文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月9日】「室外での煉功」とは、今の中国では本当に憧れの言葉で、1999年、中国共産党の江沢民による迫害が始まってから、もうこのような煉功の機会がなくなりました。しかし、集団で煉功することは大法修煉の伝統で、迫害されて以降、中国の国内で法輪功を修煉する者にとっては、このような伝統を堅持する環境を失い、本当に残念で堪りません。
数年前、たまに室外で煉功する人がいると耳にしましたが、その数は相当少なく、私も出会った事はありません。師父は説法の中で、外で煉功する人がいると言及された後でも、私は依然と半信半疑でした。と言うのは、迫害される環境の中、私の法に対する確信は時には100%とは言えず、室外での煉功に関しては、自分は確かに少し遅れていると感じました。
迫害される環境の中、安全に十分気をつけることは当然なことで、外で煉功したいと言う人がいると聞くと、私は常に反対していました。3年前に、地方から来た同修が私の町で数十人の同修を集め、室外で集団煉功を行いました。それによって、多くの人が連行され、大きな損失を被ることになりました。主催者の1人は迫害され死に至り、他の数人も残酷な迫害を受け、不当に4年から5年の懲役刑に科せられました。このような事があって、私は断固として室外での煉功には反対してきました。しかし、反対すると同時に「これほど反対するのは、同修の安全のために考えているだけなのか、それとも自分に恐れる心があるのか」と自問しました。長い間、答えは出ませんでした。
偶然、地方に出張する機会があり、見知らぬ町で同修にも会えないため、真相を伝えることもしっかり行うことも出来ず、ある日、突然室外で煉功しようとの一念が芽生えました。そこで、自分に恐れる心があって室外での煉功を反対しているのか、それとも他人の安全のために反対しているのかを実証したいと思いました。朝4時頃、私は団地の内庭で煉功する場所を探しました。周りをよく知らないため、探すにはかなり時間がかかりました。あまり目立たず、隠れた場所を探したいと思いましたが、この団地では夜も街頭がついており、隠れてする場所がなかなかなくて、結局、比較的目立たない場所で煉功することにしました。最初、とても警戒して、ちょっと煉功すれば、周りに人がいるかどうかを見回し、ちょっと煉功すれば、通行人がいるかどうかを確かめました。こうして、第一式と第三式を煉功して、さっさとマンションに戻りました。戻ってから座禅をしました。すると、右下に小さな花が咲いているのを見ました。その時、あまり気にしませんでしたが、1週間後、また外に行って煉功しました。今度は気持ちが随分落ち着いて、第一式、第三式、第四式の功法を煉りました。帰ってから座禅すると、体の前に一輪の大きな花が咲いているのが見え、しかも、とてもきれいな花でした。それでも、私はあまり気にしませんでした。なぜなら、座禅の時、いろんなものを見ることがよくあり、何も珍しくないからです。1週間後、また外で煉功していると、今度は前よりも落ち着き、周りに変な物音がしなければ、もうあたりをキョロキョロ見回すこともなく、第一式から第四式までの動功を全部煉りました。帰ってから座禅すると、自分の体の周りに金色の蓮の花びらが見えました。しばらくすると、私は蓮の花びらの中にいなくなり、1人の佛が金色に輝く蓮華座の上に座っているのを見ました。これは今まで見たことのない光景で、しかもはじめて佛が見えて、とても嬉しくなりました。
この数回の室外での煉功の後に見えた光景を考えれば、師父が私を励まされておられることが分かりました。室外での煉功は間違っていないと思いました。同時に、師父が与えられた大法弟子に対する洪大な恩恵を深く体得しました。弟子が僅かなことをしただけで、師父は私たちにたくさんの昇華した素晴らしいものをくださるのです。それからというもの機会があれば、室外で煉功するようにしました。
私個人の経験から、自分の心をしっかり把握し恐れる心を放下できれば、室外での煉功は問題ないことを確認できました。同時に、私の地域が迫害された例から、大勢の人を組織して大掛かりな煉功をすることが、適切でないことも分かりました。今の中国の迫害がある環境の中では、大勢の人が煉功することは邪悪な迫害に挑戦しており、同修の心性も様々で、恐れる心があれば、邪悪に迫害されるに違いありません。
しかし、中国国内の同修は、恐らく誰でも正々堂々と室外で煉功したいとの願望を持っていることでしょう。この願いを実現するには、自分の執着心を放下し、特に恐れる心を放下し、邪悪に迫害する理由と口実を与えなければ、その願いは必ず叶えられると思います。実は、外で煉功する時、師父は私達を見守って下さっています。肝心なのは、自分の心理状態なのです。
最近、室外での煉功を師父の故郷で、出張の時行いました。ある日、突然体の具合が悪くなり、恐らく仕事が忙しすぎて、煉功が足りないと思いました。そこで、私は道路のそばの芝生で煉功しましたが、昼間でしたので、やはり少し心配しました。第一式の功を始めようと目を閉じたら、天空に師父の巨大な法身が、私の右前方に現れ煉功を見ておられました。その瞬間、落ち着いて第一式と第四式を煉功した後、突然、後ろからサイレンが鳴り、第三式を続けて煉功しようとした時、再びサイレンが鳴りましたので、そろそろ止めるべきだと悟りました。やめてから周りを見ると、ちょうど午後の学生の下校時間にあたり、スクールバスが1台また1台と私の後ろを通過し、もともと人通りの少ない前方の小道にも、人が多くなって来ました。これだけ人が多くなると煉功には相応しくないし、しかもサレンも二度鳴ったのだから、それは注意を促されていると思いその場を離れました。
この事を通して、師父がずっと側で私達を見守っておられ、危険があれば気付かせてくださることが分かりました。くれぐれも自我に執着しないようにしましょう。正念を持って始めて師父のご加護をいただけるのです。正念を持っていなければ、恐れる心があれば、邪悪は様々な口実を使って私達に迫害を加えるでしょう。
以上は、ここ数年の体得です。ずっと書かなかったのは、よからぬ影響を与えたくないからです。もし、同修が心の状態をしっかり把握できないまま、室外での煉功にこだわり、迫害を受けてしまうと、私は犯罪者となるからです。室外での煉功自体は間違いではないのですが、修煉は超常的なもので、当事者の心理状態と法に対する理解は、かなり理性的で厳粛なものでなければなりません。もし、様々な人心を持って行えば、きっと希望通りに事が運ばないと思います。大勢の人の集団煉功に関して言えば、迫害の環境の中では、組織者はなかなか全体を把握することが出来ず、条件も十分ではないため適切ではないと思います!
最近、ネットで室外での煉功に対する議論を見て、この文章を書くことにしました。今はまだ、くれぐれも慎重に、しっかり状況を把握して頂き、自分にも、大法にも、大勢の大法修煉者にも、衆生にも、決して大きな損失をもたらさないように、注意して頂きたいと心から思います!