文/ウクライナの大法弟子
【明慧日本2020年7月8日】2年前の8月のある日、義父が熱を出したため、私は電話で病状を尋ねました。しかしその日の夜、私も高熱が出始め、翌日仕事をするのも辛かったのです。3日目に左肺に裂けるような痛みがあり、背骨が折れたかのように痛み、そして左耳も猛烈に痛んで全身に激痛が走りました。まるで体に釘を打たれているかのような感覚でした。あまりの激痛でうずくまり、高熱で体は火で炙(あぶ)られているかのように熱かったのです。さらに鼻血が止まらず、鼻の穴を塞ぐと血が喉の方へ逆流し、私は立つことも座ることもままならず、一分一秒とただひたすら苦しみに耐えました。
このような極限状態の中で、以前に覚えた経文をなんとか思い出すことが出来ました。まず「苦を嘗め難に遭うことは業力を取り除き、罪を除去し、人体を浄化し、思想境地と次元を高める絶好の機会であり、大変良いことです。これは正しい法理です」[1] が頭に浮びました。そこで、私はそれを繰り返し念じました。
一、法理を悟り、信念を堅持する
痛みで全く眠れなかった私は、ベランダで辛い夜を過ごしました。体に長い釘を刺されているかのような痛みと、心臓と肺が裂けるほどの激痛が全身に走り、さらに喘息(ぜんそく)を起こして窒息しそうになりました。息が上がる声が聞こえた夫はすぐに起き上がり、私のために発正念してくれました。こんなパニック状態の中で、「大法弟子として、あなたの一切のものは、ほかでもなく大法が構成しています。これは最も正しいもので、一切の正しくないものを正すしかないのですが、どうして邪悪に対して屈服してしまうのでしょうか?] [2] という師父の説法を思い出しました。
そこで私は気持ちを切り替えて正念の口訣を唱え、邪悪の迫害を全力で否定し、抵抗しました。その後、心が少し落ち着き、「師父が私の体を浄化してくださり、法輪と気機を与えてくださった。人生も師父が按排されて、業力も師父が滅してくださる。数え切れないほどの術類、功を伸ばす功さえも師父が与えてくださっているのだから、何一つ旧勢力とは関係がない」と悟りました。
目には見えませんが、私は心の底から邪悪勢力に「私の信仰を揺さぶりたいのなら、警告する。私は体のあらゆる層、また、すべての細胞に『法輪大法は素晴らしい』と唱えさせる」という強い念を送りました。
振り返ってみると、そのときの私と夫は戦場で陣地を死守し、邪悪勢力と闘う戦士のような感じでした。どのくらい時間が経ったかわかりませんが、激しい呼吸が収まるまで固守し続けました。そして夫は横になり、やっと眠りにつきました。今まで、激痛で3日間眠れなかった私も椅子に座ったままで、寝てしまいました。翌日、目が覚めると熱がすでに下がっていました。
しかし、熱が下がったものの、第二波の激痛が再び襲ってきました。痙攣、嘔吐、喘息、鼻血が同時にやってきて、呼吸することもままならず、ますます困難になった私は意識が徐々に薄れていきました。
その後、目が醒めた私は、夫が中国式の礼拝の仕方で師父の写真の前に跪(ひざまず)き、叩頭しながら私を救うように願っている姿を目にしました。
それから私たちは一緒に師父の『オーストラリアの学習者に対する説法』のビデオを見ました。夫は中国語で師父に「師父、ありがとうございました。師父、ありがとうございました!」と繰り返し言い、私に「ほら見て、画面の中の師父が私に微笑んでおらるよ」とすごく嬉しそうに話しました。
『オーストラリアの学習者に対する説法』から、私は「修煉の中に起きたすべての出来事はすべて良いことだ。これは紛れもない真理だ。業力を耐えているときは、表面的には小さいことかもしれないが、実に大きな借りを返すことなのだ」と悟りました。
二、「一粒の砂の中に三千大千世界がある」[3] という法理についての悟り
手を挙げられるようになってから、私は第二セットの功法を煉りました。煉っている途中で、額の前に扇風機のように高速に旋回する法輪が見えました。さらに、黄色い光も見えてキラキラと輝き、まるで菊の花が咲いているようでした。
それから、私はたくさんの師父の説法を聞いて、長い間、自分の心の奥深い所に、まだ大法弟子が病気になるという観念が残っていることに気づきました。師父がおっしゃった「一粒の砂の中に三千大千世界がある」、「一粒の砂が宇宙のようなもので、中にはわれわれのような知恵を持った人もいれば、天体もあり、山や川もあるというのです」[3] に対して、「神の世界では大覚者の視野は洪大で、人体の概念に束縛されない。なので、粒子の中に無数の世界と無数の生命が見えるのだ」と新たな理解ができました。
なので私も神のように、表層を通して生き生きとしたミクロの世界を見ないといけません。私は病気という観念を取り除き、「神の道を歩む修煉者は天目が見えるか否かに関わらず、神のような広い視野と洪大な心を持つことが必須である」と認識しました。
「天上はやっと一日なのに、地上はすでに千年」[3] 、私は極限まで大きな苦痛に耐えたと思いましたが、実際は大覚者から見れば、それらの苦痛に耐えたのはほんのわずか1秒であるかも知れず、また、1000分の1秒にすら足りないかも知れないのです。その時、この苦しい難関を与えられたのは、神の境界で人間の世界をみると違う思惟であることを、私に体験させる機会だったのだと突然気づきました。すべてが師父のおっしゃった「罪業を消し 神体を再生してこそ」[4] 、「罪業を洗い流し 再び神体を修復し」[5] の通りでした。これらの事を悟ると、激痛で生じた怨みはすぐさま消え去り、順境でも逆境でも私は弟子として、慈悲深くて衆生を救い済度する師父に感恩し、敬虔さと敬意を持たなければならないことを心から理解しました。
観念が変わるにつれ、私の精神状態は徐々に良くなり、鼻血や嘔吐が止まり、左耳の痛みも無くなり、折れたかのような背骨の激痛も消えて横になることができ、それから、普通に仕事も出来るようになりました。
三、「悪業を行なわせ、善い結果を得る」[6] という法理についての悟り
以前、明慧ネットで同修の交流文章を読んだ際に、同修が病業は心性の関だという認識に対して私も同感でした。しかし、苦しみの中で自分の嫉妬心、顕示心、恨みの心など、ただ単純に各執着心があると考えて、それらを並べるだけでは何の意味もありません。苦しみの中で、自分の執着をはっきり認識するのはそんなに簡単なことではありません。私にできるのは法理に従って自分を正し、心性から着手していくことでした。
痛みは耐えがたいものでしたが、正しい法理に従って修めると、大きな収穫がありました。以前に認識できなかった法理ですが、例えば、師父がおしゃった「悪業を行なわせ、善い結果を得る」[6] を理解することができました。当時、鼻血の大量な出血により、意識が朦朧となり、外来の思想から「歴史上、お前は多くの命を殺した。それらを償わなければならない」と注ぎ込まれました。それを償うべきだとすら思い始めましたが、心では正しい信念を動揺させ、隙に乗じてきた邪悪を強く否定していました。そのとき、突然、師父の「悪業を行なわせ、善い結果を得る」[6] という説法を思い出し、思想が一気に開きました。外来の思想はドミノ倒しのように解体され、「悪業を行なわせ、善い結果を得る」[6] は正しい法理だと認識しました。それから、私は「私の師父は李洪志師父で、衆生の極端な恨みの心も解くことができる。私と良縁であれ、悪縁であれ、みんなが救われることを願っている」という強大な念を発しました。その強烈で、慈悲なる衆生が救われることを強く願う想いに、自分も心打たれ涙を流しました。
「師は学習者に何を与えたのか」[3]を暗唱したときに、私は「師父が自ら調整された身体、自ら与えられた様々なものはすべてが精密で、どの層の生命もそのような大きな法力と威徳がないのだから、それらを変える能力を持っていない。そして、大法弟子に悪巧みをする者は自滅するのと等しい」と悟りました。先日、288頁の「周天」の中の「その身体の持っているもの、各層の空間にいる身体それぞれが持っているものはみな相当豊富であり、恐ろしく見えるほどです」[3]を暗唱した際に、私は「師父の功は大法弟子の体を演化し、各空間の体にも多くの功を持たせて、いかなる生命も師父の功を通ることができないし、各空間にある大法弟子の身にあるものも破壊することはできない。よって、旧勢力は大法弟子の体を奪うなど不可能なことだ」と悟りました。
新たに法理を認識するにつれ、私の正念はますます強くなりました。私が受けた苦痛は何でもないとわかりました。そして、10日も経たないうちに、私は病業の関を乗り越え、元に戻りました。以前と同じように市内を駆け回り、大法の資料と新聞を配り、法輪大法の真相が書かれた手紙を発送しています。
注:
[1]李洪志師父の著作:『精進要旨三』「最後になればなるほど、精進すべき」
[2]李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法は堅固にして破壊不可能である」
[3]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[4]李洪志師父の詩:『洪吟』「神が指す岸に向かおう」
[5]李洪志師父の詩:『洪吟』「歌声で希望を呼び起こす」
[6]李洪志師父の著作:『精進要旨二』「大法とは圓容しているものである」