明慧法会|修煉初期に起きた事
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文/重慶の大法弟子 正心

 【明慧日本2016年10月23日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 幸運にも今回の修煉体験交流会に参加できて、本当に光栄です。今回は、法を学び修煉し、大法を実証したわずかな体験をご報告しますので、適当でないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 一、師が弟子を探し大法に出会いとてもうれしく思った

 師父は億万の大法弟子を成就させるために、宇宙の形成の初期に系統的に按排なさいました。師父は全宇宙で法を正すためだけでなく、大法弟子が修煉を始めて、師が法を正すことをお手伝いし、ひいては圓満成就できるよう苦労なさっておられます。

 私は1994年に修煉を始めました。修煉を始める前に、師父はすでに私に関わってくださっていました。1991年初夏のある日、山の上の枇杷山公園の高地で御来光を拝んだ時、その日は見渡す限り晴れていて、いたるところジャスミンとランとコウシンバラが風に靡いて花の色さえにおうようで、よい香りが満ちていました。真っ赤な太陽が青色に変わるのが見えました。その光は美しくて優しく、まぶしくなかったので見入っていると、「青い太陽」は突然見えなくなり、よく見ると、巨大な佛が空を覆い、足で雲を蹴り、稲妻のように真正面から迫って来たかと思うと、巨大な佛は飛行中に急速に小さくなり、近づいて来た時にはすでに私と同じぐらいの大きさになり、ただ「ゴー」と鳴っていただけでしたが、体全体にずしんと来て、頭の中は真っ白になりました。体験したことは、まるで昨日のことのように明晰に覚えています。

 1994年5月、光栄にも私は重慶で行われた師父の伝授クラスに参加しました。伝授クラスに参加する前に、『法輪功』を拝読しており、とても素晴らしく書かれていると思い、崇拝していました。伝授クラスで師父は演壇上で説法なさっており、説法を拝聴した後、感動のあまり声を上げて泣いてしまったことが時々ありました。師父の法が素晴らしいと知り、この生涯で待っていたものはこの法だったのだ、ということを知りました!

 以前、佛教に帰依し、気功師になって功を出していたことがあり、小手先の技も使っていましたが、それは高次元の法を知らなかったからでした。修煉を始めた後は、まさに師父が説かれた「いったんわれわれの法輪大法を学んだら、人生の中で知りたくても答えが得られなかったたくさんの問題がたちどころに分かるようになります」[1]のとおりでした。法の貴重さを知り、また師父の説法の重さを知り、さらに法を少し悟り、大法を尊敬するようになりました。

 修煉を始めた後、私はむさぼるように学法煉功を行いました。退職後は時間が十分にあったので、短くても毎日8時間、長ければ12時間煉功しました。大体は頑張って10時間以上煉功し、余った時間に『法輪功』を読みました。その時はまだ『轉法輪』が発行されていませんでした。

 二、師父は高い次元への修煉に私を連れて行ってくださった

 1994年、大法を修煉し始めた後のある日の晩の12時、私はその時ベッドに横になっていました。ゴーンという何かが爆発する音だけが聞こえ、エネルギーがとても大きく、それは他の空間から聞こえてくるものすごい音で、その音は頭部、下腹部、体や耳の中で共振し、下腹部の震動がきわめて強く感じ、爆発音に伴って六根震動(訳注:小周天から大周天へ移行する時に起こる状態)が起こり、エネルギーが特別大きく、仰臥していた体は爆発のエネルギーによって瞬間に持ち上げられ、舞い上がり宙に浮きはじめ、その後、体は自然に下がって行きました。天目で見ると、爆発音に伴って発生した光のエネルギーは青白く極めて強い光を発し、その光は地球を通り越し、他の空間も通り越すほどその輝きはこの上ないもので、遠く、大きく、とても大きく見えており、途方もなく広々とした壮観な場面でした。

 私は「これは師父が私の体と功の大掃除を行ってくださったのかもしれない」と思いました。なぜなら、以前の私が修めた小道小法のものはみな低く、悪いものも良いものもあり、玉石混交だったからでした。師父が行ってくださった大掃除は私の生命、私の修煉を高い次元に向上させるためであり、法輪功の修煉に入るための要となる第一歩だったのです。衝撃的な大掃除を通して、体が浄化されただけでなく、汚いものが取り除かれ、私の功も正され体が純粋になり、本当に私を高次元の境地へ連れて行ってくださいました。弟子は師父のご恩と洪大な慈悲を心に刻んで永遠に忘れません。

 建物が揺れ動いた

 私の家は嘉陵江のそばにあり、四つの集合住宅がつながるように建つ10階建てです。家の外にあるベランダは川に面しており、煉功するのによい場所でした。その出来事は1994年の7月から8月にかけて起こりました。その日、「佛展千手法」を煉っていた時、大地が揺れたように感じ、足元がぐらつきました。目を開けると、私が立っているベランダとすべての集合住宅が揺れ動いていたので、地震が起きたのだと思いました。しかし、家族も隣人も、地震などなかった、と言いました。しばらくして、煉功している時に建物と一緒に揺れ動く現象が再び起こりました。

 師父は「われわれは、宇宙の演化の原理に従って修煉し、宇宙の最高特性─真・善・忍という基準に基づいて自らの修煉を指導しているのです。われわれはこれほど大きなものを修煉しているのであり、宇宙を修煉していることに等しいのです」[1]と説かれました。

 大法弟子が煉っているのは宇宙ですから、威力が大きいのです。地球は宇宙の前では非常にちっぽけで、ましてや人間界の山や水などの一部の地域はさらにちっぽけなのです。ですから、大法弟子が煉功する時の強大なエネルギーは、時には人間界の山や水や建物などの非常に狭いところに波及するので、大地がどよめいたとしても、それは正常なことなのです。

 細胞運動

 1994年のある日、「神通加持法」を修煉していた時、全身の細胞の驚くような運動が起きました。その時、雑念が少なく、入静の状態が良かったのです。1時間座禅した時、全身に電気麻酔にかかったような強烈な感じを受けました。両の掌が特に強く感じ、さらにシュッという放電音が聞こえました。1時間半座禅した時、入静した体は突然生き生きと動きだし、全身の細胞が同時に動いているような感じがし、カタカタと音が出始めました。この躍動感は全身の五臓六腑に、中から外まで、上から下まで、ミクロから表面にまで、すべての細胞が全身の筋肉と合せて一体となり、規律を持って、リズムを刻むように蠕動し、体を震わせ、この素晴らしく壮観な場面は言葉では表現できないものでした。続けて2時間近くになった時、さらなる愉悦と素晴らしさを身と心に体験しました。

 師父は説法の中で「第五功法はわたしが自ら独修したときのもので、すこしも変えずに皆さんに伝えました。主な目的は、あなたが高い次元で修煉するときに、参考にできる法があって、煉ることのできる功があるようにするためです」[2]と説かれていました。

 こんなに貴重な功法を私たちは得たのですから、どれだけ幸せでしょうか。これは師父の弟子に対する広大な佛恩と無量の慈悲でした!

 そして、師父が「神通加持法」を自ら伝授してくださったことを私は悟り、大法弟子が師父から賜ったものは「極めて大きい信用、極めて大きい佛力、極めて大きい佛縁、極めて大きい幸せ、極めて大きい光栄!」であったことを悟りました。こんなにも貴重な功法と佛縁なのですから、私たちは本当にしっかり学び、煉功し、修煉しなければならないのです! 今は法を正すことがすでに終わりに近づいているのですから、法をよく学び、三つのことをしっかり行わなければならないのです。同時に、精進し着実に「神通加持法」を修煉するよう同修を励まさなければならないのでした。

 三、過去の過ちを正すよう師父が悟らせてくださった

 その出来事は1995年2月初めに起こり、その日の晩、師父の夢を見ました。

 夢の中の情景は島のようで、師父が中年の女性と海岸を歩いていらっしゃるのをお見かけしました。海は青く、砂浜は柔らかく、広々とした大自然が素晴らしい景観でした。まるで映画のようにその場面に入って行くと、師父は天上と下界を心配なさる余り大法をお伝えになり、海岸を歩きながら空や海を観賞なさっているのではなく、師父のお心はいつも大法弟子と緊密につながっておられるのでした。

 この時、場面には師父がお話になるシーンが現れ、師父はその女性に「xx市のxxxですが、この人はとても危険です!」とおっしゃいました。私はびっくりし、というのも、師父がおっしゃったこの人とは私のことだったからでした! まさか私が何か危ないことをしたのでしょうか? 夢の中で考えてみましたが、本当に納得がいかず、目が覚めるとびっしょりと汗をかいていました。

 師父がおっしゃった「危険だ」というお言葉にショックを受けました。1994年5月から修煉を始めてこの夢を見るまで7、8カ月の時間しかたっていないのに、なぜ「危険」なのでしょうか? 師父は私に悟らせようとなさっていましたが、何も明示してはくださいませんでした。

 師父は法の中で「あなたに全て詳しく説いてしまえば、あなたが修煉して悟る部分はなくなります。具体的な問題については己で悟り、己で修煉すれば、はじめて修煉となって、はじめて向上できるのです」[3]と説かれていました。

 師父は何が「危険」なのかをお示しにならず、「危険」の原因もおっしゃらず、また、どの方法で解決すればいいのかもおっしゃいませんでした。

 私は自分が大法を修めてきた歴史を振り返って見ました。以前、いろいろな門派、いろいろな流派、いろいろな宗教の功法を多く学び、気功師になった事もあり、佛教徒になった事もあり、千冊を越える気功書も持っていました。しかし、大法を学んでからは、その他の門派の功法を放棄し、たとえそれが卓越した学問であったとしても放棄し、専一に法輪功を修煉し、法輪功を着実に修めてきました。煉功と学法の面において尽力してしっかり行ってきており、個人的な見解ですが、どちらかといえば精進している大法弟子だと自分では思っていました。それなのに、「危険」だという問題は、どこから出てきたのでしょうか?

 この時、私の頭の中にすぐに「治病(訳注:病気治療)」という2文字が浮かんできました。あっ! 思い出しました、修煉を始めた初期(1994年後半から1995年1月)、立て続けに何人かの人が病気を治してほしいと私に会いに来ました。病人はすべて集合住宅に住む隣人で、危篤の病人でした。病人の家族は子供を抱いて私の家に来て、ある家族は土下座して私に助けを求め、ある家族は助けに来てほしいと大声で求めました。隣人たちはみな私を訪ねまわってやっと門口までたどり着いた人たちばかりで、「人命救助が最優先だということは是非に及ばない」と思い、私は手を出して治療しました。

 私は修煉を始めて間もなくの時で『轉法輪』もまだ出版されていませんでした。法をよく理解しておらず、他人から金銭を受け取らず苦痛や災難を取り除いたのだから良いことをしたと思っていましたが、病気治療が重大な問題を出現させるとは、本当に思ってもいませんでした。

 師父は『轉法輪』の中で「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています。苦しみを味わうことはほかでもない『業』を返すことなので、いかなる人といえども勝手にそれを変えるわけにはいきません。変えてしまうと借金を踏み倒してもよいということにもなります。しかも勝手にこのようなことをしてはなりません。さもなければ、悪事を働くことに等しいのです」  「癌患者を二人も治したら、あなたがその代わりにあの世に行かなければならないのです。 恐ろしいことではありませんか?」[1]と説かれています。

 法を勉強して「手を出して病気を治すことは大法を破壊する行為である!」ということを認識しました。それは天理天法に背き、悪事を働き、大きな業力を作り、大きな間違いを犯し、大きく徳を失った、ということだったのでした! さらに、手を出して病気を治すということは、自分の生命と修煉に対して無責任で、深刻な危害を与えるので、大法弟子は絶対に病気を治してはならないのです。

 夢の中で師父が教えてくださったので、病気を治すことの危害を認識し、法理がはっきりとわかったので、病気を治すというまちがった道から飛び出し、以前の病気を治すという考え方と行為も大法に基づいて正されたのでした。弟子は広大な師父のご恩に深く感謝し、師父の慈悲な済度に感謝いたします。

 四、法を学び暗記した法を念じ法を書き写す

 1999年7.20以前、私の家は学法場所でした。週末と祝日・休日(正月も平常通り)も集団学法の素晴らしい時間でした。学法の人数は普通は十数人で、時には20~30人で、もっと多いこともありました。みんな学法の重要性を知っており、師父と大法を信じ、誠実に集団学法に参加していました。法を読む時間がどんなに長くても、ページ数がどんなに多くても、学ぶ困難がどんなに大きくても、いつも最後まで学び通しました。

 はっきりと覚えているのですが、『轉法輪』を読み始めた時、十数時間読み続け、休みなしに通読しました。その後は7、8時間読み、さらに読み方は非常に整っていました。学法中、たまに水を飲んだり、トイレに行ったりする修煉者がいましたが、みな静かに行って静かに帰り、みんな自覚をして、話をせず、人を騒がせることはありませんでした。

 これら修煉者の中には師父の伝授クラスに入った者が多く、輔導員も多くいました。その中の2人の修煉者は際立っていました。1人は膝をついて『轉法輪』を通読し、もう1人は座禅しながら『轉法輪』を通読し、途中、1度も立ち上がりませんでした。冬はコンクリートの床が硬く冷たくなって修煉者を困らせ、夏はズボンをだけ履いて跪まずいて辛抱し通し、長時間跪まずいて学法したために、その学習者の両足のひざのお皿部分には厚いたこができていました。

 1人で学法する時、1日に『轉法輪』を2回通読し、2、3時間煉功しました。その頃、グループで法を暗唱するのも、1人で法を暗唱するのもすでにその習慣が自然になり、歩いている途中で、乗車中に、暇な時に、時間があれば『論語』や『精進要旨』、『洪吟』や師父の短い経文などを暗唱しました。

 ある時、寒の入りの寒空の晩、早めにベッドに入り、ふとんにもぐりこんで法を暗唱すると、暖かく快適で、学法していると眠くなり、法を暗唱していた時、重い物が胸を圧迫するのを感じ、息がつけなくなりました。そこで、私は「私心や雑念が入ったまま眠くなって法を暗唱するのは師父に対しても、法に対しても不敬になり、それは大法を破壊する行為であり、天理が許さないのだ!」と認識しました。弟子は一刻も無駄にせず法を多く学ぶことが良いことだと思いましたが、寒さを恐れ安逸を求める私心を抱いて眠くなって法を暗唱すれば、師父に対しても、法に対しても不敬になり、業を作ってしまったのでした。法理がはっきりとわかった後、「寒さを恐れ安逸を求める」人心を除去し、自分を正しました。

 師父は「私はいつも法を説くとき、口をすっぱくして本を読みなさい、本を読みなさい、本を読みなさいと皆さんに教えています。本を読みさえすれば、想像を越えるもっと良いものを得られます」[4]と説かれました。

 確かにそうなのです。十数年前、学法していた時、時々『轉法輪』の本の中の字が色を帯びているのが見え、字の下に赤く太い点と太線があり、さらに純白に輝く光がまるで宝石のように光り、行間が光り、いろいろな色に光り、大法の書籍を読んで心が非常に奮い立ったのでした。深く学法をするにつれて、『轉法輪』の法が集中して頭に刻み付けられました。

 その頃、法を学び暗記した後に目を開けると、空だろうと、壁だろうと、天井だろうと、その他の場所だろうと、見たものは全て『轉法輪』という経文の中の文字でした。目を閉じた時も同様で、大法の経文がすべての空間、すべての宇宙のどこにでも満ちている、と感じました。この状態が現れると、寝ている時でも、起きた後でも、天目だろうが肉眼だろうが、見える物は全て法でした。さらに別の空間の私が『轉法輪』を暗記しているのが2度聞こえてきました! そして、その内容はこの世間での『轉法輪』とは違う内容でした。

 ある日、精神を集中して『轉法輪』を拝読していた時、突然両耳がゴーンと鳴りました。それは他の空間から伝わって来たもので、爆発音とともに体から出て来た人は私とそっくりで、『轉法輪』の本と私の間に立ち、本を読んでいる私の視線を塞ぎ、私の意念が「その人が私自身である」ことを認めるのを待った後、その人は瞬間に小さくなり、『轉法輪』の本の中に飛び込んでいきました。

 それから間もなく、『轉法輪』を拝読している時、よく知っているもう1人の同修が見えました。その同修は跪いて一気に『轉法輪』を読み終えたあの同修で、顔を斜めにして『轉法輪』の中に飛び込んでいきました。これは2回目に見た大法の徒が『轉法輪』に飛び込んでいく状況でした。

 私は「大法弟子は師父がお作りになった新宇宙の生命であり、師父は弟子を個人が圓満成就する場所まで押し上げてくださり、果位を成就すれば、大法弟子は大法と同化した異なる境地の佛・道・神であり、大法弟子はみなその資格があるので、『轉法輪』の中に飛び込んでいく能力を持つのだ」と悟りました。何人かの人は自分が飛ぶのを見ることができますが、見えない人もおり、この点においては人によって差があります。

 四、総括

 師父は大法弟子に法を実証することをより良く行い、真相をはっきりと伝え、衆生を救い済度するという「三つのこと」を行うように要求なさっています。「三つのこと」をよりよく行ってはじめて、各自の最高位置まで向上でき、修煉者の大圓満にまで達することができるのです。

 以前、この不思議な出来事について同修と交流した時はいつも、得意満面になって自分を現し、自分を実証し、多くの人心が現れてきました。もともと、神聖なことなのに、人心をもって見ると、それほど神聖ではなくなってしまったのでした。明慧ネットに載っている多くの交流文章を読み、また、同修の助けと指摘の下、学法し着実に自分を修めることによって、自分の修煉に危害を与える名利心、歓喜心、顕示心、嫉妬心・・・などの多くの執着心を見つけ出し、その多くを修煉して取り除くと、次第にその一部が純粋になってきました。実際、大法弟子のすべての成果は師父の慈悲なるご加護の下で得たものであり、すべて師父がくださったものです。なぜなら「修は己にありて、功は師にあり」[1]だからです。

 師父の弟子に対する慈悲な済度に重ねて感謝申し上げます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『轉法輪法解』「広州での説法 質疑応答」
 [3] 李洪志師父の経文:『法輪功法解』「北京『轉法輪』発売記念イベントでの説法」
 [4] 李洪志師父の経文:『ヨーロッパ法会での説法』

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/28/264169.html)
 
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