功法を演じる時に現れる問題
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文/海外の大法弟子

 【明慧日本2016年9月27日】法輪大法を広めるイベントの中で、修煉者による功法の実演はいつも多くの常人の目を引きつけ、足を止めて鑑賞する人も少なくありません。さらに興味を示す人は写真を撮ったり、ビデオを撮ったりしています。これらの写真や映像が人々によってソーシャルメディアに載せられると、相当の宣伝効果が期待でき、本来はとても喜ばしいことです。しかし、一方、懸念すべきことも同時に生じています。それは、私たちが功法を披露する中で、よくない精神状態と正しくない動作が、大法のイメージに影響を与えることです。

 毎回、功法を始めるとき、最初は問題ありませんが、時間が経つにつれて、或いは気温が暑すぎると、皆さんは次第に疲れて来て、功法の動作がだんだん乱れて、功法に要求された「表情を安らかにします」から遠ざかって来ます。当然、修煉者はそれに気づくと、すぐに訂正しますが、しかし、このような現象はかなりの頻度で起きており、持続する時間も短くありません。時には、1時間の静功の中で、40分以上動作が正確でない場合もあります。その間、本人が意識して、あるいはほかの同修の注意を受けて、姿勢を調整しますが、しかし、数分後には、また元の姿勢に戻ってしまうことがよく起きるのです。

 同修には、老若男女がいて、身長や体形、また民族も異なり、それぞれ特徴を持っているため、動作はまったく同じようにはなりません。しかし、私たちは自らできるだけ動作を正確に行い、美しく演じ、常に自分の振る舞いに注意したり、チェックしたりする習慣を身につければ、問題はないはずです。それは、大法修煉者がやるべきことでもあるからです。こうして、はじめて、大法修煉者の健康で、平和なイメージを常人の観客に与えることができ、大法と出会う機縁を通して、彼らに大法に対してよい印象を与えることができるのです。

 慈悲の視点から見ても、私たちはこのことをもっとしっかりやらなければならないと思います。法を広める中、私たちは大法に対して、あまり深く理解していない常人を相手にしているので、もし、そのときに、しっかりやっていなければ、通りかかる多くの人に、マイナスのイメージを与えてしまい、それによって、彼らが救われることに障害と困難をもたらしてしまうかもしれません。また、下心のある人に利用されてしまうかもしれません。反対に、もし私たちの振る舞いや動きが正しければ、積極的な宣伝効果も大きくなります。修煉者の実際の行動に顕れた美しさと品格はとても強い影響力と説得力があるため、多くの世間の人に大法に対して理解と尊敬の意を持たせることができます。

 一方、一部の同修の間では、法を広め、資料を配り、真相を伝える時、疲れを感じるようになったら、よく、「しばらく功を煉って、休むように」と勧めています。互いに気遣うことはとてもよいことですし、交替して煉功することも全然かまいません。しかし、肝心なのは、考え方は行動と振る舞いを決めるものです。煉功は確かに、休息と疲労回復の効果がありますが、しかし、そのような場所での煉功は、休息のためではありません。それは功法を演じることによって大法を広めており、厳粛な事です。もし、その時、心の中で、自分の休息のために煉功していると思えば、同じ功法を演じても、顕れた効果はかなり違うでしょう。もしかしたら、本当に休息になってしまうかもしれません。そうなれば、いったい何のために功法を演じているでしょうか。それに対して、もし法を広めることを考えていれば、きっと自分の振る舞いと動作にもっともっと注意を払うべきでしょう。

 ここでは、主に街の中で法を広める時の例を挙げていますが、実は各煉功点や外での集団煉功、パレードやイベント、その他の法を広めるプロジェクトの中での集団煉功にも、同じ問題が存在しています。

 同修のみなさん、ともに努力して、常に自分の煉功の動作を点検して調整し、大法のイメージを護り、世間の人に良い印象を与え、効果的に衆生を救い済度しましょう。

 個人的な認識の限りがありますので、不適切な所があれば、ご指摘をお願いします。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/9/16/334764.html )
 
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