青年弟子が大法修煉に戻る道のり
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文/中国の青年弟子

 【明慧日本2018年12月16日】私は子供の頃に修煉を始めた青年弟子ですが、修煉の機縁を大事にしていなかったため、法を学ぶことを勉強として扱い、煉功を一般的な体操のように扱い、多くの時間を無駄にしました。恐怖心から師父に申し訳ない過ちを犯したこともありますが、師父は慈悲で私を再度救ってくださいました。私が本当に大法を修煉することを決意した時に、やっと修煉の大切さと難しさが分かるようになりました。大法に戻る道のりと、三つのことをする時の一部の感想を書いて、同修と交流したいと思います。不適切なところがあれば、ご指摘をお願い致します。

 一、法を学ぶ過程で、修煉を悟る

 修煉を始めたのは早かったのですが、まだ幼かったので、家族に連れられて修煉して、自ら積極的に修煉するのとは異なっていました。幼い時は常人社会に染められなかったので、生まれつきの本性が然らしめるものにすぎなかったのです。成長してからは、だんだん個人の名誉、失と得、外の世界の視線、評判を重んじて、党文化の影響を受けやすくなりました。新たに修煉の道のりに戻る時、私には常に多くの困惑がありました、修煉とは何か? どのように修煉するのか? その時、私は一人で別の地域で学校に通っており、交流できる同修もいなかったため、私は大量に法を学びました。師父は、「法は一切の執着を打破することができ、一切の邪悪を打破することができ、一切の虚言を排除することができ、法は正念を固めることができるのです」[1] と説かれました。三つのことは一つずつしました。朝は法を暗唱し、午前中は法を学び、お昼は真相を伝え、午後は戻って、常人の勉強をしました。

 最初のころ、邪悪は私を怖がらせ、頭の中で、警察が私を捕まえに来ると教えたので、私は本当に怖くなり、一晩中、眠られず、突然恐怖心が出て来た時、何もする勇気が出ませんでした。ある時は、警察が次の瞬間に扉の前に現れ、突入して私を捕まえに来るのではないかと感じました。

 後から、同修は師父にお願いすることもできると教えてくれたので、私は何回も繰り返して、「師父!」と呼びました。その後は、「怖がる」という考えが出ないように、私はずっと法を暗唱しました。徐々に少しずつ正念が出たら、外に出て、真相の電話を掛け続けました。そしてその後、法を暗唱しながら歩き、歯を食いしばって、対面で直接に真相を伝えることもできました。

 あるとき、師父の「あなたの腕と足、手と口はあなたが思うままに動かすことができます。なぜでしょうか? それはあなたのものだからです。入定する時、どうしても静かにならないその考えは、静かになりなさいとあなたが命令すればするほど、静かにならないのです。これはあなたなのでしょうか? それが自分だと認めていいのでしょうか? それはあなたが後天で形成した観念と業力です。ですから、あなたはそれを第三者として見れば良いのです」[2] という法が目に入りました。私はこの考えは私ではなかったことが分かりました。「怖がる」という考えが出て来たら、私はすぐにそれを消滅しました。徐々に、師父は私に、「怖がる」という考えだけでなく、他の考えも消滅すべきだと教えてくださいました。このようにして、少しずつ私は普通の生活を送ることができました。

 この過程で、私が感じた明らかな変化は、小説への執着を取り除いたことです。昔、私は小説を読み始めたらずっと読み続けて、朝目が覚めてから、夜寝るまでに読み続け、法を学ばなくなり、ほかのどの常人のこともしなくなりました。毎回、師父の写真の前で、もう二度と小説を読まないと誓いましたが、次回はまた同じ過ちを犯しました。心の中では、意地を張らないことを憎みましたが、取り除くことができず、良くなったり悪くなったりしました。

 ある日、『轉法輪』を暗唱する時、表面の文字から見ると、師父は他の問題(具体的に法のどの段落までかはっきり覚えていない)について説かれていらっしゃるように見えましたが、なぜか私は理解できました。この執着を取り除くためには、一思一念から探す必要があります。例えば、頭の中にはよく、小説のある場面、ある人物、ある会話、ある自分が憶測している場面、小説の中の自分が認めているある価値観がさっと浮かんできます。この一念がさっと浮かぶ時に、すぐそれを掴んで消滅します。少し時間が経ったら、この執着が本当に無くなったと感じました。

 ただ、クラスメイトが自分の見たことのあるドラマや小説について話す時、私は頭の中にはっきり覚えていることにやっと気づくと、考えの奥から、再びこれらの物質を消滅しました。ある時、他の人が自分の好きだった場面を話す時、心がまた動きました。同修の交流文章を見た後、気づきましたが、私の心の中では、それらの情愛はとても素晴らしいことだという観念があったので、正念を再度発して、観念を消滅することに注意しました。今は、その時は夢を見たように感じ、人間らしくありません。大法がこの腐敗物を一層ずつ剥がしてくださいました。今でも時々夢を見る時、情愛についてまだ未練を感じます。私は自分の色心、欲望、気楽な暮らしを望む心、観念等の関連する執着をまだ修めきっておらず、しっかり修める必要があります。

 二、積極的に正念を発する

 正念を発し始めた時、頭の中は雑念に満たされ、発しながら、寝てしまいました。発しなければまだいいのですが、発した後は頭の中は糊のようになります、口訣を読む時も全て雑念だと感じました。それはポーズを取っているにすぎませんでした。但し、正念を発しなければなりませんので、私をずっと発し続けました。条件があれば、毎時に1回発します。自分の主意識を明晰にさせるために、身体は張り切っていました。そしていつからか、ほんの少しでも心を澄ますことができ、徐々に正念を発することができました。

 しっかり修めていないため、長い時間正念を発するのはあまりできず、ずっと強大な正念の力で邪悪を消滅することができませんでした。そしてある日、警察が上司と交渉し、私を迫害しようと企んでいたので、私は静かな廊下で長時間正念を発しました。その時は全然心を澄ますことができなかったのですが、正念を発するべきだとは知っていて、ずっと発しました。雑念を自分と見なさず、心の中ではずっと師父にお願いしました。1時間ぐらいに発した後、雑念がだいぶ減ったと感じました。その時、同修も私のために、正念を発してくれました。最近のある日、四つの正時に正念を発する時、突然全ての細胞が震えて、すぐに全世界の大法弟子が集団で正念を発する時の威力を感じました。一番不思議なことは、夜12時に正念を発する時、正念を発する前は、眠くて仕方がありませんでしたが、乗り越えて、座って正念を発した後は、爽やかさを感じました、朝起きても眠くなりませんでした、本当に「二日間一睡もしなくても、まったく疲れを知らない」[3] という感覚でした。

 三、真相を伝える中で執着心を探す

 真相を伝えることを私はずっとよくしなかったのです。内から探すと、やはり世間体を気にしすぎる心と恐怖心が妨害していました。最初は、怖くて伝えられなかったのですが、法を多く学び、学べば学ぶほど心の中では真相を伝えたくなりました。また三つのことをしっかりしなければ、旧勢力に隙を与えるのではないかという恐怖心もあり、思い切って毎日自分を追い詰め、家を出るようにしました。実際外に行ってみると、縁のある人が扉の前に立って、待っていました。

 最初は、伝え方が分かりませんでした。「天安門焼身事件」は偽りであるなどの基本的な真相だけを知っていましたので、まずは、人に声を掛け、例えばおじいちゃん、おばあちゃんに元気だと褒めてあげたり、お兄ちゃん、お姉ちゃんは福があると話しました。私はかれらの子供と同年代なので、私の物わかりの良さを見て、話が少し多くなると、私は一所懸命に正念を発し、師父にお願いしました。一人一人の状況は異なっているのですが、皆共産党から各種の迫害を受けたことがあるので、このような問題点を話して、大法の真相を伝えました。ある人は、自分は年の制限を超えているので、三退をしなくてもいいと言い、私がいくら伝えてもだめでした。その時、心の中ではとても焦り、ずっと師父にお願いをしました。そうすると、私は自分が何を話したのか分からなかったのですが、彼は退出することに同意して、私に感謝しました。その後も、私がその時何を話して彼が同意したか全く思い出せませんでした。全ては師父がなさっていたと分かります。

 真相を伝える時、自己保身の心があったため、他の人から私の個人情報を聞かれた時、私は言葉を濁し、心も乱れて、他の人に自分が大法弟子であることを伝えることができませんでした。自分の個人情報を言うのを怖がり、恐怖心、疑心、自己保身の心が現れて、知り合いに真相を伝えることは、知らない人に真相を伝えるより困難になりました。伝えることをあっさり諦める時もありました。それは、他の人が異様な目で自分を見るのを怖がったり、情が傷つくのを怖がったり、自分の利益が損なわれるのを怖がったり、通報されるのを怖がったりして、党文化の疑心とマイナス思考がまだあったのです。また、ペラペラと話し、自分を実証すると、真相を伝える効果はよくありませんでした。大法の真相は伝えましたが、党を退出することは怖くて伝えられませんでした。

 それは法をしっかり学んでおらず、法理が明らかでないためです。ある問題は師父が法の中で説かれましたが、学ぶ時に心を込めていなかったため、適当にしていました、法をしっかり学ばなければ法を実証することはできません。ある時は、その時は理解できましたが、自分を煉功者として扱わず、しっかり修めていなかったため、心性が向上できず、当然相手の裏側の邪悪を解体することができませんでした。

 振り返って見ると、大法の修煉に戻る過程は、本当に師父が私を引っ張ってくださったことによるものでした。私にほんの少しの正念があれば、師父はそれを強めてくださいました。修煉に戻りたいと思った時から本当に修煉に戻るまで、およそ3年かかりました。ある日、法を暗唱する時、私は本当に戻りました。その時はまるで醍醐灌頂(だいごかんじょう・知恵を人の頭につぎ込む) のように、すぐに頭がはっきりしました。その過程で、私はよろめきながら歩んできました。物事に対して極端になりやすかったり、悲観的な気分に左右されやすかったりしました。「草木皆兵」(※)という言葉がありますが、あれを怖がったり、これを怖がっていました。また党文化、無神論の毒害は、私を威張らせ、修煉をごまかしたり、八方美人にさせたりしました。人に見せる部分はしっかり修めましたが、心の中にはまだ執着を隠していました。また潜在意識の中に、師父と法を信じない考えもありました。

 師父の保護と教えの下、同修からの励ましと交流は、少しずつ執着を見つけるよう手伝ってくれました。明慧ネットに掲載されている交流文を読んで、自分の不足している部分と比較し、私は修煉の厳粛さと、自分の責任及び法を学ぶ大事さが分かるようになりました。

 最後に、同修と励まし合って一緒に頑張りたいと思います。師父は、「私はいつも法をしっかり勉強するようにと言っていますが、毎回の法会でまたは他のところで学習者に会った時に、いつも法の勉強を必ず重視しなければならない、いくら忙しくても法を勉強しなければならないと言っています。当時、私はこれほど高く奥深いことを話してはならず、またこのことを全て明らかにしてはいけませんでした。今回の魔難を経て、皆さんは更に深く法を認識することができ、修煉と法を実証する中で更に成熟しました。今日皆さんに教えてもいいのですが、皆さんの修煉は決してただ個人の圓満成就のためではなく、皆さんの修煉は、皆さんに限りない希望を託し、皆さんと対応している天体にいる無数の衆生を救い済度しているのであって、全ての厖大な天体大穹にいる衆生を救い済度しているのです」[4] と説かれました。

 (※)草木皆兵: 草木までみな兵に見えて、つまらぬことにびくびくし、疑心暗鬼になること。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨(二)』「妨害を排除せよ」

 [2] 李洪志師父の経文:『北米第一回法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [4] 李洪志師父の経文:『北米での巡回説法』

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2018/9/25/374948.html)
 
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