明慧法会|明慧の仕事は もはや 孤独な個人の仕事ではなくなった
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文/フランスの大法弟子

 【明慧日本2019年6月8日】2000年に明慧フランスに入った時、自分はプロジェクトのために何ができるかまったく分かりませんでした。当時の協調人から、毎日数時間ほど明慧の仕事ができるかと聞かれて、私は2時間ぐらいなら大丈夫だと答えました。

 実際は常人の仕事を終えてから、毎日私は6〜7時間をかけて明慧の文章を翻訳していました。翌朝の起床が影響されないように、ベッドに入る時に時計を見ず、自分がベストを尽くして良くやっていると思っていました。

 今わかったのですが、当時、プロジェクトが私に要求したのは編集能力でしたが、私はまだ出来ていませんでした。英文がよく分からない私は、英語からフランス語に訳された文章を校正しなければならないので、よく数時間をかけて単語の一つ一つを辞書で綿密に調べてから最適の語彙を選び出し、さらに良く訳されている部分を残したりして、実に多大な労力をかけていました。それに、訳す文章は迫害の記事が多かったので、毎回、私は両目を泣き腫らしていました。

 当時、夫も数編の文章を翻訳してくれましたが、例え迫害を受けても、信奉を諦めない大法弟子たちのことを不思議に思ってはならず、彼らの自己犠牲を理解できず、私のことも理解できないと言いました。

 当時、自分はどういう具体的な理由で、ずっと明慧に携わっていたか分かりませんが、記事で読んだ修煉者たちの身に起きた数々の奇跡が、私がプロジェクトをやり続ける支えとなったことを、はっきり分かっていました。たとえば、ある女性大法弟子は座禅していましたが、十数人の警官らでさえ彼女を動かすことができませんでした。また、1人の大法弟子が座禅しており、迫害している者らが同じ部屋に押し入って来ても、彼女が見えませんでした。これらの証言は手に触れるほど直接的で、さらに人心を震撼させるほど感動的なものだったので、私には希望が見えてきました。

 私は記事で読んだ残酷な迫害の真相を周りに伝えようとしましたが、誰も聞こうとせず、自分も徐々に孤立していることに、まだ気づきませんでした。私は心が中国で迫害されている大法弟子たちと一体になり、なぜ夫や子供たちが彼らの味方になってくれないのか、と理解に苦しみました。

 翻訳の提出期限は設けられていませんが、私は自分に一つの要求を課しました。それは、毎日常人の仕事を終えたら、オフィスの椅子から家のパソコン前の椅子に移動することでした。私は晩ご飯を忘れて、家族との会話も交わさず、彼らの話に耳を傾ける時間さえなく、関心もまったく示しませんでした。

 パソコンの前にいる私の様子を見に来た彼らの目に映るのは、常に私が泣き腫らした真っ赤な目でした。彼らは「諦(あきら)めて、意味ないよ」と言いました。彼らは私を理解できず、私も彼らを理解できませんでした。しかし、これが私のすべきことだと思っていました。中国では大法弟子たちが自己犠牲を払っているのを見て、私は法輪大法を放棄したくはなく、生命の意義が分かった以上、大法のために何かしなければならないのに、放棄してどうしますか! 当時、私にはフランス語で交流できる同修がいませんでした。

 家族は私から良い変化が見られず、私が彼らに関心をみせないことは、彼らのそばにいないのと同様であるとしか感じていませんでした。この点に関して、自分のどこかが間違っているのではないか、と内に向けて探したことがなく、ただ、なすべきことを堅持すべきだとしか考えていませんでした。

 時間が経つにつれて、学法によって状況が変わりました。

 時間が流れていくうち、修煉の中で私は一歩下がって物事を見るようになり、バランスを取ることが出来るようになり、以前のような極端に走ることをしなくなりました。

 今は出かけるときに必ずノートパソコンを携帯し、早朝から明慧の翻訳を行なっています。そうすれば家族や周りの人と会話する、より多くの時間を持つことができます。私は自分を変えることに努め、他人にもっと関心を寄せるようにしています。なぜなら、彼らも大切で救わなければならない生命であり、中国共産党の嘘偽りの宣伝に騙されている被害者なのです。もし、私がもっと物事を円融することができて、彼らに私が彼らを大切に思っていることや、極端に走っていないことを感じてもらうことが出来れば、彼らはきっと宇宙大法の偉大さと素晴らしさを知り、大法に対して正しい認識を持つようになります。

 今、自分がしてきたことは大法修煉の一部で、師父が私をこのプロジェクトに按排して下さったことも分かりました。今、どんな大きな困難に直面しても、私は真正面から臨み、自分の一思一念や、言動の一挙一動においても、内に向けて探すようにしています。

 今日の私にとって、明慧のプロジェクトは孤独な個人のことではなくなり、何をすべきか分からない状況でもなくなりました。時間が経つにつれて、自分がこの仕事を通じて威徳を樹立し、衆生を救っているとはっきり分かるようになりました。私は同じ使命を担う同修たちと一緒に、この大きな法船に乗って静かに邁進(まっしぐらに突き進むこと)し、師父が按排して下さった関を乗り越え、法に対する確固たる信念を持ちつつ、それぞれの天国世界に向かっていきます。

 この大法のプロジェクトに携わることができるのは、どれほど殊勝な機会でしょう。他の人達も徐々に、私たちが行なっているこれらの仕事の意義や影響力を理解できることを願っています。お互いを大切に思い、チーム内の同修たちを大切にしましょう! 皆さん一人一人の努力がなければ、このプロジェクトは存続できず、師父が私たちの明慧のウェブサイト(「ウェブページ」、「ホームページ」などともいわれる)に寄せられる期待に応えることもできません。

 一切の妨げを克服し、歴史において唯一無二のこの明慧ウェブサイトの集まりに、参加しに来られた同修の皆さんに感謝します。私たちがここで向かい合うことができるこの瞬間は、本当に喜ばしいものです。このような祝福を承り、師父に感謝致します!!

 (明慧二十周年法会の交流文章より抜粋、編集)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2019/5/29/387652.html)
 
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