中国国内におけるネットでの学法と安全問題について
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文╱台湾の大法弟子

 【明慧日本2018年12月6日】明慧ネットが前回推薦した文章に引き続き、この度、明慧編集部は文章を発表しました。文章の中で、教訓を得なければ、深刻な問題をもたらすことをより明確に述べました。ここではその一部の内容について交流し、共に切磋琢磨したいと思います。

 明慧編集部の文章『安全を重視することは要である』の中で、「どの修煉者もいくら多く、はっきりと見えたとしても、それは浩瀚な全体の一部に過ぎず、一つの砂粒に過ぎません。本当にすべてを知っておられるのは師父だけです。どうすれば本当に私達にとってもっとも良いか、それは師父しか分かっておられません」と書かれていました。

 師父が求められたものを無条件に圓容することこそ、真に法を正す師に手伝うことではないでしょうか。師父が求められたことを変更したり、自分が欲しいものを圓容したりしてはいけません。なぜなら、自分が見えたものは一部でしかなく、甚だしきに至ってはわずか一点だけで、本当のこと、全体の事は師父だけが把握しておられるからです。もしかしたら、私達すべての人が自らの観念を放下し、無条件に明慧ネットの要求に協力した時、奇跡が顕れ、情勢は直ちに変化が起きるかもしれません。というのは神が人間社会のすべてを按排しており、すべての人の道を按排されているからです。

 「重大な問題に関しては明慧の態度を見なければならない」と私達は分かっています。明慧編集部が問題を指摘した時、内に向けて自らを探し、通達通りに無条件に協力し、実行しなければなりません。内に向けて探し、自らの観念を放下し、着実に修め協力する過程は、法を正す進展に必要なものを圓容する過程ではないでしょうか? 一部の同修は、「それなら、独修している人はネットのチャットアプリを使わなければ、同修とのネットでの連絡が少なくなり、ネットでの集団学法煉功発正念の環境を失い、修煉が遅れるのではないか」と疑問を抱いているようですが、私はそういうことにはならないと思います。

 すべての大法弟子はかつて宇宙の異なる天体と次元の王で、すべての人は法に基づいて自ら修めています。他の王がどのようにやっているのかを見て、そっくりそのまま真似することはあり得るでしょうか? 大法弟子の修煉の道は師父によって按排されています。しかし、その道は自ら歩み、悟らなければなりません。自らの法を実証する道を歩み出すことができれば、はじめて神に認められるのです。複雑な社会環境の中で、神は人心を放下できるかどうかを見ています。放下できればそれは高まる過程です。

 明慧編集部は中国国内の学習者に安全を重視するように呼びかけ、安全を重視することは恐れる心ではないとはっきりと述べました。師父は「中国大陸にいるのであれば、やはり皆さんの安全を第一にしたほうがいいと思います。旧勢力に隙に乗じられないようにしてください。これは恐れているかどうかの問題ではなく、邪悪に隙に乗じられないということです」[1] と説かれました。

 法を正すには進展があるのです。「すべての大法弟子に大法の進展について行ってほしい、そして、円満成就してほしい」と私達は願っています。最も純正で、素晴らしく、執着を取り除き、正念を持って難関を乗り越え、法と師を信じることによって歩んで来た大法弟子の修煉の道は、すべて未来に残り、未来の手本になります。

 しっかり考えてください。明慧編集部が発表したものは、まだ、悟りやしっかり行なうチャンスがありますが、師父が説法の中で直接おっしゃっていれば、もしかしたら、もう悟ることも高める機会もなくなるかもしれません。

 次元に限りがありますので、法に則っていないところがあれば、慈悲なるご叱正をよろしくお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/11/9/376865.html)
 
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