文/山東省の大法弟子
【明慧日本2016年9月3日】
慈悲で偉大なる師父、こんにちは!
同修の皆さん、こんにちは!
明慧ネット第12回大陸法会の場を借りて、修煉の中で内に向けて探すことに関するわずかな体験を師父にご報告いたします。
相手の態度を見て自分を探す
私の家の学法グループは成立してから数年が経ち、ほとんど毎日、午後に学法しています。午前中は外で真相を伝え、この数年がまるで1日のような感じでした。学法グループの人数は固定しておらず、多い時は13~14人、常に参加している同修が7、8人です。年齢が最も高い人は78歳で、最も若い人が30歳代です。多くの同修が三つのことを比較的穏やかに、しかし、しっかりと行っています。
しかし、ごく一部の同修は態度が悪く、たとえばその中の1人の未婚の青年男性はまったく真相を伝えず、大法を実証することも基本的に行わず、その態度はまったく大法弟子の様子ではありませんでした。数年前、その同修は市内全ての学法グループを回りましたが、行く先々で同修たちはその青年に対して反感を抱き、排斥しました。ある同修がノックする音を聞いて玄関のドアアイからみるとその青年がいたので、ドアを開けませんでした。結局、その青年はまた私の家の学法グループに戻ってきました。
その青年が来てから、私たちのグループでは、以前の和やかで落ち着いた雰囲気が壊れました。同修たちは妨害を受けたと感じ、その青年に対する反感の心が起こりました。まず、その青年は毎回、私の家に来る時にドアをノックするのではなくドアを叩くので、音が特別大きく、まるで邪悪の徒のようで、青年がドアを叩く音に私はいつもびくびくしていました。向かいの家には役所の職員が住んでいるので、学法グループの安全と、近所の人たちの昼休みに影響を与えないように(午後1時半から学法を開始している)、何度もその青年に「音が大きくならないようにノックしてください、軽く数回ノックしてくれれば聞こえますから」と言いましたが、その青年はまったく聞こえないかのようにいつもと同じように力任せにドアを叩きました。その青年は私の家に入ってくると、いつも自分の家に入って来るかのように勝手に振る舞いました。ほかの同修は入って来たら、すぐに座って真剣に学法しますが、その青年は、まず一つ一つの部屋を一通り視察し、トイレでさえも入って見なければならないようでした。そして、家の中でおいしそうなものを見つけると無遠慮につまんで食べ、時には、師父の写真の前に供えた果物を何も言わずに取って食べたり、弁当箱の中のおかゆを見つけてはスプーンで飲んでいました。バスルームでは蛇口をひねって手を洗い、洗い終わった後はいつも蛇口を閉めず、ザーザーという水の流れる音を聞いてやっと私はその青年が蛇口を閉めていないことに気づくのでした。その青年は学法しに来たのではなく、まるで私の家をわざと荒らしに来るかのようでした。何度もその青年に道理を伝えましたが、一言も聞き入れなかったので、ある時、怒って言い争いをすると、その青年は私を罵った後、ドアをしめて行ってしまいました。
学法グループの同修たちはその青年に妨害されて静かに学法できず、我慢できなくなり、ある同修は憤懣やるかたない様子で「他の学法グループは彼を受け入れないのに、どうして私たちは彼を受け入れなければならないのですか? 彼を呼ばないでください」と言いました。また、ある同修は文句を言いながら「彼を呼ぶことは自分から面倒をしょい込む、ということです」と言いました。同修たちの言うことをいろいろ聞いて「修煉は事実だけで得失を論じることはできないので、私と同修たちは向上しなければならない」と思いました。
そこで、私は同修たちと真剣に学法しました。師父は「こういうことが現れると、皆『なぜ大法弟子の顔に泥を塗り、こういう人が現れたのか』と焦ってしまいますが、皆さんは自分のどこかが間違ったのではないかと考えていません。実は自分が本当に分かるようになり、正しく行なったら、これらの人、これらの現象はなくなり、なぜなら、大法弟子の中にいかなる偶然な事もなく、これは許されないことでもあり、誰もこのように行なう勇気はないからです」[1]と説かれました。
師父の法は私たちの問題を解決してくださいました。
師父の法を以って自分を照らすと「この同修が何度も家に来たとき、彼の勝手な行為を表面上は我慢しているように装っているが、内心ではまったく我慢できておらず、彼がドアを叩く音を聞くといつも心が穏やかでなくなり、彼を軽蔑し、反感や焦りなどの多くの人心が出てきていた」ことに私は気が付きました。これらの心に対して正念を発して取り除き、同時にその青年に対して正念を発することも忘れず、その青年の背後で青年を操る愚かで邪な要素を取り除きました。それからは、その青年がまた家に来た時でも、心は平静で、同修たちも法を以って自分を照らし、各自の執着心を見つけ出した後、正念でそれを取り除きました。
私たちの変化に伴って、その同修も変わり、その次にドアをノックした時の音はそれほど大きくなく、また家の中を歩き回ったり、勝手に食べたり飲んだりすることもなくなり、さらに静かに座って真剣に学法するようになり、学法する時の声も正常で、以前のように後味の悪くなるようななまりを聞くこともなくなりました。
今回の件で私は深く感動し、「修煉者が内に向けて探すことの素晴らしさ」を本当に理解しました。
恐れる心を取り除き学法を堅持すれば学法グループは動じない
ある時、数日の間に市内の十数人の大法弟子が610弁公室によって不当に連行され、家宅捜索をされて同修の間は大きく動揺しました。ある同修は、学法グループをすぐに停止するよう提案しました。理由は私の家族を思いやったからで、学法に来ていた多くの同修がとりあえず学法グループをしばらくの間止めることに同意しました。
私は「一つの心も動じなければ、すべての動きを制することができるのです」[2]という師父の教えを思い出しました。この時、心の中にそれ以外のことは浮かばなかったので「学法グループでは学法を堅持し、止めるわけにはいきません」と言いました。そして、ある同修が本を持って立ち去った後に、私の発言の重大さを認識し、すぐに落ち着いて内に向けて探しました。そしてまさに自分が持っている恐怖に対する執着心を見つけました。同修たちにもこのような恐怖がありました。そこで正念を発する時、恐れの物質を取り除いてくださるよう師父にお願いしました。すると私の心は清らかになり、学法グループは1日も停止することはありませんでした。私たちが行う三つのことにも何の影響もありませんでした。さらに、本を持ちかえった同修もすぐに私たちの学法グループに戻ってきました。
今回の件についての私の目ざめは大きいものでした。もし自分に原因を探すタイミングが悪く、学法グループがいったん解散してしまったら、いつまた学法グループを立ち上げることができるかわからず、それは師父が私たちのために按排してくださった集団学法と、共に向上する良い環境を破壊してしまいます。学法グループは師父が私たちに残してくださった修煉の道なのですからとても重要で、私たちはしっかりと守らなければなりません。
内に向けて探すと年配の同修の正しくない状態が消えた
学法グループ内の78歳の同修(以下・Aさん)はある時、階段を下りる時にうっかりして足首にけがをしたので、Aさんの娘さんがAさんを学法グループまで連れてきました。1時間以上座っていたので、Aさんは立ち上がれず、立ち上がっても立っていられませんでした。その時、1993年の健康博覧会で師父が修煉者に足を踏み鳴らさせた事を私は思い出したので、Aさんにも勇気を持って立ち上がるように励まし、私と一緒にトイレに行きました。トイレから出て来ると、Aさんの足は痛くもなく、腫れてもおらず、すべてが正常に戻っていました。その場にいた同修たちはこの出来事を目の当たりにしました。
次の日、Aさんが学法に来た時、失禁しました。Aさんのいる所にビニールを敷き、Aさんが立ち上がって帰って行った後、室内がとても臭くなり、同修たちは匂いに耐えられなくなり、みんなは二度とAさんに学法に来てほしくないと思いました。この出来事に直面して、すぐに自ら内に向かって探しました。すると、私にはAさんを嫌だと思う心がありました。そこで私は同修と一緒に内に向けて探し、各々が取り除かなければならない心を見つけ出し、正念を発してそれらを取り除き、同時に師父にご加持を求めると、私たちの心性はすぐに向上し始め、Aさんの失禁もなくなりました。
何日もしないうちに、今度はAさんに嘔吐の問題が現れ、食べては吐き、体がだるくなり、目さえ開けていられない状態になりました。Aさんの家族は「彼女を病院に連れて行き治療しなければなりません」と言い、Aさんも病院の薬局を退職した職員だったので、Aさんの心も穏やかではなくなりました。Aさんは私に「家族は病院に連れていこうとしていますが、行くべきでしょうか?」と聞きました。これがAさんに対する邪悪の迫害であるとわかっていたので、Aさんに「あなたは行くべきだと思いますか?」と反問しました。するとAさんは「行くべきではないと思います」と言いました。そこで私は「見極めなければならないことは旧勢力の妨害と迫害ですから、旧勢力の按排を一掃してくださるよう師父にお願いし、師父が按排してくださった修煉の道を歩みましょう」と言いました。
するとAさんは不安な心を放下し、師を信じ法を信じた結果、時間がそれほど経たずに完全に正常に回復しました。
師父が私たちに残してくださった集団学法の環境の中で、互いに助け合い、共に向上できたことを師父に深く感謝します。現在、Aさんは非常に精進しており、毎日、三つのことを心がけて行い、特に真相を伝えることは1日も遅らせた事はなく、救った人数も少なくありませんでした。
江沢民告訴を行う中で内に向けて探す
江沢民告訴は師父が按排してくださった、真相を伝え人を救い、共に向上するための機会なのです。最初、私は同修たちと交流し「積極的に参加すべきだ」と認識しましたが、常に存在する恐怖に対する執着心のために、最初は誰も先に行おうとしませんでした。すると、ある同修が私に相談し「まず私の訴状をまとめるのを手伝ってください」と言いました。私は「何を恐れるのか、江沢民は私を16年間迫害し、そのせいで家族は滅茶苦茶になり、子供たちの仕事も巻き添えを食らい、これでも江沢民を告訴しないというのか」と思いました。そこで私が率先して行うことにしました。同修はすぐに江沢民に対する告訴状をまとめ上げるのを手伝ってくれ、北京へ郵送すると、すぐに中国最高法院と最高検察庁が署名した配達証明書を受け取りました。
私の行動によって、学法グループの全ての同修が積極的に訴状を書き始め、短時間の内に訴状を中国最高法院と最高検察庁宛てに郵送し、受取人が署名した配達証明書を受け取りました。
訴状を郵送した後、心の中にまだ恐れがあることが発覚しました。自分が歩んできた修煉の道を振り返ると、不当に13回連行され、労働教養を3回科されたうえに、懲役4年の判決を受けました。刑務所では大法に対する信仰を堅持したためにさまざまな拷問による苦痛を受け、心の中に残酷な迫害を受けたことによる暗い影が残っていました。そこで、この江沢民告訴の機会をとらえ、この心の中の暗い影を取り除くことにしました。
この時、私は、迫害されて無駄な道を歩み今なお厳正声明を書いていない同修に対して、また、迫害を受けた後にまだ出て来ることのできない同修に対して「かつて私もあなたたちと同じ難を経験しました。そして、真に内に向けて探した時、師父の法の中の要求に従ってしっかり行っていなかったために中国共産党に隙を突かれて迫害を受けたのだ、ということを認識しました。現在、大局的には数年前と比較するとかなりよくなっており、中国共産党の邪悪勢力はすでに少なくなっています。現在の時間は師父が大きな慈悲を以って延長なさったもので、その目的は大法弟子がもっと多くの人を救うためです。同修よ! 早く戻って来てください! 縁は得難いものですから、師父は私たちが常人から抜け出すことを待っておられます。自分の生命に永遠の遺憾を残さないでください」と胸中を吐露しました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」
(明慧ネット第12回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)