文/中国の大法弟子 浄心
【明慧日本2017年5月1日】私は2008年に法輪大法を修煉し始めました。『轉法輪』を読み終えてずっと困惑していたことが解決されました。母が若くして亡くなった原因が分かったのです。大法こそが正法であり、人間を佛の境地まで押し上げるための修煉法でした。
偽りの気功は人を害す
私はかつて他の気功をやっていました。1994年、父の腎臓がますます弱くなっていき、治療すればするほど悪化するので、医者もどうすることもできませんでした。両親は他人の紹介で河北省のとある気功治療の療養院に行き、そこで1年ほどの治療を受けたところ治りました(法を得てから、父の病は治ったのではなく、ただ後に先延ばしされたか、あるいは別の何かに転化されただけだということを知りました。なぜなら、父は2008年と2015年に二度の胆嚢手術を受けていたからです)。
当時の私はまだ14歳でした。父の病気を治すことができたから、その気功はきっと良いものだろうと思っていました。そして、母も父の病気を治すことができたのなら、その気功を広めようと決めていたのです。その後、家に戻ってきた母は他人にその気功を教え、その上に自ら病気治療を施しました。当時、母には少しばかりの功能があり、病気の源である病気の場所を見つけることができ、また、別空間の霊体や声も聞こえるので、母はこれらの功能を全て病気治療に費やしました。その功法によると、他人の病を治療することは徳を積むことで、人を救っているというのです。母はこれを信じて少しも疑いませんでした。
母は非常に健康な人でしたが、人の病気を治療していくうちに少しずつ弱くなっていき、ついに2004年の秋、ある患者の腰椎ヘルニアを治したものの、翌日から母は脳梗塞になりました。それから母は言葉をはっきりと話すことができず、反応も遅く記憶力も大幅に低下し、両目の光がにぶく皮膚の色も黒ずんできました。精力が湧かず、様々な別空間の生き物が自分を妨害し、時には、かつて治療した患者の病気が自分を妨害していると母はよく言っていました。時間が経つにつれて母は、怖くて夜眠ることさえもできなくなりました。
その後、母と一緒にその気功療養院に行きました。3、4万元も費やしましたが全く効果がなく、その後、以前この気功をやったために何人もの人が亡くなり、重病者や精神病になった人もいるとようやく分かりました。このことを知った母は、ここではもう自分の病気を治すことはできなと悟り、そしてついに2005年の冬、母は突然の脳出血で永遠に私から離れていきました。
偽りの気功はなんと恐ろしいことでしょう! 正法を得ることは極めて困難なので、この大法を大切に、大切にしなければなりません!! 決してこの千万年に一度きりの機縁を見逃さないでください!
法を得て、迷いを破る
母が亡くなった時、私は26歳でした。当時は父と共に会社を起こして商売を始めており、他人から見れば生計に全く困らない生活を送っていました。親戚たちは私のプライベートを心配しており、よく結婚相手を紹介してきました。しかし、様々な人を見てきましたが、特に気に入る相手はいませんでした。相手の心の中の不純な考えや動機を見破ることができるので、自分は孫悟空の目を持っているのではないかと時々思いました。
今の夫は法輪大法を修煉しています。今思えば、全て運命だったのかもしれません。
私は167センチの身長で映画スターやアイドルほど美人ではありませんが、それでも、人はすれ違うとほとんど振り返り、当時の自分は結構短気でした。彼と1年ほど付き合いましたが、時間があればすぐに私に大法の素晴らしさを話してきました。その時の自分はマスメディアやテレビ報道に騙されていたため、彼の話を信じず毎回彼の話を途中で遮り、「これ以上言ったら、別れるわ」とさえ脅していたのです。私も彼も常人の心が強い為、一時期は別かれていました。しかし不思議なことに、彼と別れてから誰も相手を紹介してくれず、以前、お見合いを約束していた人も、行方不明にでもなったかのように全く音信不通になってしまいました。おかしいと思いながらも彼のことを思い出しは良く考えてみました。彼は今の時代のずる賢くて、褒め言葉ばかり口にする社会人と違って誠実であり、また、彼といると善意や優しさを感じました。
2008年の初めのころ、ついに私たちは結婚しました。結婚後の生活でも、夫は機会さえあれば私に大法の素晴らしさを話しますが、私は全く聞く耳を持ちませんでした。「あなたがいいと思うならやればいいじゃない。私はこっちの功法をやるわ。お互い干渉しないことよ」と彼に伝えたところ、「君のその功法の人たちはみんな顔色が悪く、良い人に見えないよ。正法なら、皆赤みを帯びた元気な顔色をしてるはずさ」と言われたので、私もさすがに怒りました。「変なこと言わないで、あれは赤銅色っていうのよ!」
それでも、夫は時間さえあれば私に大法の素晴らしさを話してくれていたので、時間が経つにつれて、私の考えが少し変わりました。ある日、母が病気治療をしていたことを話している時、夫は、病気治療はつまり自分の徳を他人の業力と交換しているようなものだと教えてくれたので、少しばかり考え込みました。長年、ずっと母の死を気にしていたので、「あなたのその本ちょっと貸して」と夫から大法の本を借りました。
『轉法輪』を読み終え、ずっと気にしていたことの答えが見つかりました。師父ははっきりとこのように説かれました。「根基の良い者で、自分の根基をもって、人の業と交換している人がいます。患者の業力は大きいので、重病患者を治療すると、家に戻ってから苦しくて耐えられないことがあります! これまでに病気治療の経験のある人ならお分かりでしょうが、患者は治っても、自分が病気で寝込んでしまいます。時間が経つにつれて、業力をもらえばもらうほど、それと引き替えにあなたは人に徳を与えます。失わなければ得られないからです。 病気をもらったうえに、徳と交換して、業をもらってしまうのです」[1]。母がなぜ早くこの世を去った原因が、これでようやく分かりました。すべてのことが理解できて、大法が正法であり、修煉する功法であると認めました。
子供弟子
今年6月、私は4キログラムもあるとても元気な男の子を産みました。生まれたばかりの赤ちゃんはまるでお餅のように柔らかで、透き通ったきれいな肌をしています。家族全員あまりにもこの子が好きなので、かつて、テレビで報道された赤ちゃんの取替え事件のニュースを思い出し、どうすれば我が子を取り違えないかとあれこれと相談しました。赤ちゃんを産んだばかりで私自身はまだ我が子を見ていませんが、夫は慌てて駆け寄ってきて、「うちの子は間違えられないよ、顔に二つの笑窪があるだけでなく、耳がまず特徴的だ!」と言います。これを聞いた私は「どういうこと?」と尋ねました。「普通の人たちの耳と違って中に層ができてるんだ。すぐわかるよ」と言ったのです。それから2、3日後、他の赤ちゃんの体には黄色の小さなぶつぶつができましたが、私の子は赤ちゃん特有の新生児黄疸がでる前に治りました。
家に帰り夜になると、赤ちゃんは良く泣き出します。そういう時、夫は『普度』 『済世』という大法の音楽を流します。ある晩、どのようにあやしても赤ちゃんは一向に泣きやみません。夫は子供を抱きかかえながら、「法を得るために、お前が家にやってきたことは知ってるよ。せっかく生まれてきたのだ。お父さんもお母さんもきっとしっかりとお前の面倒を見るよ」と話しかけたのです。当時の事を私は今でもはっきりと覚えています。赤ちゃんはじっと夫の目を見て、まるで夫の話を理解したかのように「ハハハ」と笑い出したのです。赤ちゃんのこの笑い声を聞き、私も夫も驚愕しました。生まれたばかりでまだ20日も経っていない赤ちゃんに笑うことなどできるはずがありません!
今、子どもは6歳になりました。他の同年代の子供よりも頭が良く、何を学ぶのもとても速くて、一度教えるだけですぐできるようになります。また、漢字もたくさん読めて、大法の本の中の漢字のほとんど理解していますし、すらすらと読んでいます。私たちの学法チームで『轉法輪』を音読している時、この子も時々いくつかの段落を読み上げ、皆この子の音読に夢中です。ある日の朝、私と夫は煉功しようとしました。子供が早く起きるかもしれないと思って、事前に師父の『各地での説法六』を彼の枕元に置き、朝起きたら、これを読むように前の晩に伝えました。すると、私と夫が静かに煉功している時、この子は1時間くらいで1冊の本をすべて読み終えたのです。途中どこを読んでいるのか分かりませんが、「へへへ」と笑っている声が聞こえてきました。
ある日、私と子供が一緒にパソコンで明慧ネットに載っている交流文章を読んでいました。途中、彼が何度もマウスを動かしているので、真剣に読んでいないで遊んでいると思い、「ちゃんと読みなさい。お母さんもまだ読んでるのよ」と言ったところ、「お母さん、僕もう読み終わったよ、早く続きを読みたい」と言いました。「まさかそんなわけないでしょ。私もまだ読み終わってないのよ。ちゃんと読みなさい」と子供の言うことを信じていませんでした。けれども、子どもが、「本当だよ」と真剣な顔をしているので、自分は常人の観念が強すぎたと思いました。子供は嘘をつきません。そして、大法の恩恵の下で、智慧が開いた子供たちの例も少なくありません。
師父は『轉法輪』の中で子供の教育問題についてすでに説かれました。ですので、私は子供が幼いころから、甘い汁を吸わない、損をすることは良い事だ、地面にお金が落ちても拾わない、それはあなたのものではないからなどを教えていますので、今、この子は甘い汁を吸おうなどと考えもしません。また、彼に大法の法理を話すときも、喜んで聞き入れてくれますし、時には、修煉に関することを聞いてくることもあります。
ある日、同修と世間話をしている時、話していたことが法に基づいていなかったので、隣で聞いていた5歳の息子が手で力いっぱい椅子を叩き、「学法が一番重要だよ!」と真面目な顔つきで言いました。これを聞いた私とその同修はお互いの顔を見つめ、ハッと悟りました。師父が息子の口を借りて私たちの不足を教えてくださっていたのです! このような良い子供を、子ども弟子を授けてくださった大法と師父に感謝いたします!
私は息子に対する情が極めて大きく、普段の言動一つ一つにまで気を配っていて、息子が咳やくしゃみをしただけでも緊張して、どの薬を飲ませればよいかとつい考えてしまいます。夫にも息子への情が重いので、このままでは子供に影響してしまうと言われています。夫の言うことは正しいと思いますが、心の中では、子どもの風邪が治ってからでいいと先に延ばしてしまい、自分を正そうとせず、全く法で自分を律していません。
毎日やること全てが息子中心で、何かよいものを食べさせよう、今日は暖かくさせた方が良い、もっと常人の知識を教えた方が良いかもしれないなど、子どもをきちんと教育するために、常人の育児の本もたくさん読みましたし、重要と思うところに印までつけました。そして、知人に会えばすぐに自分がどのように子供を教育しているのかを話し、顕示心がどんどん膨らんでいきました。
私のこのような状態を見た夫は、あまり常人の事を子供に教えない方が良いと言い、もっと大法の書籍を読んであげるべきだとアドバイスしました。表では夫に反対していませんが、「具体的な問題に遭った時の対処法を大法は教えてくれないでしょ! やっぱり常人の本の方が実用的だわ」と心の中で思っていたのです。「お前は自分の子供をここまで愛してるけれども、すべての子供を我が子のように愛せるのか?」とよく夫に聞かれます。
私は常人の観点で子供との関係を見ていたので、つまり「私」に基づいているということになります。息子も衆生の1人で、「真・善・忍」を用いて接しなければならず、教育過程もいうなれば自分を修煉する過程でもあります。昔、子どもが自分の言うことを聞かない時は、よく怒りました。その時の自分はまさに魔性を発揮したのです。息子も後になって、「お母さんが怒る時はすごく怖い。全然優しくないもん。それは魔性だよ。ずっとそのままだと神様になれないよ」とよく言ってくれました。息子の話を聞いて、「私は今まで一体何を修煉してきたのでしょう。子供にもおよばないなんて、全くこの子の言うとおりだわ」と反省しました。本当にこの小さな子供弟子に感謝しなければならないのです!
頑固な父が三退する
三退の事となると、残念ながら私は自信がありません。「三つのこと」をしっかりやることは大法弟子が自らの威徳を樹立していることであり、師父のためではなく、自分たちのためにやっているということは法理で理解しています。しかしながら、これまでの間身の回りの人たちに三退を勧めたことがなく、これも主に自分の恐怖心や面子を重んじる心理、恥ずかしがり屋で、拒まれるのを恐れる心など様々な人心に邪魔されているからです。
2015年、父親は胆管が詰まって高熱が一向に下がらず、手術を受けることになりました。手術の当日、私が手術の同意書にサインしました。その時の父はまだ意識がはっきりしており、それなりに元気でした。私たち家族は手術室の外で手術が終わるのを待っていました。普通なら、30分ほどで終わるはずですが、1時間以上経っても誰も中から出てきません。ようやく医者が出てきたかと思えば、手術は失敗だと聞かされたのです。父の胆管の形がすでに変形していたため、手術が困難になり、医者も手術が完了していない情況で2回目の手術を行おうとし麻酔薬を使いましたが、結局失敗に終わりました。父が手術室から出てきた時、麻酔により目に光がなくボーっとしており、閉じられない口からはよだれが垂れ出し、入った時とは全くの別人のようでした。父のこの様子を見て、私の目から一気に涙があふれ出し、人間の苦しさを切実に感じたのです。
それから父は何日も喉に食事が通らず、24時間の点滴で栄養を補い、数日後の2度目の手術を待っていました。二度目の手術に一体どれだけの成功率があるのかを医者に尋ねたところ、一度目と同じように厳しい状況で、もし、これでも成功しなければ、ナイフで胆管を切り開くしかなく、それは患者の身体に大きな損傷を与えてしまい、さらに年輩者は手術後の回復も遅いと告げられました。
一度目の手術が失敗したと知った父は二度目の手術が心配で仕方ありませんでした。娘である私もとても心配で、もう大法しか、師父しか父を救うことができないと思いました。しかしながら、どのように父に真相を伝え、三退を勧めれば良いでしょうか。父は頑固な人で以前はずっと他の功法を煉っていました。今は何もやっていませんが、ずっとその功法が自分の命を救ったと思い込んでおり、その上、何をしても中国共産党に歯向かってはいけないと認識し、我々に中国共産党を変える力はないと主張しています。また、父はとても短気で怒りやすく、幼いころから本当の意味で父と心を交わしたことは一度もないのです。違う考えを持っていてそれを伝えようにも、父の顔を見た途端言葉がなくなり、心を開くことが非常に困難で、父との間に距離があるのをずっと感じていました。けれども、今回の父を見て、三退を勧めようと私は何度も勇気を振り絞りました。
二度目の手術の前日、病室には私と父親しかいませんでした。私は向かい側のベッドに座り彼の背後にいる邪悪な要素を消そうと絶えず発正念をし、それから父の横に座り口を開きました。「お父さんは、中国共産党の団員になったことあるんだよね?」、「そうだよ」、「それなら、そこから脱退しようよ! 中国共産党の党も団も隊も宣誓する時、命をそれに預けるという誓約があるでしょう。自分たちの人生は自分たちで決めるものよ。お父さんが台湾に行った時、パレードを見たでしょう。法輪功は今世界中100カ国以上に広まってる。正法でなかったら、これほど多くの人々がやるわけないでしょう」と話しながら、父の表情を伺いました。一言間違えて父の機嫌を損ねたらと心配したものの、父はずっと冷静でしたので、私も安堵して続けました。「中国共産党が長い間法輪功を迫害してきたにも関わらず、これほど多くの人々が決して信念を曲げないのはどうしてなの、きっとみんな人生が良い方に変わってるからよ」と話し、それから癌(がん)患者が法輪功を修煉して癌が治った例を2、3あげると、これを聞いた父はすぐに興味を持ったので、心を込めて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えれば福報があることを教えました。父の背後の邪悪な要素がなくなったのか、今回はすんなりと頷き、三退にも同意してくれました。今回の事は私に多大な勇気を与え、ずっと不可能と思っていたことが可能になったのです。これは自分の能力ではなく、師父がすべてをやってくださり、師父が衆生を救っているのだと、はっきりと認識しています。
翌日の手術の直前、私は父の耳元で 「必ず心の中で『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えてね」と伝えると、父は静かにうなずきました。その結果、手術は20分ほどしかかからず、大成功でした。
真相を伝え、三退を勧める
今年の春、子どもは学校に通う前に2週間ほど塾に通いました。私は毎日子供を塾に連れて行くと、そのまま近くの公園で真相を伝え、三退を勧めました。公園には運動をしている年配の方が多く、初めは様々な人心が妨げてなかなか口を開けませんでした。けれど、公園に来ている年配の方々は皆時間が十分にあるので、日常生活の雑談から少しずつ始めれば良いと思いました。それでも、いざそこに座り、年配の人たちを相手にすると、どこから話せば良いのか迷ってしまいました。困っている時に、隣に座っているお爺さんの方から話しかけてきたので、これは偶然ではなく、師父が私のこの状況を見て、縁のある人をそばに連れてきてくださったと感じました。
「お嬢さんは今年いくつだい?」と元気な声で話しかけてきてくれたおじいさんの表情はとても優しく、すぐに自分の年齢を教え、お爺さんの年齢やいつ定年退職したのかなどを尋ねました。お爺さんはとても話しやすい人で、自分の若い頃から今まで経験した辛い事や大変な事を話してくれました。お爺さんの話を聞きながら、口を挟む隙はないだろうかと考えていると、お爺さんは自分が若い頃に住んでいた町で、儲かっていた企業が今、みな次々と倒産した話をはじめたので、私は慌てて口を挟みました。「中国共産党が中国の伝統的な文化を全て壊したのです。昔の工場という漢字と今の漢字は全く違います。「場(中国では『厂』と書く)」という漢字の中が空っぽじゃないですか。これでは倒産しない方がおかしいですよ!」
また伝統文化の保護について台湾と中国の対照的な情況を伝えました。「かつて台湾に旅行に行ったことがあり、この目で中国では見えない光景を見てきました。法輪功は世界中100カ国以上の国で広まり、IQが高く、高学歴を持つ外国人たちは、皆法輪功が素晴らしいと言っています。けれども、ここ中国だけで、法輪功を迫害しているんですよ」
私は第三者の視点から自分が台湾で見てきたことを話しているので、お爺さんは興味津々に聞いていました。この他に三退する理由もはっきりと伝え、最後に「お爺さん、三退しましょうよ!」と勧めたところ、「もう長い間ずっと団員経費を払ってないさ。もうとっくに団員じゃないよ」と言われました。「それは表面的なことで、本当に中国共産党と無関係になるには、神様や佛様に誓わなければならないんです」と伝えると、お爺さんはハッとこの点に気づき、「そうだな!」と三退することに同意しました。次の所に向かおうと立ち上がってお爺さんに挨拶すると、満面の笑顔で手を振りました。そして、歩き出そうとすると突然お爺さんに手を掴まれて、「お嬢さん、本当にありがとうな!」と感謝されました。私の手を力強く握りしめる手を見て、この生命は本当に感謝しているのだと感じました。今回の経験を経て、真相を伝え、三退を勧めることにさらに自信が湧いてきました。
また、ある日、別のお爺さんに遭いました。少し話していると、良く口を挟まれることに気づいたのです。横にいる人が年を取ったため耳があまりよく聞こえず、反応も少し遅れていると教えてくれました。このような耳が聞こえず、反応も遅い人と話すのはさすがに疲れるから、他の人と話そうと思い、別のお爺さんに声をかけたのです。しかしながら、常人の心が働いたので、そのお爺さんはすぐに他の人とどこかへ行ってしまいました。仕方なく、最初のおじいさんのそばに戻りました。ほかの話をしていても意味がないので、直接本題に入り、「お爺さんは隊か団、党に入ったことありますか?」と聞くとお爺さんは頷きました。「共産党はいいことしないので、早く三退しましょうよ!」と勧めました。不思議なことに、今回私が話す全ての言葉がお爺さんにははっきりと聞こえており、反応も遅れずにはっきりと答えてくれたので、順調に三退させることができました。
今回のことを通じて、人心を抱えたまま衆生を救うことができないと分かりました。人の面では耳が疎いかもしれませんが、本当の一面では、はっきりとわかっているのです。あと少しで一つの生命を逃してしまうところでした。
これまで8年間の修煉の道のりを振り返ってみて、師父の要求とはまだほど遠いとよく分かっています。他の同修がラストスパートダッシュしているのに私は周りの景色を見ながらゆったりと歩いています。このような怠惰な自分がくやしくて仕方がありません。けれども、悔しいと分かっていて、精進しなければ何の意味もありません。修煉は自分の為に修煉しているのであり、師父に見せるためのものではありません。この修煉の道で自らを実修し、真修していくことこそが大切であり、わざわざこの人間界に降りてきた甲斐があり、かつての誓約をしっかりと果たすことができるのです!
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』