正の要素を働かせる
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2023年7月23日】私は教師です。以前は複雑な状況に直面すると、心が乱されることが多く、自制するのが難しく、その後、悔しさを感じずにはいられません。例えば、生徒が騒いでいる状況に直面すると、心の中で嫌悪感を抱かずにはいられず、つい責め立てたり、ひどいときには生徒を怒り出してしまうこともあります。後になって後悔し、次は怒ってはいけないと内心思います。しかし、生徒が自主的に良い方向に向かうわけもなく、生徒の喧嘩に無関心でいれば、教育・指導の責任を果たしていないと感じて、申し訳が立たないとも思います。 この状況にどう対処していいのか分からず、落ち着いて冷静に向き合う方法がわかりませんでした。

 ある時、放課後の自習当番をしていた時、まじめに宿題をしいていない生徒たちの姿を目にしました。ある生徒はおしゃべりをしていたり、ある生徒は後を振り向いていたり、ある生徒は他の生徒とジェスチャーでやりとりしていたり......。今回、私は何も話さず、黒板に「宿題に集中」と大きく書き、生徒の状態を観察し始めました。そしてまじめに宿題をする生徒の名前を黒板に書き、書けば書くほど、徐々に教室は静かになり、生徒たちは宿題に集中し、最後には騒ぐ者は一人もいなくなりました。教室全体は正のエネルギー場が形成され、「集中力」そのものの現れでした。この光景は私に大きな感動を与えました。これこそが正の要素です。

 2週目の放課後の自習当番で、教室に着くと、宿題をしている生徒は少なく、騒いでいる生徒たちの姿が目に入りました。以前は、このような光景を目にすると、すぐにイライラし始め、生徒に向かって「静かにしなさい!」と怒鳴ったものです。あるいはテーブルを叩いてやめさせ、それから生徒を説教し、教育していました。その場での混乱は収まりましたが、問題の根本的な解決には至りませんでした。先週の経験もあって、今回の私は内心とても落ち着いており、以前のような嫌悪感も苛立ちもなく、生徒のよくない行いに目を向けず、それを念頭に置かず、ただ黙って黒板に「まじめに宿題をしましょう」とだけ書きました。そして、生徒を観察し、宿題に集中している生徒の名前を書き始めました。私は何も言わず、説教したり怒鳴りつけたりせず、生徒たちは静かになって宿題に集中し始めました。これにはただ驚くばかりでした。

 私は混乱している状況に直面して、動揺することは何もないことをはっと悟りました。混乱している状況を感じ取ろうとせず、生徒の悪い行いに対して嫌悪感を抱かなければ、それによって心が動かされることはありません。この状況の中に入らなければ、心性を保つことができ、生徒を肯定的に導き、生徒たちの善い念を導き出すことができます。生徒が正の理に同意すれば、彼らの言動も自然と正しい方向に向かいます。それは正の理が作用を果たしており、「まじめに宿題をする」という正の理が役割を果たしています。生徒の良い行いはまさに正の理の現れなのです。

 師父は「人間自身も善と悪の二種類の要素によって同時に構成されています」とおっしゃいました[1]

 私が学んだのは、何かに直面したとき、それをどう取り扱うかによって結果も違ってきます。負の影響を深刻に受け止めれば、正の影響は弱く、あるいはその役割を果たさなくなります。もし正の要素を持って取り扱えば、正の働きがあります。私はさらに、大法弟子たちがさまざまな魔難に遭遇したとき、魔難の中に身を置かず、魔難を掘り下げて苦しみを感じるのではなく、むしろ前向きに考え、正の状態から法を実証することこそが私たちの進むべき道であることと悟りました。

 以上、修煉について私個人的な理解ですが、もし大法に則っていないことがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/7/12/462874.html)
 
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