私の可愛い娘が戻って来ました
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文/中国の大法弟子 慧蓮

 【明慧日本2016年9月21日】娘が3歳の時に、私は幸運にも法輪大法を修煉し始めました。私は大法が迫害されるまで、酷暑厳冬にかかわらず、娘を連れてあちらこちらで法を広げ、集団学法に参加し、広場で煉功をしました。利口で可愛い娘は、だんだん成長していきました。どこか調子が悪くなっても、いつも「師父がついていてくださるから、怖くありません」と言って、本当に何の問題もなく、とても元気に過ごしました。幼稚園から小学校まで、娘はいつもいい子で、私の自慢の娘でした。

 しかし、中学校に入ってから、娘は私と交流をしたがらなくなりました。思春期だから、反抗心が働いているのかなあと思いましたが、そのうち自然によくなると信じていました。しかし、娘はますます自分の殻に閉じこもって、いつも男性歌手の歌を歌ったりしていました。時には、好きな男性歌手のポスターを買ってきて、そして、恰好もますます男性的になっていきました。私はできるだけ彼女に説得しましたが、まったく聞こうとしませんでした。父親(法輪功を修煉していない)もいつも彼女に嵐のような怒り方をしましたが、いずれも効果はありませんでした。

 ある日、私は彼女の日記を調べました。最も心配した事が現実として起きていました。彼女に同性愛の傾向があることが明らかになりました。これは晴天の霹靂でした。私の精神は崩壊寸前となり、わが子をオオカミに取られたような想いがして、心は酷く痛みました。

 それ以来、私の精神的なプレッシャーはますます大きくなりました。娘を助けられるのは大法しかないと思いました。ある日娘に「お母さんと大法の本を読みましょう」と提案しました。大法は万能であることを知っていたからです。しかし、娘は大法修煉に非常に抵抗して「大法は素晴らしいです。お母さんはしっかり修めてください。私は大法の基準に到達していません。自分の好きな事しかしたくありません」と言いました。自分の行為が大法と背離していることを娘は知っていたようでした。

 仕方なく、心理学の専門家に相談しました。多くの方法を試みましたが、結局、娘を変えることはできませんでした。最後には、私たちの間で、このことについて触れることができず、親子は普通に面と向かって話す事すらできなくなりました。父親もいろんな手を使って、絶縁の合意書まで書きましたが、すべて効果はありませんでした。

 大学入試が終わりました。大学に通ったら、少しは変化が起きるのではないかと期待していました。しかし、状況はますます悪くなる一方で、彼女のそばに女の子が顕れ、しかも、彼女たちは付き合い始めました。

 友人の姪も同性愛者でした。そのため、彼女の母がリストカットまでしても、何の役にも立たなかった、という話を友人から聞きました。また、他の人からも「彼女の妹もそうですよ。もうすぐ40歳なのに、結婚もしていません」とも聞きました。このような話を聞く度に、本当に苦しくてたまりませんでした。同性愛は麻薬を吸うのと全く同じことだからです。

 このことを思うと、いつも黙って涙を流しました。話ができなければ、手紙を書こうと思いました。ある日、私は夜中の2時まで娘に手紙を書きました。パソコンの横に置いていたタオルは涙でびしょびしょにぬれました。私は書きながら、熟睡している娘を見て、心の中で「娘よ、たった一人の私の娘よ」と娘の名前を呼びました。「この人々を腐敗墜落させる同性愛が、どれほどの家庭を、このようにひどい目に遇わせているだろうか」と思うと心が痛みました。

 手を尽くすだけ尽くして、なすすべがなくなり絶望していた時、私の心の底から、1つの声「法輪佛法は無辺な佛力がある」が聞こえました。私の目の前は突然明るくなりました。李洪志師父のお言葉「皆さんに教えますが、私たちは修煉の人として、できるだけ慈悲をもって周りの全ての衆生に対処すべきです。」[1]「私が思うには、くれぐれも意気消沈しないください。誰に対しても慈悲をもってこのように対処し、鉄鋼を溶かすほどの慈悲があれば、良く行うことができます。」[1]が頭に浮かび上がって来ました。

 私は法輪大法を固く信じて、師父のお言葉を信じています。私の心に再び希望の火が灯りました。心の中で黙々と師父に「娘にも私と同じように法輪大法を修煉させてください」とお願いしました。

 希望に満ち溢れ、娘が戻ってくるのを期待していました。今年のお正月に、娘は父親と再度激しい衝突をして、家出をしてしまいました。彼女は地方の空港で一晩泊まっていました。その時、私は家を空けていましたので、娘から電話をもらった時、私の心は砕けたように痛みました。本当に骨身にこたえるほど痛かったのです。その日の夜中の1時まで娘を説得して、一睡もしませんでした。最後になって、彼女はとりあえず友達のところに泊まることを約束してくれました。

 1週間後、娘と時間を約束して、一緒に家に戻って来ました。家についてから、私は何も言わず、いつも通り娘の大好物のスパイシーなチキンナゲットを作ってあげました。

 それからは、私は真っ向から娘に説教をせず、だらだらと愚痴を言わず、責めもしませんでした。更に、彼女に差別的な言葉を使ったり、冷たくしたりもしませんでした。私は師父のお言葉を信じて、無条件に彼女に優しく対処しました。

 最近、私はいつも彼女の寝室に大法の本を置いておきました。たまには、自分の修煉体得を話したりもしました。大法の素晴らしさも話しました。彼女はもう私を拒否するようなことをしなくなりました。私は嬉しくなって「一緒に大法の本を読めたら、なんて素晴らしいでしょう」と言いました。娘は「お母さん、私は心では分かっています。明日、一緒に『轉法輪』を読みましょう」と言いました。「本当ですか。私の聞き間違いではないのですね」と言いました。心の中で「娘が戻ってきました、娘が戻ってきました」と師父にお礼を申し上げました。

 翌日から、私たち2人は2日間かけて、師父の説法ビデオ9講すべてを拝見しました。それから、一回、また一回と『轉法輪』を読みました。夜、私たちは家族3人で『中国共産党についての九つの評論』の動画を見ました。大法弟子が迫害されたシーンを見た時、娘は涙を流しながら「お母さん、もし、善悪に報いがなければ、それは本当に天理がないということですよね」と言いました。私も泣きながら「善悪には必ず報いがあるのよ」と言いました。私達親子は抱き合って声をあげて泣きました。大法は娘の心を浄化してくださり、彼女の善良な本性を再度顕してくださいました。

 今年の正月、我が家では「新唐人テレビ」が視聴できるようになりました。娘はとても好きになって、また父親にも「『新唐人テレビ』の番組だけ見たほうがいい」と言いました。さらに、父親にも『轉法輪』を勧めました。娘は「小学校から大学卒業するまで何百冊もの本を読みましたが、心を打たれたのは『轉法輪』だけです」と言いました。父親も大法の超常的な力を目の当たりにし、娘の奇跡的な変化を見て、徹底的に大法に対する態度を変えました。時々、私たちと一緒に法を学んだりするようになりました。

 法輪大法は我が家に大きな幸せをもたらしてくださいました。娘は最近外資系企業に就職して、幹部育成プロジェクトに編入されました。

 私の可愛い娘が帰ってきました。

 法輪大法の師父に感謝いたします。師父は、優しくて、聡明で、親孝行な娘を悪魔から救ってくださいました。

 注:
 [1]李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/10/333581.html )
 
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