一人の女子中学生が河北赤城の警察にひどく殴られた
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明慧日本】私は中学生です。2001年5月9日警笛のなかで、私と何人かの学習者がひとつの大きな庭に引きずり込まれた。私の両手に手錠がかけられ、ある部屋に送り込まれた。後でわかったことですが、そこは赤城裁判所でした。4人の大柄の警官が私を取り調べ始めた。最初彼らは無理に笑顔を作って、「正直に白状すれば寛大な措置をとります。また白状したら、あなたを家に帰させます」と言った。私は自分が良い人であることは間違いないと分かっていたので、考えもせず、私の年より随分上の人に真相を伝え始めた。しかし彼らは途中で話を中断させ、また憎々しげに私に叫んだ。「わしがお前を取り調べるか、お前がわしを取り調べるか」と叫び、私は「私には罪がない、どうして私を取り調べるのですか」と言い返した後、ずっと黙って何も言わなかった。すると、彼らはさらに怒って、北京にいくいわゆるリーダ役の人を白状させ、私はずっと何にも言わなかったため、彼らは事前に準備した縄を持ってきて、縄で縛るぞと私を脅かした。 

 児童時代に私は人が縛られ、吊るされたままで殴られたのを見たことがある。その時私はすごく悲しかった。今同じことが私の前に現れたが、急に笑いたくなった。この刑具はまさか私に対して使われるとは思わなかった。しかも彼らの前で立っていた私は、まだ未成年で、彼らの身長の半分しかない女の子だ。 

 その後、彼らは私を縛らなかったが、突然二人の警官が来て、左右両方、私の顔を殴り続けた。何回殴られたか覚えていないが、私は耳鳴りがした。彼らは何か罵ったが、はっきり聞こえない、顔がひりひりと痛いのを感じた。その後、彼らは無理矢理私の手錠を掛けたままの手を引っ張った。時間がどのぐらい経過したのがわからないが、私が気づいたことは、一人が、手錠を引っ張って、私を庭に連れていかれたことだ。周りから笑い声が聞こえる。突然、ある声が耳に入った。「電気棒で殴れ」。 

 その後、手錠は外されたが、両手の手首が長時間手錠に掛けられたため、傷が残った。朝3時、私は非法に拘禁所に送り込まれた。「二次審査」は赤城の警察所だった。今回は私は極めて残酷な拷問用の刑具に座らされ、周りが閉鎖されたまま、5時間にわたって拘禁された。この刑具は刑事犯人専用だと聞いたが、まさか私のような女の子に対して使うとは思わなかった。後に知ったことだが、他の学習者二人も同じように2日2晩に拘禁された。 

 一人の未成年の中学生、進学試験がだんだんと近づく。ただ自分の合法的な権利を使用したことだけで、非法に40日間拘禁された。6月22日進学試験の日がやってきたのに、私は「真・善・忍」を堅持し、良い人になるため、試験を受けられず、進路が中断された。私はどうしても理解できないのが、この警官たちがどうしてよい人になろうとする人に対して、こう言う風に応対するのか?これと教科書の中で習ったことは全然違った。 

 私はこころから「このような悲劇は二度と発生しないよう」と呼びかける。まだこんな若い私でも、法輪功の博大さ、奥義深さを理性的に理解することができる。しかも私のような大法を修煉する子供がたくさんいる。もっと多くの人が私たちのことを配慮し、私たちのような本当に良い人間になろうとする人たちのことを配慮するよう呼びかける。 

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2001/8/13/14687.html)
(English: http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2001/8/23/13127.html)     更新日:2012年1月14日
 
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