師父はすぐそばにおられる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2016年12月21日】私は73歳で、1999年に修煉を始めて現在に至っています。十数年の修煉の中で、何度も危険なことに遭いましたが、どれも順調に乗り越えてきました。この過程の中で、私はいつでもどこでも師父がすぐそばにおられると体得しました。これは間違いありません。なぜなら私の全身に勇気と力がみなぎっているからです。本当に正念があれば何事も突破できると感じました。そうです! 師父がそばにおられ、この大きな法があるのに、まだ何を恐れるのですか? 

 以下は私が体験した出来事です。

 2001年、私は北京へ陳情に行きました。大法と、師父のために公平な話をするためでした。そして北京から順調に家に帰りました。

 2002年の春、数人の同修と共に大法の交流に参加し、終わってから家に帰る途中、黒竜江省鶏西(けいせい)市西小恒山の国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官に不当に連行され、鶏西第二拘置所に拘禁されました。

 師父の誕生日(5月13日)の朝、「天目」で師父が私のそばに立っておられるのを見ました。師父を見て、私は泣いてしまいました。同室の同修が私に「なぜ泣いてるの?」と聞きました。私は「師父がそこにおられます」と言いました。別の同修も師父が見えました。

 6月11日、公安は私たちを万家労働教養所へ移送し、続けて迫害しました。その日、家の子供たちが拘置所に私に会いに来ました。子供たちは私と面会して、ただ泣くばかりでした。私は子供たちに「泣かないで、ママは『観光』してから帰るから」と言いました。

 私たちがハルビンの万家労働教養所に送られたこの期間、師父がずっと身辺におられることを感じていました。私の家に大法の資料が届くとき、家には受け取る人がいないことを思い出しました。私は家に帰って大法の資料を受け取らなければならない、こんなところ(労働教養所)にいるわけにはいかないと思いました。入所前、私たちは万家労働教養所の病院で身体検査を受けました。検査後、労働教養所の大門の外に連れ出されました。

 警官は、同修に門に入るように言いましたが、私には「お前は入るな」と言い、「お前の肺は腐っている。大小の穴が開いている」と言われました。私は「まったくでたらめを言う。私の肺のどこに大小の穴が開いているというの?」と思いました。しかし考えを変えて思えば、これは師父が私が家に帰れるようにしてくださっているのではないでしょうか。私は同時に連行された3人の同修が万家労働教養所の大門に連れて行かれるのを見て、心の中で「あなたたち、うしろを振り返って私を見てください!」と叫びました。。しかし3人は振り返らず入っていきました。私は泣きました。心の中で「なぜあなたたちは振り返って私を見ないの?」と思いました。警官は私が泣いているのを見て、憎々しげに、「まだ泣くとお前も連れて行くぞ。お前の肺はすでに腐っているから、他の人に伝染しないよう独房に閉じ込めるぞ」と言いました。このようにして私は労働教養所に拒絶されたのでした。

 故郷に帰る前、何人かの警官が私を太陽島に遊びに連れて行きました。遊覧船の上で船首に座りました。波風はとても大きく、警官が「おばあさん、後ろに座って。ひっくり返って水の中に落ちたら大変だから」と言いました。私はその警官に「私がもし船首に座らなければ、あなたたちは本当に転覆してしまうでしょう」と教えました。

 食事の時、全てが豪華なものばかりでした。警官が「おばあさん、食べてください」と言いました。私は「私が食べないですって? 食べますよ!」と言いました。私は思いきり食べました。夜に、国保大隊の隊長が、ハルビンに住んでいる彼のお姉さんの家へ私を連れて行きました。その日はもうすでにとても遅くなったので、私は部屋の中に入って電気をつける間もなく寝てしまいました。翌日、朝になって部屋が明るくなった時、発見しました。この部屋の壁いっぱいにすべて師父の写真がありました。私はその時やっと分かりました。この国保大隊の隊長のお姉さんは法輪大法を修煉していた同修なのでした。師父の写真が動いているのが見えました。私は知っていました。これは師父が私を励ましてくださっているのです。私はまた泣いてしまいました。

 牡丹江に着きました。彼らはまた私を引っ張って鏡泊湖に連れて行きました。その日の鏡泊湖は風がとても強く、彼らは私に「船に座るか?」ときいてきました。私は彼らに「私は船に座りません」と言いました。彼らは私が座らないのを見て、誰も座ろうとはしませんでした。

 家に着く前、すでに夜の7時を過ぎていました。車が私の家を通りすぎたので、彼らに「私は家に帰ります」と言いました。彼らは何も言わずに、私を恒山へと連れて行ったのです。私は彼らに「あなたたちはお金をゆすろうとしていますか、ありませんよ!」と言いました。そして私を5階の暖房管のところで拘留しました。

 2時間経たずに、家族が来ました。私は家族に「彼らがお金を要求してきても渡さないで。私は行かないから」と言いました。国保大隊の隊長が「誰があなたからお金を要求しましたか?」とききました。(彼らは実際、私の娘から2千元をゆすりました)隊長はまた私の娘に、「誰があなたにお金を要求しましたか?」とききました。娘は「要求されていません」と言って、私を連れて行こうとしました。私は娘に言いました。「私は行きません。彼らが私を捕まえてここに連れてきたのだから、彼らが私を家に送るべきです」

 それから、警官は車を出して私を家に送りました。警官は「あなたは今回監外での執行1年ですから、勝手にどこかへ行ってはいけませんよ」と私に言いました。私は誰の言う事も正しくないと思いました。  

 師父の言われることだけが正しいのです。

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/12/7/332807.html)
 
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