王治文さんは解放後の状況を自叙(写真)
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 【明慧日本2016年8月24日】法輪大法研究会の元義務責任者である王治文さんは、1999年の7.20の当日の夜明けに自宅で不当に連行され、懲役16年の不当な判決を宣告された。1人娘の王暁丹さん(当時19歳)は、17年間、海外で父親の救援に駆け回り、正義ある人々の注目を呼びかけた。王治文さんは2014年9月に解放されたものの、24時間スパイに尾行され嫌がらせを受けている。

 暁丹さんは近日、中国に戻り、父の渡米の手続きを完了させた。「今回、もともと私は非常にうれしく、非常に楽観的でした。パスポートと移民の手続きも揃っており、必ずや父親をアメリカに招かれると思っていました。しかし、出国する時、何も理由がない状況の下、父のパスポートは切断されました。税関はパスポートが公安内部に取り消されたと言いました」とコメントを出した。

 暁丹さんは再び父親の音信を失い、アメリカの空港に戻って茫然としながら、小さな声で「父がどこへ行ったのか誰か教えてくれませんか。私はまた父の居場所がわからなくなりました」と悲しげに言った。

'王晓丹(右)18岁离开父亲(中),18年后的2016年才与父亲在中国重逢,可是幸福是那么短暂。左一为王晓丹丈夫杰夫。(王晓丹提供)'
王暁丹さん(右)王治文さん(中),暁丹さんの夫・ダニエルさん (暁丹さん提供)

 王治文さんの自叙(訳注:自分で自分のことを述べること )は下記の通りである。

 私は王治文と言います。これから解放後の状況を述べたいと思います。

 私は2014年10月18日に解放され、公安部門に直接に昌平の洗脳班(西城区法制学習班)に送られ、10月25日に家に帰されました。

 自宅の環境の変化についてですが、私は家のドアからマンションの入り口までの区間に、監視カメラ(赤外線)四つが設置されました。聞いた話によると、マンションの向こう側のポンプ部屋は、監視拠点です。毎日2人が当番し、国家安全保衛系統の命令に従います。彼らは私が誰と接触しているかを随時に知ることができ、周りの隣人もその状況をよく知っています。

 そのほか、私は「重点対象者」として、「社区」(中国共産党の末端組織=街道弁事処と住民組織=居民委員会から成る)、居民委員会、不動産管理会社から、直接または間接的に監視されています。

 例えば、私の電話への盗聴、尾行などはいわゆる「敏感日」になると、必ず実行されます。このようなことは自分の私生活に影響を与えるだけではなく、生活環境も人為的に隔離されています。

 私は自由になってから、娘と団らんしたいとの思いがありますが、諸因で、私がパスポートを申請して、アメリカに行くしかありません。この点について公安もよく知っています。

 2014年11月、私は北京西城区の出入国管理所に申請しに行きましたが、受理されませんでした。関係者はただ口頭で「権利の剥奪期間中は、受理しない」と説明しましたが、インターネット上ではこのような規定はありませんでした。

 時間が経つにつれて、状況は徐々に変化しました。今年1月、私はネットでパスポートを申請し、娘との団らんを果たしてない道程が始まりました。その期間中、いくつもの所で妨害されました。

 ①今年の2~3月、西城月壇派出所の警官・李亜軍、王同利は、家に来てパスポートを出すようにと言い、使いたい時には言ってくれと言われました。私はそんな必要がないと判断し、出しませんでした。李亜軍は、上司と電話で連絡をとり、上司が派出所で私と面談したいと言いましたが、私の態度を見て、警官は上司にこれを伝えました。私は派出所に行く必要がないと判断し、もし、面談をしたければ私の家に来てくださいと伝え、最後に「私は正式な方法で、パスパートを申請し、発行されたからには、これは合法です」と説明しました。

 ②私に断わられた後、警官らはパスポートを出さなかったとの理由で「あなたのパスポートを、取り消した」と言われました。

 ③今年7月、公安部門はさらに私への監視を強化し、毎回2人態勢で24時間監視を続けました。私は買い物、散髪、出かける時など、あらゆる行動について来ます。

 ④7月31日午前10時頃、西城分局の劉警官、月壇派出所の副所長、王同利警官、孫警官の4人がやってきました。劉警官は「規定によると、お前は外国に行けない。今後、北京から離れる時は派出所に申請しろ」と言われました。私は「監視はあなたたちのやり方で、私は賛成しません。最初パスポートは申請できなかったのですが、今なぜ申請できたのか上司に聞くべきです。つまり、合法だということです。いわゆる規定も調べましたが、ありませんでした。本当なら、書面の文書を見せてください」と言いました。劉警官は、さらにここに来て私と話し合うことは、すでに「優遇」だと言いました。私は「2人態勢で監視し、私が誰かと話しただけで写真を撮られる行為は、すでに私生活に影響を与えていると伝えました。警官らは上に伝えると返事しました。

 ⑤7月31日夜、私は彼らの視線から離れ(当時、3人が私について出た)、広州へ向かいました。広州体検センターで国家安全部門の手引きに尾行されました。広州領事館で出国のビザを申請した後、泊まるところも監視されました。8月5日夜9時から11時の間、地元派出所および他の20人あまりは、違法活動があるとの口実で私の貸家を捜査しました。私の同伴者が強く断りましたので、大きな事態にならずに収まりました。

 ⑥8月6日午前、私はすべての合法の資料(パスポート、米国ビザなど)を持ち、出国の手続きをしている時、税関の関係者にパスポートをチェックされ、「あなたはパスポートをなくしたことがありますか? インターネットでは取り消されました」「理由は書かれていませんが、公安内部の取り消しとなっています」と言われました。

 今回の申請にあたって非常に時間が長くかかり、資料の準備などだけではなく、経済的な支出、家族の希望、たくさんの方の注目、応援、関連部門の支持がありました。しかし、公安部門の違法行為で泡になりました。

 国家安全保衛、公安系統の一部の人は、一般人の家族の団らんのことに対して、国家系統の力を使い、秘密裏に手段を使うことは、実に光明ではありません。

 私はここで再び声明します。アメリカに行って娘と団らんすることが、私の希望です。私の申請した過程も、関連書類もすべて合法ですが、上記のことは、中国社会で起こった本当のことです。皆さまの注目を強く呼びかけます。

王治文
2016年8月7日

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2016/8/13/332901.html )
 
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