文╱中国の大法弟子
【明慧日本2017年1月20日】私は今年88歳です。1996年の年末から法輪大法を修煉し始めました。21年近くの修煉の道を振り返って見ると、自分がやって来たすべてのことは当然すべきことで、文章にするほどのものではないと改めて思いました。しかし、同修から再三に催促され、私もこの機会をお借りして、師父にご報告し、同修と交流をし、この交流文を持って大法を実証したいと思いました。適切ではないところがあれば、同修達にご叱正をお願いします。
一、心に法が入っており、親戚の情に左右されず
大法修煉をする前、私は胃潰瘍、胆石、前立腺炎など様々な病気を患っていました。薬が手放せない私は、至る所に出かけては治療を求めましたが、効果もわずかなものでした。煉功してからは、これまでの病気がいずれも治療せずに治癒したため、家族はこの功法にとても肯定的な態度でした。しかし、1999年7.20、迫害が始まり、子供達は一変して、特に2人の息子の嫁は、私と妻の煉功に猛反対し、さらに、真相資料を隠したり、同修を家に入れませんでした。私は心が動かず、大法が正しいものだと固く信じて、いつも通りやるべきことをやって、子供達を根気よく説得しました。
今、子供達はみんな私達の修煉を応援してくれ、真相資料を守ってくれ、進んでプリンターや消耗品を購入してくれています。まさに、師父がおっしゃった「一つの心が動かなければ、全ての変動を制することができる!」[1]、その通りで、それはすべて大法の威徳です。
二、多くの人を救い、使命を果たす
この数年、私はずっと自転車に乗って真相資料を衆生に届け、真相シールを貼り、人を救っています。以前、同修と協力して、基本的に夜に周辺の農村地域に行きましたが、7年前から状況が変わり、今は私1人で昼間に行っています。資料がない時を除けば、私は週に3回以上出かけ、農村の衆生に福音を届け続け、中断したことがありません。自宅から半径15キロの60余りの村に、すでに何度も全域に資料を届けました。師父の詩『快講』が発表された後、私は以前の受動的なやり方を改め、もっと心を込めて人を救うようにし、1部1部の資料、小冊子、縁のある人への手紙、三退カードなどを大事に扱い、資料の内容に応じて上手く組み合わせ、できるだけすべての資料が衆生の心を啓発できるように、そして最大な効果が果たせるように取り組みました。
ある同修は私に、「このお年で、ここまで根気よくやり続けて、本当に偉いですね」と言われましたが、正直なところ、私は自分が年だと思っていません。大法修煉をして、私はますます若返りました。私は人を救うことが自分の責任だと思っており、師父が私達に多くの人を救おう、早く人を救おうとおっしゃっているから、弟子として、師父のおっしゃる通りにしなければなりません。暑い日も寒い日も、私は自転車に乗って衆生に真相資料を届けていると、寒さや暑さをあまり感じなくなりました。私は自転車に乗って20、30キロ走ってもぜんぜん平気で、40キロ走ってもまったく問題ありません。
真相資料を届ける過程で、何度も危険な状況に遭遇しましたが、いずれも師父のご加護のもと、無事に帰って来ました。一度、私はある村に真相資料を届けに行きました。もともと昼の12時に到着する予定でしたが、その日、すこし遅れたため、私は焦ってしまいました。ある大通りに出て横断しようとした時、2台の石材を運ぶトラックが猛スピードで西から東へと走って来ました。1台目のトラックが通過すると、私は自転車に乗って道路を横断しようとしました。その時、2台目のトラックがすでに目の前に来ており、もう少しで衝突しそうになった瞬間、トラックはバランスを崩し、道路の反対側に倒れました。運転手は車から這い出て来てまったく無傷でしたが、彼は目の前の光景をとても不思議に思ったようです。私も無事でした。今まで、私はよくわけが分からず転倒したり、指をぶつけたりしましたが、今度の交通事故の後、このような現象はほとんどなくなりました。
また、真相の知らない人に通報されたこともありました。いずれも師父のご加護の下、上手く危機から逃れました。「師父のご加護がなければ、私たちは何も出来ないし、それどころか、自分の命すら守れず、人を救うことはなおさら出来ないだろう」とつくづく思いました。すべては師父の威徳です。
そして、私は帰省する機会を利用して、そこの衆生に貴重な真相資料を届け、彼らにも真相を知ってもらい、彼らを救いました。故郷の身内の者は皆真相を知り、中国共産党の関連組織から脱退しました。
私の一日のスケジュールはびっしり埋められていて、すべて人を救う事ばかりとなっています。その後、同修達が音声電話をかけて人を救っているのを見て、もっと多くの衆生を救うため、私も息子に携帯電話を買ってもらい、空き時間を活用して、出かけて音声電話を掛けるようにしました。残念なことに、現在まで、まだ直接通話して、三退を勧める事が出来ていません。同修との開きを感じました。
三、全体で高まり、共に精進する
私達の学法グループは平均年齢が83歳を上回っています。同修達の修煉状態がそれぞれ異なり、人間的観念が重いという共通の問題点を持っています。私は皆が一緒にいる時間を利用して、それぞれの同修の問題に応じて、家庭であるいは社会で起きたトラブルや、また真相を伝えた時の考え方が法に則っているかどうかについて交流し、一思一念を正し、常に冷静に対処できるようにしました。『明慧週刊』に問題点にぴったりと合致してる文章があれば、私達はそれに照らし合わせて、同修の修煉体験を参考にし、自らの不足を探し、少しずつ人間の殻を破るようにしました。
こうして、私たちは皆全体で高まったように感じました。今、皆は法を正す進展について行き、三つのことをしっかり行っています。
四、文章の結び
私はもうすぐ90歳になります。しかし、耳も目もまだまだしっかりしており、頭の回転もよく、まったく老いぼれていません。大法が私に新しい命を下さったからです。私はもっと全身全霊で三つのことを行わなければなりません。しかし、いくら頑張ってやったにしても、師父が与えて下さったものの万分の一もお返し出来ないだろうと思っています。
法を正すことが終盤になりました。自らをしっかりと修め、もっと多くの人を救うのが私の願いです! 師父は「現在、皆さんは他でもなく、更にしっかりと行い、効率よく行い、より広い範囲に影響を与え、更に多くの人を救うことができるようにすべきです」[2]とおっしゃいました。そのようにしなければならないと思っています!
ただ、師父によく頑張っていると、笑っていただけることを望んでいます!
注:
[1] 李洪志師父の著作: 『各地での説法五』「二〇〇五年カナダ法会での説法」
[2] 李洪志師父の著作: 『各地での説法八』「米国首都での説法」