文/中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月14日】私は2006年8月、妹の紹介により大法修煉を始めました。最初の頃、書籍を読んでも心に留まらず、一部の文字も読めないため、数日経っても一講を読み終えることができず、内に向けて探すことも知らず、人心が一杯でした。しかし、それでも師父はずっと私の面倒を見てくださいました。ある日、私は第二式の功法を煉っていた時、突然嘔吐したり下痢気味になりました。5式の功法を煉り終わって、しばらく横になって休みました。嫁に「お母さん、ご飯ですよ」と呼ばれて起きて行くと、体がふわふわと軽く、今まで経験したことのないような軽快さでした。この大法は実に不思議だと思いました。
2008年の春、畑仕事をしている時、突然歯が痛くなり、食事もできないほどでした。しかし、私は農作業をしなければならないため、嫁が薬を買ってきてくれました。私は「そこに置いてちょうだい」と言って、嫁が帰ってから薬を全部捨てました。師父は私のために体を浄化してくださり、業を消去してくださっているから、絶対大丈夫だと思いました。師と法を固く信じるこの一念で、2週間後には歯の痛みは消えてなくなり、それから今日まで痛くなった事はありません。師父は私の難を消去してくださいました。
2011年12月24日、私は妹と一緒に寝たきりの母親を見舞いに行きました。両親にお土産を買って、お店を出ようとした時、私はつまづいて転んでしまいました。その時、骨盤の寛骨が割れたように感じ、高股の筋も切れたように感じて痛くて立ち上がれなくなりました。妹から「姉さん、立ち上がれる?」と聞かれて「大丈夫、立ち上がれる」と答えました。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」[1]ですから、私は本当に立ち上がることができました。
足を引きずりながら、バス停まで行ってバスに乗ろうとしましたが、道路を渡る時再び転びました。今度は本当に立ち上がれなくなりました。妹は私を支えて「姉さん、まだ歩ける?」と聞くので、私は「法があって、師がおられるから、歩ける」と答えました。こうして、私は一歩一歩歩いてバス停まで行き、バスに乗りました。目的地の駅に到着し、なんとかバスから下りて実家までたどり着きました。しかし、オンドル(床暖房)に座っても足を上げられないため、妹は私の足を持ち上げてオンドルに乗せました。
夜は、妹と一緒に40~50冊の小冊子を配布しに行くことになっていました。妹は「姉さんは今日はもう行かなくていいよ、私1人で行って来る」と言いました。しかし、私は「駄目です、あなたと一緒に行くから」と言いました。妹が「歩けるの?」と聞くので、「歩ける」と答えました。その夜、私は足を引きずりながら資料を配りましたが、あまり痛みを感じず、資料も全部配り終えました。帰ってから足をオンドルに上げることができました。しかし、翌日になっても、まだ歩けないため、自分の修煉には漏れがあり、しかもその漏れが小さくないと思いました。
夜になって、私は師父に「明日は12月27日になります。私は家に帰らなければなりません。家でやることもいっぱいありますから」と言いました。私は夫を早く亡くして、4人の子供の面倒を見なければならないし、それに、常人に大法弟子が足を引きずっている姿を見せたくないと思ったからです。師父にお願いしてから、私は就寝しました。翌朝、歩いて見ると、少し痛みが残っていましたが、足を引きずらずに普通に歩けるようになりました。私は弟に「大法は不思議でしょう。これが常人ならば、病院に行かなければ治らない怪我です。今日、師父のご加護がなければ、私はどうなっていたか想像もつきません」と言いました。今度の事で、改めて大法の神秘を実証しました。帰宅すると、足はすっかり良くなっていました。師父は私のために前世の怨みを解消してくださったのです。
2012年の春、子供達と一緒に山に入った私は、片足だけが思い通りに動かず、二十数分後にやっと元に戻りました。農作業の繁忙期になると、法を学ぶ時間が少なくなり、人心が湧き上がり、気を緩めている中で魔に隙に乗じられました。ある日、朝起きて煉功した時、突然半身が思い通りに動かなくなりました。オンドルに寄りかかって最後まで煉功を続けましたが、ちょうどその時、近隣の人が来て「おばさん、うちの子供の面倒をちょっと見てもらえないか」と頼まれました。そして「おばさん、あなたの口は歪んでいるよ。ちょっと待って、兄貴に知らせて来るから」と言いました。
しばらくすると、息子は車で帰って来ました。嫁は私を引っ張って泣きながら「お母さん、早く病院に行きましょう」と言いました。私はオンドルの奥へと体を動かし「病院へは行きたくない」と言いましたが、子供達には敵わず、仕方なく車に乗せられて病院へ行きました。医者に「脳梗塞だ」と言われ、そのまま入院させられました。その時、食事をしても、水を飲んでも口からこぼれてしまい、トイレへ行くにも2人に支えて貰わなければなりませんでした。このような状況下でも、私は怖いとは思いませんでした。心の中では「師がおられ、法もあるから、絶対大丈夫だ」と思いました。翌日、同修が見舞いに来て「私達はあなたの空間場をすでに一掃しました。後はあなた次第ですよ」と言ってくれました。私は同修達の激励と加持に感謝しました。心の中では「このすべては仮相です。私がしっかり行えなかったから、邪悪に隙に乗じられました。師父はこの迫害を認めないとおっしゃっているから、私達も決して認めません。私はきっとこの関門を乗り越えます」と思いました。
子供に大法の本とMP5プレーヤーを持って来てもらい、点滴を受ける時は法を聞き、点滴が終われば法を学びました。私は何も考えないようにして、すべての心を放下し、法を聞いたり学んだりしました。すると、5日目には自分でベッドから降りられ、トイレにも行けるようになりました。師父は 「脳血栓になった場合、こんなに速くベッドから降りられ、手足も動けるようになるのでしょうか? しかし、彼は逆に、法輪大法を学んだせいで倒れたのだ、などという言い方をしています。脳血栓がこんなに速く治るものなのか、彼はよく考えもしませんでした。仮に法輪大法を学んでいなければ、今日ばったり倒れたら、そのまま死んでしまうか、寝たきりになって、それこそ本当に脳血栓になってしまうかも知れないのです」[1]と説かれました。こうして、9日間後には退院できました。この9日の間、私は真相を伝えて十数人を救いました。退院後、嫁の実家に点滴を受けに行きましたが、ふと、これはおかしいのではないか、旧勢力が手配した道を歩んでいるのではないか、師父が按排された道を歩まなければならないと思いました。この時、私はとても同修に逢いたくて、同修の家を訪ねました。
同修の家に着くと、同修は「師父が私の手を繋いでる」の歌を流してくれました。私は思わず涙を流し、顔をくしゃくしゃにして泣きました。夜になると、同修と交流してからすぐに眠りにつきました。この日の夜、私の口から焦げ臭い匂いがして一晩中その匂いを排出ました。それは私が病院で注射を受けたものでした。師父はそれを全て出してくださいました。翌朝、朝食を取った後、私は家に帰ると言ったら、同修は「大丈夫ですか? 歩けますか」と聞きましたので、私は「大丈夫です」と答えました。同修の家からバス停まで1.5キロも離れていますが、私は自分で歩きました。帰宅すると、子どもたちが買ってくれた400元ほどの薬を全部処分しました。それから、今日まで私は薬を1錠も服用していません。同じ村の人が私と同じ病気になり、その年の冬に亡くなりました。しかし、私は今でも元気に暮らしており、しかも健康そのものです。慈悲で偉大な師父が私を救ってくださり、私に二度目の命を与えて下さいました。
数年前のことであまり覚えていませんが、田植えの時期だったと思います。私の足に突然大きな出来物ができて、蒸しパンみたいに腫れました。私はそこを撫でながら「法輪大法は素晴らしい」 「真・善・忍は素晴らしい」と念じました。翌日畑仕事から帰ってくると、出来物がさらに大きく腫れていました。それでも私は動じず、手で撫でながら一晩中「法輪大法は素晴らしい」と念じました。翌朝、起きて見てみると、出来物は消えてなくなり、正常に戻っていました。大法は本当に不思議です。大法の神秘は人間の言葉では言い表せないものです。
2015年12月23日、私はマンションの廊下に「江沢民を告訴しよう」のシールを貼りました。階段を上がって来た時、上から人が下りて来ました。私は恐れる心が出て、外に出ようとした時、足を踏み外して転びそうになりました。その時、足の甲がとても痛く感じました。手で足を少し揉んで、そしてタクシーで家に帰りました。恐れる心が出たため、邪悪に隙に乗じられました。私は心の中で「私の足は衆生を救い済度するためのものです。旧勢力の迫害を許しません。師父にご加持をお願いします」と正念を発しました。息子は私の様子を見て「病院に行こう、薬をもらおう」と言いましたが、私は「大丈夫だよ。明日になればよくなるから」と言いました。
こうして、私は発正念をし、大法は素晴らしいと念じながら眠りにつきました。翌日になって、腫れはすっかり引いていました。再び大法の素晴らしさを実証しました。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』