自分自身を正す
文/河北省の大法弟子
【明慧日本2016年9月19日】最近明慧ネットに掲載された「副元神を利用した旧勢力の按排を取り除く」シリーズの交流文を読んでいました。読み進んでいるうちに、感想もだんだんと変わりました。
最初は文章がとても長く、読むのに時間がかかりましたが、私は「良い部分を残し、悪い部分を除き」[1]の法理しか見えなかったので、時間の無駄だと思いました。一方、学会の通知には「自分自身にある良くないものを取り除き、黒い手、卑しい鬼及び共産党の邪霊など、旧勢力が利用できる最後の要素を解体しましょう」と、とても簡潔でした。そのあとはやはり、師父の説法、「異なる次元には異なる法があり、どの次元の法も宇宙の絶対的真理ではないが、その次元においては指導作用がある」[1]を思い出し、文章の作者に良くないイメージを抱いてはいけないと思い直しました。
私たち大法弟子はそれぞれ異なる天国から下りてきました。それぞれの根基が異なり、次元の高さもまちまちで、修煉の道がそれぞれ異なります。最終的に大法から悟ったものはそれぞれ異なります。漸悟であろうと頓悟であろうと、最終的に師父は「どちらも悟りですから、どちらも悪くありません」[1]とおっしゃいました。
学法や正念を発することを繰り返しているうちに、私は自分を物差しにして他人を測り判断していたことに氣付きました。本当に恥ずかしいと思いました。本当に正すべきものは私自分自身だったのです。
法に則っていないところがあれば、同修の皆さんにご指摘をよろしくお願いいたします。合掌!
注:
[1] 李洪志師父の著書:『轉法輪』