人を救いに行くことができなかったことは言うまでもありませんでした。十数年に渡っている残酷な迫害と、労働教養所に不当に拘禁されていた時でも、一度も「修煉しない」という字は書かず、涙さえ流したことがなかったのに、どうして今日は人心を放下することが、生死を放下することより難しくなってしまったのでしょうか?

 自分の気持ちがはっきりとし、協調人に協力すべきであり、全体のため、しっかりと衆生を救い済度するためには対立してはならず、協調の同修に謝らなければならなかったのですが、心中ではまだ怒っており、心を正すことができませんでした。しかし、表面上は謝ったので、みんなは理解してくれました。私は泣きながら師父の『オーストラリア学習者への説法』のDVDを真剣になって見た時、師父のお言葉が、私の細胞のミクロな部分にまで入って来て、まるで清らかな泉水が私の心を洗浄しているかのようでした。私は「師父、師父のお教えに感謝いたします。弟子は間違っていました。もし弟子が正しく行っていたならば、協調人は怒ろうと思っても怒れなかったはずで、言うまでもなく協調人にも修煉が難しい部分はあるのです。十数年来、協調人は全体を強調し、正しく歩み、法に則っており、私はこの事がよくわかりました」と言いました。

 考えれば考えるほど自分が間違っていたと分かり、電話をかけ、心から協調人に謝り、「すべて私が間違っていました。しかし例えて言えば、今の私は小学生で、あなたは私に大学の授業を受けさせようとしていますので、時間はかかりますが、私は自分の過ちを改め、自分を変えていこうと決心しました」と言いました。その時、協調の同修は私を慰め、その優しく、善良な話しぶりを感じ取ることができました。それ以後、私たちは以前のように全体で協力して人を救うようになりました。

 今回の件を通じて、同修に対する依頼心や崇拝する心、情などを取り除きました。今回のことで、過激な話し方で傷つけられた相手の心のつらい気持ちを体験し、以前は私も同様に同修を傷つけていたことがわかりました。

 この半年間、私は大きく向上し、同じようなことが起きても耐え忍ぶようになり、他人を傷つける事もなく、話し方もとても良くなり、ある時、同修の声高(こわだか)な話し方を見て、その中に以前の自分を見たのでした。協調の仕事を行うには、必ず全体のことを考え、自我を放下しなければならない、ということを認識しました。このようにして、何度もつまづきながら教訓を得て、一歩一歩向上していきました。

 二、「真相を伝えていない空白」の農村地区で、長年真相を伝え続ける

 以前、バスに乗った時に車窓から外を眺めて、目に入る農村の人々の一人一人がまだ真相をわかっていないことを思うと、涙を禁じえませんでした。今、来ているこの田舎町には3、4人の同修しかおらず、その中には「転向」を強いられて今に至り、まだ目が覚めていない同修がおり、残りの同修も外に出ようとはしませんでした。

 ですから、衆生が最も必要としている場所へ行って、人を救おうと考えました。2010年ごろから始め、正々堂々と近隣の田舎町で真相を伝え、遠方の田舎町で真相を伝えた時は、十数カ所の村で真相を伝え、合計百以上の大小の村のほとんどの家庭に、私が人を救った足跡が残されました。風が吹こうが、雨が降ろうが、雪が降ろうが、山がどんなに高くても、道がどんなに遠くても、冬が過ぎて春が来て、誰かに濡れ衣を着せられ、警察に不当に連行されても、師父のご加持と保護の下、大法は非常に堅固で破壊することのできない正念と知恵を私に与えてくださったので、今日まで歩んで来られたのです。私は師父の弟子ですので、当然ながら師父の教えの通りに行わなければならず、しかも最も良く行わなければなりませんし、心を込めて行いさえすればうまく行うことができるのです。

 しかし、田舎町で真相を伝えることはとても辛く、その活動には辛いことも喜ばしいこともすべてありました。村に入る時の心境はいつも、はじめて村に入って真相を伝える時と同じで、法をよく学び発正念しなければとても行うことはできませんでした。

 1)ここは神だけが来れる場所

 私は県庁所在地に住んでおり、毎週農村へ行き、余った時間は市内で資料を配り、面と向かって神韻DVDを配り、市場へ行って真相資料を配り三退を勧めています。農村へ行く時は毎回、二つのカバンを提げ、一つのカバンには真相パンフレットを150~200冊入れ、透明な封筒の中にパンフレットを入れ、もう一つのカバンにはDVDを入れ、神韻、『共産党についての九つの論評』、『風雨天地行』のDVDを入れ、時には、ネット封鎖を突破するソフトも持って行きます。

 1件ごとにパンフレットとDVDを配り、ほとんどの家で面と向かって配り、三退を伝えました。猛暑の日には、街頭、路地、木の下など、どこにでも人がいて、マージャンやトランプをしていました。そこでまずパンフレットを配り、だいたい配り終えると今度はDVD配り、そして三退を伝えました。ある村には7、8百軒の家があり、何度も行かなければなりませんでした。人を見かければまず人々が元気なことを祝福し、優しい口調で真相を伝え三退を勧めると、80パーセント以上の人が話を聞いてくれ、真相資料を欲しがります。ある村では人が集まるとDVDとパンフレットを奪うように持って行き、ある人はDVDプレーヤーがないのにDVDを欲しがり「DVDプレーヤーは娘の家にある」と言いました。衆生が救われるのを待ち望んでいるのを見るたびに、この道を師父が用意してくださったのだと心の中で感動し、人を救う心を持ってさえいればよいのだ、と感じました。

 長年バスに乗っているので、運転手とも知り合いになり、運転手はDVDやソフトウェアを欲しがったばかりでなく、三退もし、真相を理解しました。バスの中で、大きな声で三退を伝え、DVDを配っても、運転手はみな支持してくれ、私を尊重してくれました。ある時、バスを降りた時にちょうど大雨で、運転手の男性が急いで私に傘を差し出し「この大雨じゃ濡れちゃいますよ」と言いました。ある時、乗った事のない大型バスに乗った時、真相を伝えているのを運転手が聞きつけ「監視装置があるので気を付けて」と注意を促され、運転手の温和な顔つきを見て「真相を伝えているのを監視装置が見聞きしているのなら、私はなおさら大声で真相を伝え、監視員も救わなければなりません。監視装置は私に対しては役割を果たすことはできません」と言いました。

 ある時、村に入った途端大雨が降りだし、それでも1軒ずつ配り、ある家の玄関で資料を配ると、中にたくさんの人がいて、雨水が私の頭から顔へ向かって流れ、ズボンのすそが泥にまみれているのを見て、同情して「ここで雨宿りをしてから配りなさい」と言ってくれたので、私は「ありがとうございます」とお礼を言いました。そして、私が真相を伝えると、全員三退し、さらにDVDとパンフレットを受け取ってくれました。衆生が救われるのであれば、苦しみを舐めても甘く感じられました。

 いくつかの村は山奥にあって交通が不便なので、同修がオートバイで私を送ってくれたのですが、山を18回も越え、道は険しく、カーブが腕のひじのように曲がっていて、山の上にたどり着くまでほとんど息もできないほどで、心の中で「師父」と叫び続け、山の上についてやっと一息つくことができました。真相資料を配った時、山村に住む人々は、お客様のように親切にもてなしてくれたので、私は笑いながら「ここはなかなか外から来れない場所ですから、ここは神様だけが来れる場所ですね」と言いますと、山村の人々はみな機嫌がよくなりました。

 太陽が山に落ち、空になったカバンを背負い、中には十数枚の三退名簿だけがあり、師父への感謝の心だけを持ち、「この村は救われた」と思いました。下山する時、二十数キロの道を歩き、その間にもたくさんの人に三退を勧め、夜8時になってやっと私を迎えに来た同修に会うことができました。衆生を救うのは疲れますが、とても気持ちがよかったのを覚えています。

 2)第一線で人を救う

 近隣の田舎町で真相を伝え終わった時、安逸を求める心が起こり、もう田舎町で真相を伝えるのはやめようと思い、なぜなら、とても疲れており、とても苦しく、プレッシャーも感じていたからです。ある朝、起きて煉功していた時、はっきりとした夢を見て、夢の中では暖炉の上に小さな袋が置いてあり、中からたくさんの钱(お金)が落ちて来て、「もし袋の中に伝票か身分証が入っていれば、なくした本人に返すことができる」と思ったのですが、袋の中を探ると、出てきたのは大小の线团(糸の玉)でした。夢から覚めてすぐに「钱、线、团とは『前线疃(訳注:「前」と「钱」は同じ発音。「团」と「疃」は発音が似ており「疃」とは「村」という意味。「前线疃」とは「前線の村」という意味)』ということではないか? つまり、『村とは、人を救う前線である』と師父が導いてくださっているのではないか? それならば、やはり田舎町で真相を伝えなければならない」と悟りました。そして地図を見て見ると、遠いところでは往復で2百キロ以上あり、それは他県との県境にある村でしたが、行うと決めたので、遠方の田舎町で真相を伝え始めて、今に至ります。

 現在、バスから窓の外を見てみると、村から村を通り過ぎ、どの家も私が真相パンフレットを送った家で、どの村も甘露のように、大法弟子が送ったDVDが光っていました。パンフレットとDVDには、どれほどの同修たちの苦労が含まれていることでしょうか! どの家も選択の機会を得られるように、坂の上に1軒だけ家があったとしても、私はパンフレットを配り、どの家にも漏れることなくパンフレットを配り、もしパンフレットがなくなってしまったら、番地と表札を書きとめ、次に来た時に配るようにしました。また、番地と表札を書きとめることで、三退を伝える同修のために、布石を打っておくことができました。

 3)真相の威力が現れる

 農村で真相を伝えた数年間に、3回濡れ衣を着せられました。1回目は市場で捕まり、不当に警察署へ連行され、そこで1時間以上真相を伝え、警察署から出てこれました。

 2回目に捕まったのは村の中で、午前10時に捕まり、不当に警察署に連行され、30分で出てきました。捕まったその時に、村民委員会の入口でたくさんの野次馬が見物に集まっていたので、人々が恐れることによって人を救うことに影響が出ることを心配しましたが、11時に私は再びその村に戻ってきました。村民委員会の入口の野次馬はまだおり、私が近くまで歩いて行くと、奇妙な目つきで私を見たので、「みなさん、怖がらないでください、法輪大法は正法ですから、人殺しや放火などはしません」と言いますと、野次馬たちは黙ってうなずきました。私は、濡れ衣を着せた人と迫害に加担した村の治安委員会の人を探し出して、真相を伝えました。

 3回目は山の中の村で捕まり、左ひじをねじられながらも右手で人々に資料を配り、資料を配りながらひじをねじっていた男の子に慈悲深く「この真相DVDは、大法弟子が食費を切り詰めて節約したお金で作ったものですから、警察の手に渡すわけにはいかず、人を救うことを遅らせて業を作るわけにはいきません」と必死に伝えました。すると、男の子は手を放し「おばさん、早く配って、パトカーがもうすぐ来るよ。早く配って」と言い、わかってくれました。パトカーが見えた時、最後の3枚を配り終えていました。警官に車に乗せられた時、私は笑いながら「山を下りるのに歩く必要がなくなりましたよ」と言いました。やじ馬に来ていた村人たちがひどく驚き、ある村人が「どうしてこの人は笑っているんだ?」と言いました。そこで私は「みなさん、怖がらないでください。私は必ず戻ってきます。警官もみな良い人たちで、ただ任務を行っているだけなんです」と言うと、たちまち雰囲気が和らぎました。警官は私を警察署へ不当に連行しましたが、県公安局のパトカーでまた私を送り返しました。3日目、私はまたその村に戻り人を救いました。

 その後、自分が濡れ衣を着せられた原因を探してみたところ、同修とトラブルが発生した時、闘争心があり、融通が利かず、うわべだけの理解で争い、自我を放下できず、さらに、すぐに内に向けて探し法に則って自分を正すべきだ、ということに気づきませんでした。心境が清らかでないのに、どうやって衆生と面と向かうのでしょうか? 人を救えないばかりでなく、逆に衆生を傷つけていました。

 三、警官も救われるのを待っている

 繰り返し師父の説法を学んで、「警官も迫害されており、救われるのを待っている生命である」ということがわかりました。協調の同修は何度も私と「必ず善心を以って警官に接しなければならず、善さえあれば、警官の心を変えることができる」と交流しました。そして、何度も自分で善を勧める手紙を送り、電話をかけて真相を伝えました。

 もしかしたら私の誠実さが、警官たちを感動させたからかもしれないのですが、警官の1人が脱党し、その警官は「これからは真相を伝えに行く時は、家の中にある資料をちゃんと隠してください」と言ったので、私が「真相資料はどこにおいても大丈夫ですが、師父の本は敬わなければなりません」と言うと、その警官は「それなら隣の家に置いておけばいい」と言いました。そこで私は警官たちに「くれぐれも目を覚ましてもらいたいという意味で、言っておきますが、あなたたちは長年江沢民の支持を受けて今日まで歩んで来てしまいました。師父は慈悲深くあなたたちに救われる機会をお与えになっておられ、その機会をあなたたち自身に選択させようとなさっています。そして、1分1秒のこの時間にも師父は、衆生に替って大きなものを請け負っておられ、大法弟子も大きな代価を払っています。この機会を大切にし、もう終わりも近いので、くれぐれも仕事の上で大法弟子をきちんと保護してください。神様はご覧になっており、神様の目は雷のようで、どんなに小さなことでも、稲妻が光ってすべてが見渡せるのです」と言いました。すると、警官たちはうなずき、わかってくれました。

 警察署に向けて正念を発する時は、いつもまず善念を以って「警官に大法に対して罪を犯させないように」と念じ、それから「背後で警官を操る邪悪を除去し、警官を救う」と強く念じました。そして「慈悲と善がありさえすれば、中国共産党の邪悪を解体し、本当に人を救うことができる」ということを実感しました。

 2013年8月、部屋のガラスに優曇華の花が咲いており、ぜんぶで10輪咲いていました。数日たって、別のガラス窓にも優曇華の花が咲いているのを発見し、全部で89輪になり、去年の11月になってもまだ咲き続けていました。同修が携帯電話で写真を撮った時、優曇華の花の後ろに大法輪があるのに気が付きました。師父の励ましに感謝いたします。私自身も優曇華の花の一輪だと感じ、修煉においてさらに自分を清らかにし、優曇華の花のように、神聖にならなければなりません。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「はっきりと目覚めよ」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/5/318562.html)
 
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