青年大法弟子 大学に上がる最初の関を乗り越える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2020年7月30日】大学入学の日、学校から「入学願書」という個人情報を記入する小冊子が配られました。中には、自分は法輪大法を修煉していないことを声明しなければならないと書かれており、大法を他の非合法の組織と一緒くたに取り扱っていました。この項目を見た瞬間に心が沈み、様々な良くない念が浮かび上がってきました。このような声明をすれば、法輪功煉功をしないと保証したも同然ではないだろうか? これは入学願書だから、書かなければ入学できなくなるのではないか? しかし、私は大法修煉者で、このようなことは絶対に書いてはならず、どうしようか? あれこれと悩んでいる時、小冊子を配っている人はさらに次のようなことを言いました。「これは真剣に書かなければならないものです。1人に1冊しかないので、間違えないように要求通りに書いてください。学校の方で保存します……」

 どうしようかと思い悩んでいた時でした。突然、500匹の白鼠を殺して、学位を獲得する、という師父の説法を思い出しました。学位を失うのが怖い、仕事が見つからないのが怖いなど、あれこれを恐れて、旧勢力はこれらを利用してあなたを脅迫しているのではないですか? 悪い念や思想は全部いりません。師父は「全人類の知識を身に付けたにしても、やはり常人に過ぎません」[1] と説かれました。私は大法を学びました。これくらいのものに執着しません。入学させてくれないなら入学しません。しかし、法輪大法は絶対に修煉します! 誰が何と言おうが、何をしようが、これだけは譲れません。未来のことは少しも心配していません。学校にいけないのなら、自分で起業すればいいだけの話です。私には師父がおられ、師父が全てを按排してくださるので、一体何を心配する必要があるのでしょうか。衣食住に困るというのですか。これは師父を信じているかどうか、大法を信じているかどうかの問題ではないでしょうか。この際、すべてを捨てて大法を修煉します!
 
 師父は「私もいつもこういう学習者のことを知っています。つまり煉功させてくれないのなら、どうしても煉功するし、法の勉強をさせてくれないのなら、どうしても勉強し、何があっても邪悪の言うことに従いません。生死をもって私たちを脅かしているだけではありませんか?」[2] と説かれました。師父が説かれたその白鼠を殺さなかった弟子は、生死をも放下したのではないでしょうか? それならば、私も放下して見せます。「いかなる佛、いかなる道、いかなる神、いかなる魔に対しても、心が動じることがなければ、必ず成功するに違いありません」[3] と師父は説かれました。

 また、師父は「自分のものなら、無くなることはないし、自分のものでなければ無理に争っても得られません」[3] とも説かれました。私の人生は師父が按排してくださったので、どの大学に行くのかもすでに決められているのです。常人が私をどうこうしようとしても出来るものではありません。師父は「あなたを動かせる人がいれば、このわたしをも動かすことができることになり、はっきり言って、その人はこの宇宙を動かすことができることになります」[3] と説かれました。私を退学させたり、好きにさせたりすることは、常人には出来きません。もちろん、その背後にある邪悪にも出来ません。この大学には必ず行きます。誰もこれを変えられません。
 
 師父は「いずれも乗り越えられるようにしてあります。あなたが心性を向上させさえすれば、必ず乗り越えられるものです。それを乗り越えようとする気がなければ話は別ですが、乗り越えようと思えば、乗り越えることができるのです」[3] と説かれました。私は心性を高め、執着心を取り除く方を選びました。ですので、必ず乗り越えられるのです。結果はすでに分かっているので、これ以上心配する必要はありません。信念を固めれば、その過程がどれほど乱れていても、邪悪は自らを滅亡へと導いていくだけです。

 こうして、私は入学願書の項目にすべてを記入しました。もちろん、要求通りには書かず、その項目とは真逆なことを書きました。師父は「修煉者が重んじているのは、正念です。正念が強ければ、何でも食い止めることができ、何でも行なうことができるのです。あなたは修煉者で、神の道を歩んでおり、常人の要素、低次元の法理に制御されていない人だからです」[4] と説かれました。

 常人に何を要求されても、それは無駄でしかありません。結果はすでに決まっているのです。例え教授が来ても、主任が来ても、校長や理事長がやって来ても、私は彼らに大法の迫害の実態を伝えればよいのです。

 小冊子を配っている人に、なぜこのようなことを書いたのかと尋ねられましたが、私は「事実を書いただけです」とだけ答えました。仕方なく相手は私の入学願書を教授に渡し、教授に呼ばれて、なぜこのようなことを書いたのか、とコソコソと小さな声で尋ねられました。私は新聞出版本社の「50号ファイル」のことや、国務院や公安局が定めた14の邪教のことなどを教え、そして、法輪大法が非合法である証拠はどこにもないことや、最初から合法であることも伝えました。私の話を聞いた教授は「後で調べてみる」と言って去って行きました。

 それ以降、まるで最初から何事もなかったように、私はいつも通りに大学に通い、授業を受けました。

 始めは少なからず動揺したものの、大法を思い出して正念が生まれ、気持ちが落ち着きました。教授も理事長も衆生ではないでしょうか? ここに来たからにはあなた方に大法の真実の実態を伝えなければなりません。ただ職業が違うだけで特別な人はいません。王や主は自分の世界の衆生が自分に何か悪いことをする、などの心配すらしないのです。

 今回の関を乗り越えられたのは、大法のおかげであり、法から生じた正念なのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「智とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『各地での説法』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [4] 李洪志師父の経文:『ロサンゼルス市法会での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/7/15/408868.html)
 
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