明慧法会|真相資料を編集した修煉体験(二)
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 文/中国の大法弟子   【明慧日本2012年10月30日】

 二、明慧ネットの同修と地域の編集者たちの努力

 明慧ネットの同修とほかの地域の編集者たちが、師父の慈悲なる加持の下努力をしていることを述べます。毎期、地元の特報が掲載されると、私はいつもダウンロードして、明慧ネットの同修が修正したかどうをチェックします。もし修正 されていたら、私の原稿と比較して、どこに不足があるのかを考えて、次に編集する時に注意するようにしました。

 私は真相チラシのことで深く印象に残ったことがあります。あるとき私は、明慧ネットに発表された地元の同修が書いた文章を選びました。内容はよく覚えていませんが、公衆の場所で突然ほかの空間の邪悪に迫害されてひどい病気の症状が表れた同修が、師父に加持をお願いして、病気が治ったという内容でした。編集をしていたとき、修煉を理解できない世の人は「加持」とはどんな意味か分からず、同修の精神状態がおかしいと思われるかもしれないので、別の言葉に変えようと思いましたが、いくら考えても適切な言葉が出てきませんでしたので、「加持」という言葉をそのままにして明慧に送りました。

 しかし、心の中でずっと、責任を持たなかったという不安がありました。私は明慧ネットに掲載されたその期の特報を開いてみると、明慧の同修に「加持」を「保護」に変えられていました。その時、心にあった大きな石をやっと下ろすことができたと同時に、私は明慧の同修に深い敬意を持ちました。明慧ネットの同修は極めて少ないのですが、多くの刊行物を作っており、全国各地からの真相資料を審査したり、修正したりしなければなりません。彼らが海のようにたくさんの文字の中からこの二つの文字を選択したことは、どれほど強い責任感があったでしょうか。

 もう一つ面白いことを発見しました。真相を伝えることについて、私が編集する真相チラシに不足があるとき、私はいつも明慧ネットで同修やほかの地域の編集者に関する交流文章を見ることで(基本的に私は毎日明慧ネットを見ている)、自分の不足を認識することができます。これらの不足は、表面的には技能の不足のように見えますが、実はその裏に心性の不足が存在していたのです。例をあげましょう。

 真相チラシの編集を始めたばかりの頃、私は明慧ネットからほかの地域の真相チラシをダウンロードして、自分がよいと思う文章を選んで、それに地元の迫害の情報を加えてまとめ、真相チラシを作りました。その後、私は同修の交流文章を見て、地域の真相チラシに掲載する内容はある程度の関連性があるほうがよいと思いました。読者が文章を読んでも真相が分からなければ幾つかの疑問が出てくるかもしれません。彼らの疑問に答えられる内容を編集した方がよいのです。そうすれば、読者は見た後に疑問が解けるのです。もし関連性のある文章が載っていなかったら、読者は読んだ後に多くの疑問が残り、それでは真相を伝える効果がないというのです。この文章を読んだ私は、真相チラシを編集するとき、真相を知らない人がこの文章を読んだ時にどんな疑問が出てくるかを考えて、適切な内容を選んで編集しました。

 私が真相チラシの編集を始めたのは、明慧ネットに発表された文章と『明慧週刊』地元版に掲載できなかった地元の同修が受けた迫害を、全部真相チラシに掲載したかったからです。ですから、私が編集した早期の真相チラシの中には、地元での迫害情況が大きな位置を占めていました。その後、私はもう一つの交流文章を読みました。それは、同修が邪悪を暴露するパンフレットを編集した経験で、内容はほとんど同修が迫害を受けたことで、発送した後に多くのパンフレットが捨てられたというものでした。同修が悟ったのは、迫害を暴露するのは、世の人々に真相を分からせ、迫害に加担しないようにするためだと思っていました。このことが分かった私は、真相チラシを編集するときに、もし地元の迫害文章がたくさんあった時は、2ページに編集するか、二期に分けて編集し、十分に暴露すると同時に迫害のケースを通して真相を伝えることもできました。

 私たちが救う世の人々の中には、迫害をする人も含まれています。そうであれば、文章の表現や言葉に注意すべきで、恨みや争う態度を持たないように、修煉者の慈悲で世の人の背後でコントロールする邪悪を壊滅して、世の人々を救い済度します。文章を編集するとき、たとえ悪報に遭った記事であっても、いつも最初や最後の所に一段落の話を加えて、私たちは彼らが悪報に遭ったことを喜んでいるのではなく、彼らが受けた悲惨な結果が悲しいことを読者に伝え、世の人々に迫害に加担しないように忠告しました。

 地元の真相チラシは『明慧週刊』地元版の補足的なものなので、私はいつも『明慧週刊』地元版が発表されたあとに、週刊に掲載できなかった迫害のケースを選んで編集しました。しかし、『明慧週刊』地元版は『明慧週刊』が発表した後に編集を始めることができました。時々、同修を救うことに間に合わないと思ったら、私は待たないと決めて、ネットに同修が強制連行されたのを見るとすぐに編集を始めました。この過程の中で顕示心が出てきて、私は『明慧週刊』地元版と協調せず、迫害を重ねて編集したので、同修が真相を伝える結果に影響しました。 

 明慧ネットの同修は交流文章を発表し、明慧のブランドを創立すべきで、真相を伝える効果が向上するようにという文章を書きました。同修の交流文章は、私に明慧週刊が真相を伝えることに重要な作用があることを認識させてくれました。私は「明慧週刊」地元版を編集する同修に手紙を書き、自分が認識したものと心性の不足などを書いて、同修とよく協調できるように、明慧刊行物を主に、地方の真相チラシを補足として組み合わせ、真相をもっとよく伝えられるように頑張りたいと述べました。それから、私たちはずっと同修が地元を離れるまでよく協調しました。

 ほかのこともまだたくさんありますが、全部話すことはできません。これらのことが表面に出てくる形式はそれぞれ違いますが、後ろに表れたのは心性の不足で、それは真相を知らない世の人の立場から考えず、全体の立場から問題を考えられないからです。師父はこれら一つ一つのことを通して私たちに「無私無我で、なおかつ他人を先に」(『精進要旨』「佛性に漏れなし」)という正法正覚を修めさせられるのです。

 時々、修煉状態が良くないとき、私は真相チラシを編集する考えがなくなります。この時、私はほかの地域の同修が編集した真相チラシの枠組みを使って、地元の迫害文章を替えて、少し修正してから同修に提供し、同修を妨害しないようにしたのです。時々、ほかの地域の編集者も私が編集した真相チラシの枠組みを使ったこともあり、大法弟子は一つの全体となりました。

 三、地元の同修の励まし、助けと善意の指摘

 次に、地元の同修の励ましと助けと善意の指摘について述べます。実はそれも師父の慈悲なる加持でした。真相資料を編集することは秘密裏にすることが必要なので、この方面について私が交流できる同修は2~3人しかいませんでした。同修たちは私が助けを必要とする時にはいつも無私に手伝ってくれました。

 先に、本文に述べた編集能力が優れている同修は、いつも私が困難に遭った時に、彼女に頼むと、いつも無私に困難に良く協力してくれましたが、後になると同修はもう私のために助けることより、アドバイスをしてくれて、私に自分で解決させました。最初のころ、私は不満に思いましたが、彼女がやってくれなかったからこそ、私が文章を書く能力と編集の能力を向上させることができました。もし、彼女がずっと困難を解決してくれていたら、私はたぶんまだ同じなところに止まっていたでしょう。

 編集能力がだんだん向上していき、同修からの称賛の中で、私は自分を実 する心もますます強くなりました。一度、同修は私に同修を救うステッカーを作らせました。終わった後に同修に送ると、同修は返信で幾つかの不足を指摘し、やり直してほしいと私に言いました。私は執着心がすぐに出てきて、自分が作ったものの効果はよいと主張して直したくありませんでしたが、同修は善意で私と交流し、私は自己を放下して同修に合わせました。私たちが実証するのは法であり、自分ではありません。

 以上は、私が真相チラシを編集したときの修煉体験です。もちろん私はまだたくさんの不足があります。例えば安逸心があるから、私は専門的な技術を向上することにずっと時間を使わなかったのです。着実に修めることを重視しなかったため、心性の向上が遅く大いなる慈悲心が出てこないなどは、直接に人々を救い済度する効果に影響があります。今回の法会を機に、これからもっと精進して、師父が法を正されることを手伝い、世の人を救い済度できるように頑張りたいと思います。

 (完)

 (明慧ネット第8回中国大陸大法弟子の修煉体験交流会)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2011/11/18/249398.html)
 
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