文/湖北省の大法弟子 文遠
【明慧日本2017年6月24日】農婦である祖母は字が多く読めませんが、佛を敬虔に信じていて、毎年、定期的に精進料理を食べ、至る所で線香を捧げています。幼い頃、私は祖母から神仏を敬う多くの物語を聞きました。
祖母は数人の女性仲間と一緒に線香を捧げに木蘭山に行ったことを教えてくれました。「行く前のしばらくの間は精進料理を食べ、行く前日には入浴し、夜明け前に出発して夜にやっと家に帰ってくるのよ」。木蘭山は私たちの村から数十キロほど離れています。当時はまだ大通りがなく、纏足をしていた祖母は1日のうちに25キロの道を往復し、さらに山を上り下りするその辛労は本当に想像しにくいものでした!
中国共産党政権の時代になってから、神を敬うことは封建的で迷信だと言われ、禁じられました。しかし、祖母たちは依然として神を敬っていました。祖母はとても面白い事を話してくれました。――大躍進の後、食料が足りないため、人々はお粥しか食べられませんでした。木蘭山に行く前、仲間の龔(ゴン)さんは祖母に「盧(ル)さん(私の祖母の姓)、もし、途中でお手洗いに行きたくなったらどうしますか?」と聞きました。祖母は「線香を捧げに行くので、そのような良くないことを考えないことにしましょう」と言いました。その後、龔さんは道中でずっとお手洗いを探していましたが、祖母は丸1日、一度もお手洗いに行きませんでした。事後、龔さんが祖母に訳を聞きましたが、祖母は「人に真心があれば、神が応えて下さるでしょう」と言いました。
「人に真心があれば、神が応えて下さる」という祖母の言葉は私の心に深く刻まれました。当時の私は幼く、この言葉は少ししか理解できませんでしたが、心の中に神を敬う種が植えつけられました。
祖母は教育を受けませんでしたが、よく奥深い話を口にしていました。たとえば、「見ぬもの清し」や「人に妥協するのは、人より弱いからではない」などがありました。たぶん、これは彼女が幼い頃からずっと伝統文化の薫陶を受けてきたおかげかも知れません。彼女の神仏に対する敬虔(深い尊敬や愛)な姿勢に私は深く影響を受けました。
古代の人々はとても敬虔に神々を敬い、よく斎戒(さいかい・飲食や行動を慎むこと)して、身を清め、入浴したり、線香を捧げたりしていましたが、現代人は恐らく遙かに及ばないでしょう。たとえ普通の事でも、古代の人は敬虔な気持ちを込めて行いました。たとえば、皆さんがよくご存じの「立雪程門」(宋の程子に教えを乞いにきた学生が、師が瞑座しているのを見て、雪の門前で師が醒めるのを待ったという、教えを受ける側の心構えを伝える話)や、「三顧の礼」(三国時代の中国で、蜀の劉備が諸葛亮を軍師として招くために、その草庵を三度訪れたという、人の上に立つ者が仕事を頼みたい人に特に礼を尽くして交渉する)、「張良が夜中から黄石公を待つ」(秦末、張良が隠者である黃石公から兵法書『太公兵法』を受け取り沛公に天下を取らせた故事による)などの典故はすべて、古人の敬虔で恭しい心構えを表す事例です。「信ずれば願いは叶う」や、儒家で重要視されている「八条目」のうちの「誠意」と「正心」も「敬虔」について述べられている言葉です。
師父はこのようにおっしゃっています。「人類は、大法のこの世での現われに対して、然るべき敬虔と尊重を体現することができれば、人々、民族、或いは国家に幸福や栄光をもたらすことでしょう」[1]。私たち大法弟子は世間の幸福や誉れを求めず、最終的には師父に従って家に帰ることを目指しているので、なおさら大法に対して敬虔と尊重の気持ちを払うべきではありませんか?
伝統文化が破壊されたため、多くの同修は師父や修煉に対して「然るべき敬虔と尊重」が欠けています。一例を挙げてみます。
法を得た当初、私は同修に師父の新経文を渡したことがあります。2回ほど、同修は経文を受け取って、ちらっと見てからポケットに挿し込み、自分の事をしに行きました。「あら?! どうしてこのような態度ですか?」とびっくりした私はその場に立ちつくしてしまいました。
時に、同修の修煉状態がよくないのは、彼らの大法に対する敬虔と誠意の度合いと関係があると思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」