明慧法会|敬虔なキリスト教信者から大法弟子へ
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 文/広東省の大法弟子 天化

 【明慧日本2016年6月10日】一昨年、アメリカにいる家族が電話をして来て「父が手術による併発症を発症して亡くなった」と言いました。父はキリスト教の信者でした。いつもかくしゃくとしていたのに突然この世を去ってしまいました。私たちは涙に暮れながら準備をして、すぐにアメリカへ飛びました。

 私と妻は大法弟子ですが、アメリカにいる家族はみなキリスト教徒です。母はかつて「遺言」という形で私たちにキリスト教への入信を迫りました。妹と妹の夫も、何度も私たちに「説得」や「忠告」をしました。今回、父の葬儀を行うため、妹の家に少し長い間住まなければならないのですが、妹の家で静かに過ごせるとは思っていませんでした。私と妻は10数時間のフライトの間、黙ったまま正念を発していました。どのようにして家族と長期にわたってうまくやっていけるのかを考えていました。

 兄と妹と私の3人は社会に出てから数10年後、老いた父がなくなったため、ふたたびアメリカの一つ屋根の下で暮らすことになったのでした。母は憔悴して見る影もなくやせ細りました。妹と妹の夫は仕事で忙しいのに、急いで追悼式と葬儀の事務的な準備をし、すべてを教会の規範とルールに則って準備していました。毎日たくさんのキリスト教の信者や友人が訪れてきました。母は毎日泣いては父の生前の日記を読み、食欲もありませんでした。突然直面したこれらのすべてに対して、私たちは無力感を感じ呆然としていました。

 寒風が吹きぬける北米の夜に、私たち2人は眠れませんでした。大法弟子はこのような時、どのように正念を持ち正しく行うべきなのでしょうか? 私たちは胸に手を当てて自問しました。師父は大法弟子に「宗教に対して何かの行動を起こさないでください。私たちは人心だけを対象にします。相手が修煉したければ、教えてあげればよいのです。相手が真相を知りたければ、教えてあげればよいのです。それで十分です。ほかに何もする必要はありません。わざわざ彼らのところに行く必要もなく、来るのを待っていればよいのです」[1]と教えてくださいました。心の中に師がおられて、法があり、正念がありさえすれば、機会は訪れるはずでした。その機会は、まさに真相を伝えるためのうってつけの機会であり、迷いの中におぼれている衆生の目を覚まさせて、呼び覚ます機会でした。

 追悼式を主催していた牧師は、段取りについての検討を要求し「長男である兄が司会を行い、牧師が伝道し、友人が代表して追悼し、遺体と告別する」と決めました。次男の私が追悼の言葉を述べる、という段取りはありませんでした。しかし、父親は辛酸を舐め続け、生涯において中国共産党に迫害され、恥を忍んで重責を担い、晩年になっても抗争し続け「危邦不入(訳注:論語の一節、「危険な国へは入らない」という意味)」の念を持ってアメリカへ移住しました。父の生命には中国共産党によって弾圧された多くの傷跡が残っているので、真相をはっきりと伝え、衆生を呼び覚まし、父の霊を安心させなければなりませんでした。そこで私たちはついに「父の手術と臨終のとき、私は父のそばにはおらず、父が他界した時には私の別れの言葉は父には届かず、これでは父は成仏できません」と問いただしました。すると、誰も私の要求を拒絶することはできませんでした。

 しかし、私が準備した草稿は一部の家族から「キリスト教徒の追悼は明るく、天国へ行く事を祝福し、それは喜ばしい幸福でなければならず、悲しみであってはいけないのです」と厳しく反対されました。しかし、私たちは先に母の賛同を得ていました。母は感動し、はっきりと支持したので、私たちは家族に草稿を見せたのです。

 追悼式には数百人が訪れ、ほとんどがキリスト教徒でした。父の高齢の友人もおり、礼拝堂はいっぱいになりました。大法弟子である私が「あなたが行かれるであろう美しい場所には、あなたに濡れ衣を着せようとする反右派闘争(訳注:1957年に毛沢東が発動した反体制狩り)はもうなく、家宅捜索や批判、血生臭い闘争もありません。追い払われ強制的に転勤させられることもなく、年端もいかない子供たちの出稼ぎと中途退学のために、心労で苦しむこともありません。あなたの才能を埋もれさせてしまうこともなく、生涯不遇をかこつこともなく『士は殺すことはできるが,辱めることはできない』の精神が何度も追い詰められ、徘徊しなければならない事ももうありません」と話した時、礼拝堂全体が等しく感動の色を浮かべ、涙をのみ、空気も固まってしまったかのようでした。私たちは「この礼拝堂にいる信者たちはみな共産党がどういうもので、なぜ中国人を迫害し続けているのかを、非常にはっきりとわかっている」ということを知りました。

 そして、両親の大勢の友人たちが別れを告げ、母に感動と悲憤を表し、妹や妹の夫の友人たちも、それぞれ私たちに対して好意を示しました。牧師は戸口で入信を勧めましたが、礼儀正しく勧めただけでした。私たちにすでに信仰があることを聞くと、尊敬を表しました。

 妹の大きな屋敷で30日間、妻は毎日黙々と家族全員の3食の食事を切り盛りし、買い出しに行き、料理を作りました。母も黙ってそれを見ていました。食事の時は、毎回みんなが最初に祈りをささげている間、私たちが静かに待っていると、妹と妹の夫が毎日あらゆる手を尽くして、私たちにも祈りをささげるよう忠告しました。時には非難し、時には激しく迫ったので、兄はついに洗礼を受けに行く事になりましたが、母は以前のように私たちに入信を迫ることはなくなりました。一言も言わずに私たちのやり取りを聞き、聞くことに集中しているようでした。「政治を行う」ことへの批難に対して、私たちは心の中に法があるので「中国共産党は政治を『権力を追求し民衆を押さえ付けるための道具』にし、そうしてはじめて中国共産党は政治が行えると思っているようですが、まずこれは政治を歪曲させています。もし反迫害と反欺瞞も政治だというのなら、この政治と中国共産党の政治を比べた時、どちらがクリーンで正しいのでしょうか。しかし、私たちが行っているのは政治ではありません。なぜなら私たち修煉者は、永遠に権力を追求することがないからです」と話しました。すると妹と妹の夫は黙ってしまいました。

 またある時、私たちは「信仰は精神の柱ですが、もしあなたたちキリスト教徒が数百年にわたる法難の恐怖と迫害に遭ったとしたなら、確固としてキリスト教を信じ続けられるのですか?」と反問しました。返事がなかったので、私たちはまた「中国の法輪功修煉者たちは、ここよりもさらに厳しい恐怖の中におり、多くの同修が命を失い、臓器を摘出されました。それでも私たちは確固として修煉の道を歩み続けています」と言いました。姉と姉の夫は言葉を失い、母は目を潤ませました。

 精神的打撃から母を抜け出させるために、母を連れて中国に帰り、環境を変えてみることを決意しました。母は「中国でも礼拝するために教会へ行かなければならず、少数民族のいる地域に宣教に行って、聖書を配らなければならない」と言いました。私たちは反対せず、一つ一つ了承しました。中国に戻るとすぐに近所で教会を探し、知り合いの教会の友人に,母に付き添ってもらうように頼みました。母はこれらの一つ一つに感動しました。、以前、中国共産党のスパイが海外で流したデマを聞いて形成された母の偏見は覆され、母の生命の中の良くわかっている一面が呼び覚まされました。母は「大法とは何か? どうしてこんなにも寛容で度量が大きく、心優しくて感動的なのか? 大法を学んでいる子供はどうしてこんなにも品行方正で善良で親孝行なのか?」と深く考えました。そして、母は2回教会に行っただけで、その後は口実を設けて教会にはいかなくなりました。

 ある日、母が突然妻に「他に何か大法書籍とか、DVDとかがあったら、持ってきて見せてくれないかしら」と言いました。母の声は穏やかでしたが、毅然としていました。真っ青だった空がにわかに色あでやかに変わったかのように感じ、師父の偉大さと慈悲深さに私たちは涙を流しました。私たちは師父が母をお見捨てにならなかった事を知り、私たちがしっかり行ったことに対して師父が励ましてくださっていることを知りました。

 母は穏やかですが真剣に大法の修煉を始めました。むさぼるように法を読み、DVDを見て、功法を学ぶと、体も丈夫になり、平静で充実した心が心労と悲しみに取って代わりました。88歳の高齢者は、敬虔なキリスト教徒から直接乗り越えて来て大法弟子になりました!

 アメリカに戻った後、母はすぐに地元の学法グループに溶け込み、みんなが母に関心を寄せ慈悲深く接したので、完全に人間が変わりました。母は1年に2回ある法会に、参加するだけではなく、慈悲で偉大な師父にお目にかかり、パレードに参加し、集団煉功し、若い大法弟子に少しも負けてはいませんでした。これはすべて師父の慈悲な済度であり、師父の洪大なる恩恵でした!

 多くの縁のある人が、苦しみの中で私たちが救い済度しに来るのを待っています! 弟子は偉大なる師父にお礼を申し上げます!

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法八』「二〇〇七年ニューヨーク法会での説法」

 (明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2015/11/3/318469.html)
 
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