子供弟子を育て相手を思いやる心を修する
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 文/ 海外の大法弟子  

 【明慧日本2021年1月3日】ある日、師父が1人の同修を通して私に啓示されました。それは子供と私の関係が互いに成就の関係にあるということです。私は子供弟子をしっかり育てる過程の中で自分を良く修め、同時に子供を修煉の道に導き、一人の大法弟子になるようにさせることです。子供が成長する中で、たくさんの問題が現れ、一つ一つの問題はまるで一つ一つの試験問題のようです。修煉者の角度から問題を見て解決することは簡単ではなく、これは私が最近経験したほんの少しの体得です。

 一、子供の心に修煉の根を下ろす

 子供が成長する過程で、修煉者として私と家族(同修)が最も重要視したのは、どのようにして子供が小さいうちから大法を心の中に根を下ろさせるのか、また将来大きくなったときに世間から影響されないようにするのかということです。明慧文章の中で頻繁に見かけたのは、何人かの青年同修は、自分の小さい時は父母と一緒に修煉していましたが、大学に行ってから流されてしまい、それから幾つかのことがあって、また幸運にも大法の中に戻ってきたということでした。これらの同修は非常に幸運で、なぜなら他の何人かの昔の子供弟子は常人の中に流されてしまったのでした。ただ学法煉功するだけでは無く、私たちはこれらの問題も解決しようと思いました。5、6歳の子供は、保護者が何かをするようにと言えばするものです。子供の時は学法や煉功をさせるのは容易ですが、容易でないのは子供が独立した後です。学法や煉功をしっかりして、真に修煉の道を自分で歩むようにさせなければいけません。

 子供が2歳前後の頃、私たちは『永恒的詩篇(永遠の詩篇)』を見せてあげました。人はみな天から来たもので、そこが本当の家であることを子供に分かってもらうためでした。また、この特定な時間の中で、私たちは主佛について下界に降りてきて衆生を救い済度することを子供に教えました。この物語を時間を置いて繰り返し見せることで、印象を強めさせていきました。そして絶えず無神論の子供に対する影響を打破させます。私の家の子供弟子は科学が好きです。子供と一緒に『論語』を暗唱し、第三段落のとき、子供に言いました。科学は神を認めず、最も表面的にしか宇宙と生命を理解出来ていません。

 師父は説かれました。「人間を造った過程は正の過程であり、誰もが善良で、しかも理性が非常に強ければ、もし法を正すとき、私が大法を伝えるとき、皆さんに考えて欲しいのですが、大法が伝えだされたら、このような人は百パーセント、一人も残さず全員法を得るのです。特に中国人は一人も残さず全員法を学び、大法を修めるのです」[1]

 子供に生命の源を知らせるだけでなく、私たちは子供が小さい時から法を得るための下地を作ってあげ、ポジティブな性格を作り、子供が法を得るよう導きました。

 子供は自分で何が悪いかを区別出来ず、善悪を分別出来ず、外部からの汚染だけでなく、自分も良くない行いを発展させていきます。私たちは正統な物語を探してきて、例えば、『小乾坤(小さな神々)』『悠游字在(暇つぶしの言葉)』等を見せたりしました。また他の正統な物語の資料、伝統、正統文化は楽しく子供の心に種を植え付けられたのでした。最初、子供はただ面白そうに見ているだけでしたが、その後の生活の中で遭遇した幾つかの出来事を、物語の出来事と結び付け、子供が真・善・忍の法理を理解できるよう導いています。この次元での表れを体現させ、理解させました。私たちもどのように行えば良いのかを知ることで、やっと法理に符合出来るのです。例えば「孝」の意味を知るときには、『弟子规(弟子たちの掟)』の中で具体的な子供に対する要求があります。「父母呼,应勿缓。父母命,行勿懒」(日本語解説:父母に呼ばれたら、すぐに返事をしなさい。父母に用事を言いつけられたら、すぐに行動を起こし、遅れたり怠けたりせずに取り組むようにしなさい)、ただ十二個の文字ですが、子供に出来るようにさせるのは非常に難しく、いつも言って思い出させなければいけません。

 私たちは今まで子供に学法や煉功を強制したことはありませんが、なるべく子供の毎日の学法、煉功の習慣が身につくようにさせました。例えば、毎日就寝前、私たちは一緒に煉功をし、再度『洪吟』『論語』を暗唱しました。私が気づいたことは、子供に習慣を定着させると、その時間になるとそれらを行う準備をするようになるのです。学法をする中で私たちが模索したのは、子供が受け入れられる方法で一緒に学ぶことです。長期的に子供が修煉を認識出来るようにし、学法を拒否するようになってほしくないので無理強いしたことはありませんでした。

 二、子供を教育する過程で他者を思いやる心が生まれる

 子供を教育する過程で、最も容易に出てくる問題は焦りと苛立ちです。師父は説かれました。「子供をしつける時にも、ひどく怒り、かんかんになる人がいますが、しつけはそこまでしなくてもいいはずで、本気で怒ったりせず、理性的に教育して、はじめて本当に良い子供を育てることができます」[2]

 私は自分の怒りを抑制出来なかったとき、後からとても後悔します。実は全て自分の修煉に原因がありました。一つは子供を教育する際に、自分の利益を追求する心が中に含まれていました。疫病の期間中、子供が家でパソコン授業をしていて、ある時子供を見ると集中して授業を聞いておらず、問題に回答することが出来なくて、私はとても焦り子供を叱りつけました。しかし冷静になって家族同修と交流してから、私には利己心があることに気が付きました。なぜなら毎回の授業は有料だからです。子供が真面目に聞かない時、このお金が無駄になるからです。自分の利己心を放下して、再度この私の学習の問題を見てみると違ってきました。

 小学校の知識は、子供の思惟が成熟していると、簡単に把握出来ると思います。小学校の期間、最も重要なのは子供の品格と良い習慣を養うことです。それが分かってからは、子供に集中させる意味を理解してもらうことに力を入れました。子供が自分から集中出来た時には、私は称賛し、励まし、また子供に集中したことで得た成果を見せたりもしました。しかし出来なかった時には、私も一緒に座って学習しました。いつもこのように学んで知識を得たとき、子供はいつもすぐに私に感謝してくれます。ですから私は生命は本当は学ぶことが好きで、父母の出来る事と言えば子供を学習に導いて興味を持たせることだと思いました。

 自分の気持ちを抑えることが出来なかった時には、後から私はいつも子供に謝り、同時に、お母さんはどこが間違っていたか、どのような執着心があったのか、どのようにして真、善、忍に照らし合わせて自分の問題をみつけるのか、法がお母さんに要求するものとは何なのかを教えました。子供はいつもすぐに許してくれて、ときには子供は自分の執着心は遊びたい心だと私に謝りました。

 もう一つの原因は、子供の角度に立って考える事が出来ないからです。例えば、私から見ると簡単な事ですが、子供はどうしても出来なかったりします。子供は学習を始めてまもなく字を書くときに、それぞれの縦の字が斜めになっていて、書き直すように言っても出来ませんでした。楽器を練習するときに、明らかに3音なのに、4音が抜けるのです。私はよく我慢できず、怒りながら子供になぜ出来ないのか、間違いは明らかなのに、どうして改めないのか? と問いただします。家族同修と交流して、子供が小さい頃から楽器を習っているときも、正しいのが何なのかを知っていますが、指がそのように出来ないのです。ですから子供の状態を理解する必要があり、毎回の新しい技能は練習を繰り返すことで、やっと習得できるのです。子供の理解力を観察し、耐えられるかどうか、目標を設定するときも子供の事を考えるべきです。私たちが出来ることは、どこに間違いがあったのか、基準は何かを子供に思い出させることです。この過程も自分のキャパシティーを広げることで、忍を要する過程でした。私の問いただすやり方は、党文化的なやり方で、子供の自信を損なうことがあります。ですからこれからは私は穏やかに言うようにし、子供の進歩に注目し、褒めて励ますようにしています。たとえ進歩していなくても、子供の努力を褒めて、ポジティブに子供を見るようにしています。

 この二つの原因が分かってから、抑えきれなくなることが減っていきましたが、しかし、また抑えきれなくなり、再発し、再度根を掘り起こす必要がありました。なぜなら怒るとき、善がなく、忍もないからです。自分のキャパシティーと忍耐力が十分であって、やっと自分の心を抑制できるのです。しかし子供に対する情がとても重ければ善ではありません。私は情を修して無くすべきだと悟りました。それでこそ慈悲で、善になるのです。常人の情の表現ですと「彼が私に良い時は、私も彼に対してとても良く扱う、彼が私に不満があるときは、私も彼に対して悪く扱う」です。

 子供を教育することは本当に一つの修煉過程です。人々はみな自分の子供に愛情を持っていますが、一人の修煉者としてはどのように行えば良いのか、一つの生命にとって本当に良いとは何なのか? どのようにして行えば子供のためなのか、私は絶えず自分に問い、大法からの智慧をもって、一つ一つの問題を解決してきました。

 同時に、子供の教育はとても意味のある過程です。一つの生命が生まれる時、純粋で善良な本性を持っています。人間の世界で成長する過程の中で、白紙の紙に書いたり描いたりするようになります。生命が汚染されましたが、神はまたこの中で人間に正しい道に回帰する文化を与えてくださいました。一つの生命がなぜ学ぶのか、この世界をどのように理解するのか、なぜ模型を構築されたのか。親として、この非常に重要な過程の中で、子供の生命の最初から関与することが出来るのです。

 個人の浅い悟りでありますが、間違いがあれば慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「大法弟子とは何か」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/10/10/413482.html)
 
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