【明慧日本2017年5月8日】黒竜江省方正県林業局の法輪功学習者・曲淑霞さんは、先月21日、鶴力林業局で傍聴者がいない状況下、秘密裏に開廷され、懲役4年10カ月の不当な判決を宣告された。
昨年2月7日午前、曲さんは、学習者・賈連栄さんと一緒に街で人々に法輪功の無実を伝え、法輪功の文言が書かれたカレンダーを配った。しかし、中国共産党による法輪功への誹謗中傷を信じる人に通報された。その後、国保大隊(法輪功迫害の実行機関)の警官らは2人を公安局に連行した。当日午後、曲さんの自宅にある法輪功の関連書籍などの私物は押収された上、録画された。当日夜、賈さんは家に帰されたが、曲さんは身体の具合が悪くなり、病院で検査された後、15日間拘束された。
曲さんは15日間拘束された後、ジャムス第一留置場に移送された。先月21日、鶴力林業局で秘密裏に開廷された。
2015年10月11日午前8時過ぎ、方正県林業地域の公安局国保大隊の警官ら2人は、曲さんの自宅に侵入し、何も理由を言わずに、部屋の中の写真を取りまくった。
曲さんは法輪功を学んでいるとの理由で、何度も迫害を受けたことがある。2000年11月、四道営林場で南山派出所の所長に身柄を拘束され、方正林業局留置場に1年あまり拘禁された。その間、虐待されたため、ひどい高血圧の症状が現れたため、解放された。しかし、わずか2カ月後には、再び留置場に連行された。
曲さんなどの学習者が留置場で毎日煉功したとの理由で、殴打された上、警官らに1日何度も身体に冷たい水をかけられた。その結果、布団まで濡れて、夜は濡れたまま寝ることになった。その後、曲さん、朱秀梅さん、劉志英さんの3人は移送され、さらに610弁公室の関係者らに暴力を振るわれた。曲さんは断食をして迫害に抗議したために、その後、方林病院に送られて灌食された。
2003年7、8月、曲さんと他の学習者2人は留置場から脱出して、放浪生活を余儀なくされた。曲さんは遼寧省営口市に逃げたが、また連行され営口大石橋留置場で18日間拘束された。その後、馬三家労働教養第二所で4カ月半の間拘禁された。そこでは7日間長い腰掛けに縛られ、睡眠を禁じられた。8日目、馬三家労働教養第一所に移送されると、そこでは指図された麻薬中毒者の囚人に迫害された。その結果、手を骨折し、ご飯の中に中枢神経を破壊する薬を投入され、強制的に飲み込まされた。警官・王はパンチで曲さんの顔面を殴り、歯が1本抜け落ちた。
曲さんは馬三家第一所で高血圧の症状が現れ、重体に陥った。そのため、2006年4月17日に一時出所ができたが、その後、方正林業局四道営林場に戻され、2人に監視され続けた。
その期間、曲さんは天安門焼身自殺事件の真相を伝えた時、留置場のトップにビンタを食らわせられ、顔面が数日間腫れあがったままだった。また、同じ者に食堂でも殴られたことがあるという。