敬虔な気持ちで法を読む
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 【明慧日本2015年11月6日】私たちは学法をするとき、両手で大法の本を持ち、心を込めて、目は本に集中し、穏やかな声で口から一つの文字、一つの語句を読んではっきり聞き取れるようにし、本当に自分が学法している状態にあるべきです。特に集団学法のとき、このような学法環境があれば、どれほど素晴らしいでしょう!

 ある年配の大法弟子は、一つの文字も読めないのに、師父の加持の下で、大法の本をミスなく読めるようになりました(夢で彼女は本を丸ごとに飲み込みました)。彼女は法を読むとき、落ち着いた口調で、すべての文字がはっきり聞こえる速さで進みます。数年前、彼女と一緒に学法をしたことがありますが、いまだに、あの雰囲気を忘れません。彼女が法を読んでいるとき、皆が慈悲の力を感じていました。

 同修の皆さん、少しスピードを落として法を読んでください。各層の空間の自分にも聞こえるように、法に同化するように、私たちは正確に読みましょう。

 以前、私は法を読むとき、状態が良くありませんでしたが、少しずつ直しました。そのとき、老眼鏡をかけても読み間違いが多かったのですが、絶えずに内に向かって探すことによって、私の学法を妨害する旧い神、悪い神、腐敗したものなどを取り除きました。今となっては眼鏡を掛けなくても、はっきり法を読めます。

 個人的なアドバイスですが、自分の胸当たりで大法の本を持つと、眠気がなくなり、地面に落ちることもないと思います。どのような心理状態で学法をするかによって、法の現れ方も違います。これも自分の選択です。

 個人的な認識なので、適当でない場合、あるいは法に基づいていない場合は、慈悲にご指摘ください。 

 
(中国語:http://big5.minghui.org/mh/articles/2015/8/9/313609.html)
 
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