明慧法会|法を実証する中で根本的な執着を探す
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 文/河北省の大法弟子

 【明慧日本2016年11月14日】

 尊敬する師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は大法を修めて丸14年になります。2002年4月に県の留置場から正念で出てきてからずっと、比較的穏やかに師父の要求された三つのことを行ってきました。資料の作成、真相資料の配布、面と向かって真相を伝えること、神韻公演のDVDの配布、三退を勧めること、さらに携帯電話を使って真相を伝えることなど、どんなことであっても、それぞれの次元において多くの執着心を修煉して取り除いてきました。特に顕示心、自分を実証する心、歓喜心、仕事に対する執着が非常にはっきりと現れ、これらの心が強烈に現れた時、時には押さえつけても押さえきれないことがありましたが、学法と着実に修めることによって、現在これらの心の存在は薄くなっています。しかし、ここ2年来、法を実証する時、何度か面倒な事に遭い、これらの面倒な出来事から、あらためて自分の修煉の中に存在する問題を観察しなければならなくなりました。

 神韻公演のDVDを配布した時に追い詰められたが、師父の保護があり間一髪で何ごともなかった

 2011年の夏のある日、私たち5人の一行は車で田舎町へ行き、神韻公演のDVDを配りました。その日、私たちが川筋を行くと、五つの村があり、村の中から外まで配りました。三つ目の村を配り終えて四つ目の村へ行く路上で、私たちの車がある山のふもとでカーブを曲がっている時に、前からランドクルーザーが通りかかり、2台の車がすれ違った時、ランドクルーザーには4人が座っていて、窓から首を出し一生懸命私たちの車の中を見ており、この時、自分たちは告発されているということを直感しました。

 そこで、運転手の同修がスピードをあげ、ただちに車道に向けて車を走らせました。私たちが車道にたどり着く前に、その車がUターンして追いかけてきましたが、道が狭いため、車は私たちの前面に突き進むことができず、ただ私たちの車の後ろでクラクションを鳴らし、罵声を上げていました。私たちの車はすぐに川筋を出て、大通りに出た後、運転手の同修が「どこに向かって運転すればいいですか?」と聞いてきたので、「ご随意に、行きたいところに行ってください。ただし慌てないでください。私たちには師父がおられます!」と言いました。

 通りに出ると、後ろにいたランドクルーザーがすぐに追いついてきて、さらに、前方に車を横付けして私たちの道を塞ぎました。運転手の同修は機知に富み、ぐるりと車の向きを変えて車を走らせ、ランドクルーザーがまた新たに前方に車を横付けした時、すぐにまた向きを反転させ車を走らせました。このような行ったり来たりを5、6回繰り返し、車に乗っている同修は絶え間なく「師父、どうかご加持をお願いします!」と正念を発し続けました。はっきりと覚えていますが、その時、正念を発しながら確固とした大声で「私たちは法を正す時期の大法弟子で、真相を伝え人を救うことは歴史的責任であり、師父がさせていることなので、誰かが迫害すればその人に罪があり、たとえ漏れがあったとしても内に向けて探し法に立ち戻るので、中国共産党が迫害することを許さない!」と言った途端に、同修たちの正念も強まりました。

 私たちの車がまた新たにUターンして車を走らせた時、田舎町を通り、はるか遠くの道路の両側に車が置かれているのが見え、さらに、たくさんの人がヒッチハイクの姿勢で立っており、運転手の同修は師父のご加持の下、スピードを落とし、停車させるかのような錯覚を与え、ヒッチハイクをしている数人の人の前を通り過ぎた一閃の瞬間、同修がアクセルを踏み、ヒッチハイクをしている人々のそばを走り抜けました。

 私たちの車にはたくさんの神韻公演のDVDが積んであり、同修がDVDをどこかに放置すべきだと提起したので、運転手の同修が適当な場所を見つけ、ランドクルーザーが前までやってきた時、Uターンする瞬間、DVDが入った包みを窓から素早く道路わきの草むらの中に放り投げ、絶えず発正念して師父にお願いしました。DVDを全部放り投げ終え、一つの村を通り過ぎようとした時、ランドクルーザーがまた新たに前方にやってきてさらに距離を置き、もう一度後ろを振り向くと、先ほどの道路で私たちの車を阻み追いかけてきた2台の車がすでにやって来て、前後で挟み撃ちにされました。しかし、私たちは師父が必ず弟子を助けてくださると確信しており、するとこの非常時に村に向かうもう1本の歩道が出現しました。これは師父が按排してくださったのだと知り、少しもためらわずに村に入り、車から離れて走り、村の小さな山の坂道に立って道路を見た時、ランドクルーザーはどこに逃げ込んでしまったのかわからず、ただ普通車が2台道路に停まっており、数人が車の外に出て山を見上げていました。

 すぐに家にいる同修に電話をかけ、同修が車で私たちを迎えに来て、道端で放り投げたDVDの包みを拾い上げました。夜、運転手の同修も安全に家に帰りました。師父の御慈悲の下、迫害が一つ解体され、今振り返ってみると本当にありありと目に浮かんできて、まるでテレビドラマを撮っているかのように手に汗しました。その時、私たちは師父に感謝し、感激の涙を流しました。本当に「弟子正念足りれば 師は回天の力有り」[1]の通りであることを、身をもって体験し会得しました。

 家に帰った後、みんなで一緒に学法し、内に向けて探し、各自が多くの執着心を見つけ出しました。

 この時、私もいくつかの執着心を見つけ出しました。なぜなら、この数年、面と向かって真相を伝えて来て、ずっと順調で、自分1人で真相を伝えた時も、同修と協力した時も、面倒な事に遭ったことはなく、そのまま時間が経ち発正念を緩めてしまい、大法の仕事を自分の修煉としてしまったのです。さらに、ある同修がトラブルに巻き込まれたこともいつも聞いており、深刻なケースでは不当に連行され、今でも刑務所で迫害を受けています。実際、その時の私は危険な状態でありながら、それに気づかず正念が強いと勘違いし、他の同修も私の正念が強いと思っており、真相を伝えに出て行く時も、資料を配りに行く時も、他の同修は私と一緒に行きたがったので、この種の自分を実証する心がすでに非常に強烈になっていました。

 神韻のDVDを配っていた時に通報されたが、真相がその状況を打開した

 2011年の秋の日曜日、同修とバスに乗って、山間地帯の村に神韻のDVDを配りに行きました。村に入った後、村の中から外まで配り、配った効果も悪くありませんでした。1人1人に配るほか、通りで一群の人々に会い、その人たちは他の人が家を建てるのを手伝っていました。私たちが紹介すると、この人たちはみんな受け入れ、争うように資料を欲しがりました。そして、7、8人の人たちの中には他村の人も2人いました。その後、順調に村の外まで配って行くと、6、7人がすでに集まっていて、同修は顔に笑みを浮かべながらその人たちの中に入って行き、神韻のDVDの紹介を始めると、その中の1人がDVDを1枚欲しがりました。

 続いて、50歳代の男性が私の目の前に来て、DVDを1枚欲しがった後、DVDの入ったかばんを引っ張り「あとどれくらいあるんですか、あと何枚かください」と言いました。そこで、私は「このDVDは貴重なもので、内容は同じですから、1枚あればそれで十分です」と言うと、その人は顔面蒼白になり、力づくでカバンを奪うと、怒った様子で「あなたたち法輪功の人は、1日も欠かさず中国共産党を罵っているので、今日は電話をかけて人を呼び、あなたたちを連れて行ってもらおうと思う。それは、あなたたちがいるのを見たら、誰もこの村に来なくなってしまうからだ」と言いました。その人はそう言いながら手に持ったDVDを壊そうとしたので、大法に対して犯罪を犯させないため、すぐにDVDを取り上げました。すると、その人は手をわなわなとふるわせながら怒り出し、話す声も変調をきたしました。

 その人は話しながら携帯電話を取り出して電話をかけようとしましたが、その時、私は素早く頭の中で「虚像」という2文字を打ち出しました。同修と私は正念を発しながらその人に真相を伝え、さらに、落ち着いてほほ笑みを浮かべながら「お兄さん、知っていますか、今日は日曜日で、平日は私たちも仕事がありますが、今日という休みの時間を利用して、良いものを送るために来たのであり、このDVDはあなたたちのためであり、家に持ち帰ってよく見ればわかります」と言いました。師父のご加持の下、私たち2人の正念は強くなったのです。するとすぐに、その人はカバンを返し、携帯電話をしまってから「どうぞ帰ってください、そしてこれからはもう二度と来ないでください」と言いました。そこで、私は笑いながら「あなたたちは真相をまだあまり理解していないようですので、私たちはまだ多く真相を伝えなければなりません」と言いました。すると、その場にいた人たちがまだわからない問題について聞いてきたので、私たち2人は再び忍耐強く多くの真相を伝えました。そして、時間を見てみると時間も遅く、そろそろ行かなければならなかったので、その人たちに「帰ってからあげたDVDを見て、お互いに伝えあってください、私たちも時間があればまた来ます!」と言いました。そう言いながら私たちは村の外へ歩いて行きました。

 同修と歩きながら内に向けて探し、すぐに2人とも意見の統一を見、主に二つのことがありました。1つ目は、観念によって活動が遮られたこと。2つ目は、歓喜心が起きてしまったことでした。

 この村にはかつて同修が何度か真相を伝えに行ったことがあり、戻って来た時の反応はみな「この村の人はまったく受け入れない」と言っていました。みんな知っているのですが、もともと村には女性同修がいたのですが、数年前、中国共産党にひどく迫害されて命を落としそうになり、それを家族は理解せず、村人はもっと理解しませんでした。そして数年来ずっと、真相はあまり伝えられてこなかったのです。このような背景の下で、徹底的に否定せず、「この村の人は真相を全く受け入れない」というような観念をそれとなく抱いてしまい、このような状態で、中国共産党に付け入られずにすむでしょうか? 少し厳しく言えば、これは自分で求めたものではないでしょうか? それ以外に、私たち2人が村に入った後、最初はずっと順調に行き、同修が紹介したような状況ではなかったので、知らないうちに執着心が起きてしまったのでした。

 師父は『大法弟子は必ず法を勉強しなければならない』の中で「あなたの思想境地が何かのものと一致すれば、そのものがあなたを支配してしまいます。つまり、異なる次元の生命はあなたにほしいもの、執着するものがあるとき、ちょうど自分と一致していると気づけば、すぐに作用してしまい、場合によってあなたを司ってしまいます」と説かれました。これらの心を見つけた後、すぐに法を以って自分を正し、正念を発してこれらの良くない観念とよくない心を取り除きました。

 足を踏み外したのがきっかけで悟る

 2012年5月13日、私たち4人の同修は夜に農村に行き、法を実証し、大法の垂れ幕を掛け、真相を伝える貼紙を貼り、チラシを送りました。

 私たちが最初の村に到着した時、すでに夜の10時を過ぎていて、その日の天気は大変暗く、また私は懐中電灯を持ってくるのを忘れてしまいました。そのため、村に入って数歩も歩かないうちに、足を踏み外し、村民が掘ったばかりの2メートル以上の深さのある水道用の溝に落ちてしまいました。散散苦労して、師父のご加護の下、やっとはい出してきて、左手首と右ひざの損傷は軽くはなかったのですが、ずっと正念を発し続け、迫害を否定し、まるまる1晩みんなと活動し、朝の5時になってやっと家に帰りました。

 次の日、左手首は腫れ上がり、痛みもひどくなり、知り合いはみな「骨折だ」と言い、右ひざはしゃがみ込むのも立ち上がるのもひどく骨が折れましたが、どんなに辛くても毎日煉功を続け、仕事も1日もおろそかにせず、家事もできるだけ多く行い、朝早く起きてやるべきことをやったので、修煉をしていない夫が「師父がまたあなたの命を救ってくださった」と言いました。

 今回転んだことで目覚め、すぐに「それは表向きには依頼心であり、闇の中で懐中電灯も持たずに、そのことを何回も言い、まったく自分のことを神とは思っていなかった」ということに気づきました。あとは、顕示心、自己を実証しようとする心、仕事に対する執着などがありました。毎晩、真相を伝えに出かける時、誰が自分と組むことになろうと、一緒に組んだ同修の気持ちなどほとんど考慮せず、ほとんど半分は走りながら真相を伝えていました。以前、歩くのが遅いある同修が「もう二度とxx(私を指して)とは組みません。彼女は特急電車のようで、ついて行くのにすごく疲れ、息もつけないほどでした」と言っていました。その時、自分がその同修の話を聞いた後でも、まったく気に留めず、逆に同修たちが遅すぎることが嫌だと思っていました。

 修煉の厳粛性について、師父が何度も説法で説かれたにもかかわらず、どうして私はどこ吹く風と聞き流してしまったのでしょうか?

 以上、いくつかの出来事が出現した後、心を静めて師父の新説法『二十年説法』を学習しました。私は法を学びながら自分と照らし合わせ、自分がまだ取り除いていない各種の執着と人心をしっかりと探し出しました。すると突然、「求名心(訳注:名誉を求める心)」という3文字が頭の中に現れ、その時、全身が震え、これは師父が悟らせてくださっている、ということがわかりました。

 そして、私の全ての思惟が広がりました。家で、私は4人姉妹の末っ子で、私が一番頭がいい、と家族全員が公認しており、物心がつき幼い時から成長するまで苦しみを味わったことがなく、家の家計は苦しいにもかかわらず、私は大学まで卒業しました。結婚後、両親は私が生きている限り扶養することにし、今、舅姑は私と夫が世話をしているので、家族全体の中で私は一定の声望を保っています。人々が私の親孝行を絶賛する時「絶賛されるのは当然だ」と感じていました。学校では、小学生から大学まで、努力して勉強したので成績はいつもよく、クラスメイトと先生から表彰されました。職場では、仕事に心を尽くし、数年前、多くの栄誉を獲得し、上司や同僚から好評を受けました。このようにして、気付かないうちに自分に対する名利を重視してしまっていたのでした。

 大法を修煉し始めた時は、病気治療と健康保持のためではなく、大法を学べば自分が良い人になれると感じ、良い評判を受けるたびに、当時の社会で道徳的に堕落した人々が目に余るようになってきました。

 修煉後、職場では毎年、「模範とすべき人」に選別されましたが自ら進んでもらわず、他の人に譲りました。夫も職場で中間管理職になりましたが、私は同意せず、夫には私と同じように普通の従業員として働いてもらいたいと思い、理由は、管理職になると苦労し、人を怒らせ、業を作るからです。そして、私自身は「名」に対する執着を放下したと思い込んでいました。

 しかし、本当に「名」を放下したのでしょうか? 管理職になるのに人を怒らせるのを恐れ、人に不満を漏らされるのを恐れ、この背後には自分の名声が傷つくことを恐れていたのではないでしょうか? やはりそれは「名」のためではなかったのでしょうか? ただ単にこの心をさらに深く隠し、気が付かないように押し隠していただけではないでしょうか。この考えに至った時、突然ぱっと明るくなり、この数年の恐怖心、顕示心、歓喜心、嫉妬心、仕事に対する執着心などを修める中でずっと苦しんできました。もちろん、これらの心は修煉して、その多くを取り除きました。しかし実際、名を求める心は、私の修煉全体にずっと貫かれていたのです。私は法を暗唱するのにも速度を求めていました。真相を伝えることが妨害を受けた時、自分の修煉がよくできていないことを他人に知られたり、言われたりするのを恐れていました。朝、とても長い時間をかけないと起きられず、そのことをずっと同修の前で話せず、ずっと覆い隠そうとしてきました。正念を発した時の効果が一進一退であることについても、同修と心を開いてずっと切磋琢磨してきませんでした。ほとんど毎回、切磋琢磨しても発言せず、発言することはいつも自分の長所の事だけでした。このようにして、長期にわたって三つのことも行ってきたので、毎日忙しく、自分では向上が遅いと感じていましたが、それどころか、とても長い間ずっと足踏みしていたのです。

 恐ろしいことです! 大法を修煉しながら大法に属さないこれらの汚い物とよくない心を抱いて、どうして向上して上がって行けるのでしょうか? これらの良くないものを放下せず抱きながら、どうして面倒なことを招かずにいられるでしょうか? 師父は『精進要旨』「修める者の忌」の中で「名声に執着するならば、有為の邪法で、もし世間に名を売っているのであれば、必ず口では善いことを言っていても、心は魔であって、大勢の人を惑わし、法を乱します」と説かれました。

 法理を理解し、深く隠された心を探し出しては、ここ数か月、努力してその心を修煉で取り除き、自分の一思一念を見逃さず、自分の主意識を強め、静かに学法し、正念を発する時間を延長し、特に毎日一定時間に自身に存在する問題を取り除いたところ、効果が良いと感じました。夜に何度か法を伝えに外出し、以前のやり方を改め気持ちを落ち着けてみると、難なく同修とうまく協力できるようになりました。毎回順調で、何の妨害もなくなりました。

 私のようなだらしない弟子を助けてくださり、師父に感謝いたします。長年見つけられなかった深く隠された根本的な執着を見つけさせてくださって、本当に感謝いたします。

 以上ですが、法に合致しないところがあれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟二』「師徒の恩」

 (明慧ネット第9回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2012/11/27/265074.html)
 
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