師と法を固く信じれば、魔難を乗り越えられる
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2020年10月25日】私は全ての大法弟子にそれぞれ一枚の試験答案用紙が用意されていることを悟りました。その答案用紙のテーマ―はすべて異なっていて、ある同修の答案用紙には病業の関の問題が出題されていて、ある同修には交通事故に遭遇する問題です、ある同修は家庭や仕事においてのトラブルが起きる問題、別の同修は迫害に遭う問題で、テーマはそれぞれ違っていて内容も異なりますが、全ての答案用紙は同じ質問をされているのです、即ち「師父を信じますか? 法輪大法を信じますか?」という質問です。固く師を信じ、法を信じることが出来れば、私達は乗り越えることが出来るのです。

 師と法を固く信じる

 執着心が生まれる多くの原因を深く掘り下げてみれば、実は師と法を信じることにおいて問題が起きていたからです。いわゆる「病」などの問題があります。

 師父は仰いました「しかし、本当に修煉をしようとする人の身体に、病気があっては修煉できるわけがありません。ですから、わたしは身体を浄化してあげなければなりません」 [1]

 師父は、すでに私達の身体を浄化して下さったのですから、私達は、まだ「病」に犯されるのでしょうか? まだこれが病だとしか認識出来なければ、それは師父を信じていないに等しいのではないでしょうか? これは小さい問題ではなく、極めて大きな罪なのです。

 それでは、私達の何が、師父と法を信じることを妨げているのでしょうか? 師父が按排された私達の修煉の道において、長期に亘って精進できないこと、即ち長期に亘って取り除かれない執着心が私達の師と法を信じることを阻止しているのだと悟りました。私の対策は、自分の修煉の過程を振り返り、特にかつて自分が上手く乗り越えられなかった関、つまづいた関に着目して、そのような結果をもたらしたのは自分のどの執着心なのか、その執着心はもう取り除かれたのか、その執着心の根源を見つけたのかについて振り返ります。

 私達の本性の一面で物事を考える

 私達の生命の本質は師父が真・善・忍を用いて創られた生命だと考えています。旧勢力は標準に達した同修を動かせないのはそれらの同修は人の為に考える境地に至ったからです。例えば、警官が家に来た場合は、これらの同修はまず自分の身の安全を考えるよりも、目の前にいる警官を法に救われるべき一人の不憫な衆生として救い済度することを考えるのです。

 また、自分の身体に不正確な状態が現れた時には、こう考えるべきです。「私は私の世界の衆生のために法を得に来ました、私の体系の中の衆生を迫害することは許さない。この世にまだ私が救わなければならない衆生がいる。この不正確な状態が衆生を救うことに支障をもたらしてはならない」

 旧勢力は旧宇宙に属する生命です。私達は人のために考える境地に至れば、旧勢力はまだ私達に届くのでしょうか?

 正念を発して妨害を取り除く

 自分の基点を正せば、私達が発した正念は私の為のものではなくなり、宇宙の正の要素のために責任を負うためのものになります。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『転法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/12/413605.html)
 
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