【明慧日本2021年1月26日】2001年1月23日、旧正月の大晦日に、中国共産党(以下、中共)が法輪功を中傷する目的で「天安門焼身自殺事件」の嘘をでっちあげた。1999年7.20、中共及び江沢民集団がすべての国家権力機構を動かして法輪功を弾圧して以来、多くの法輪功学習者が捕まったが「この空前の迫害には法的根拠がなく、さらにうそをでっちあげ、法輪功に対して憎しみを生み出すように人々を扇動し、迫害の口実とした」ということがわかった。しかしこの虚偽の事件には多くの欠陥があり、20年来、国内外のさまざまな関係者によって反論せずとも自ら崩れ去る『偽りの火』として絶えず暴露されてきた。
世紀の嘘をでっちあげる
映像の中では法輪功学習者が焼身自殺したと虚偽の主張をしているが、至る所に欠陥があった。
私服でやけど被害者のための隔離室に入るのか?
記者は何の防護もなしに、重度のやけどを負った劉思影をインタビューしている |
テレビで放送された劉思影は重度のやけどを負っており、厳格に消毒して隔離し、感染機会を減らさなければならなかった。しかし、劉思影は気管切開手術後の4日目であったが、中国中央テレビのインタビューを受けている。そして中国中央テレビの記者は隔離服を着ておらず、マスクや帽子も付けておらず、マイクを手にして現場でインタビューし、まさか、北京積水譚病院の火傷形成外科の医療スタッフは医学の常識がわからないのだろうか?
500度の高温の中で鐘のように座る
テレビでの王進東は、全身が黒焦げになるほど焼けたが、ガソリンが入った両足の間のスプライトのペットボトルは良好な状態であった |
常識のある人ならみなわかるが、ガソリンが発火すると、500度以上に達する可能性がある。さらに言うまでもなくこれは500度という高温のガソリンの火であり、人が手を伸ばして100度の沸騰するお湯の中に入れたとしても「微動だにしない」ということはありえない。しかし中共の代弁者メディアの報道の中の「焼身自殺」者である王進東は、全身がやけどしているのに山のようにどっしりと座っていた。
ある視聴者は「料理を作る時に熱い油が少し腕にかかると、誰でも熱くて飛び跳ねるほどです」と述べている。その「焼身自殺」がもし本当なら、王進東は体の自然な反応から、強い反応を示すはずである。
500度という高温でもペットボトルは溶けなかった
王進東の服は激しい炎によって「焼け」て破れたが、ガソリンが入った両足の間のスプライトのペットボトルは新品同様の緑色で、最も燃えやすい髪の毛も良好な状態であった。
ある人が実験を行ったところ「ガソリンが入ったペットボトルがもし燃えた場合、5秒でペットボトルが柔らかくなり、7秒で形が収縮し、10秒で小さな塊に収縮した」という結果になった。
まさか王進東の両足の間のペットボトルは特殊な材料で作られているのだろうか?
撮影後の「再撮影」
王進東の「偽焼身自殺」の破綻は「天安門焼身自殺」事件の参与者、「天安門焼身自殺」事件の中で最初から最後までインタビューを行った女性記者・李玉強も認めざるを得なかった。
2002年初旬、河北省「法制教育センター」(実際には法輪功学習者に信仰を放棄させるための洗脳班)で、李玉強と不当に拘禁された法輪功学習者が「話し合った」。法輪功学習者は「王進東の両足の間のスプライトのペットボトルが燃えなかったのはなぜですか?」と質問した。鉄壁の証拠に直面して、李玉強は「スプライトのペットボトルは彼ら(訳注:江沢民集団)が入れたもので、あのシーンはあとで『再撮影』したものです」と実情を吐露した。李玉強はさらに弁解して「見抜かれるとわかっていたら撮りませんでした」といった。
突発の出来事なのに映像は安定していてクリアである
「天安門焼身自殺事件」は突発の出来事であるが、中国中央テレビが撮影したシーンは水平方向に移動しており、さらに王進東がスローガンを叫んだ音声はとてもクリアであり、カメラが録音できることを説明している。現実には、2001当時の監視カメラにはまだ追跡撮影と録音機能はなかった。明らかに、事前に手配されたプロのスタッフが操作してはじめて、映像を安定してクリアにすることができ、さらにシーンは事件の進行に合わせて動き、遠景、近景とクローズアップがすべて含まれていた。
『偽りの火』は嘘を暴く
国際教育推進機構は2001年8月14日に国連会議において、天安門焼身自殺事件について「いわゆる『天安門焼身自殺事件』は法輪功を罪に陥れるためのものであり、驚くべき陰謀と計画的殺人に及んでいる」と中共当局の「国家テロ」行為を強く非難した。声明の中では「映像の分析から『事件全体が「政府の手によって指示された」』ということを示している」と述べている。中国の代表団は確固たる証拠に直面して、弁解の言葉がなかった。この声明はすでに国連によって記録されている。
中共の代弁機関が追随していた時、国外メディアは独立した調査を行っていた。2001年2月4日「ワシントンポスト」のトップ記事は『中国の謎に点火する焼身事件 -- 焼身自殺事件の動機は法輪功に対する闘いを強化するためのものである』という調査報告を発表した。記者は焼身自殺事件で亡くなった劉春玲の故郷である開封に自ら行って実地調査を行い、近所の人たちは劉春玲が法輪功を修煉しているのを誰も見たことがないと言っていた。
中共を極度に困惑させたのは、2003年11月8日に新唐人テレビが制作し、でっちあげられた「天安門焼身自殺事件」を暴露したドキュメンタリー『偽りの火』であり、各国から応募された600本以上の作品の中で特に際立っており、第 51回コロンバス国際フィルム&ビデオ・フェスティバルの栄誉賞を獲得した。この賞はドキュメンタリー分野で高い評価を得ており、その歴史は「オスカー」に次ぐものである。『偽りの火』という映画は衝撃的なシーンと鋭敏で厳密な分析により「焼身自殺」事件の数多くの疑問点を明らかにし、それによって「事件全体が法輪功にぬれぎぬを着せるために中共がでっちあげた捏造事件である」ということを実証した。中共は「天安門の偽り焼身自殺事件の真相」の流布を阻止するため、江沢民集団はかつて「天安門の偽り焼身自殺事件の真相」を放送した法輪功学習者に対して「容赦なく殺害」するよう命令し、長春の法輪功学習者・劉成軍さんなど多くの人が拷問を受けて亡くなった。
真相に直面し、中共は言い訳ができず、しかし過去の19年間で、中共はなんと「天安門焼身自殺事件」を小学校の教材に編入し、幼少な心にうそを植え付け、まだ世の中を知らない学生を毒害し、さらにしばしば中共の代弁者メディアが発表したものは、すべて匿名であり、誰も責任を取らず、この『偽りの火』に対する中共の根底が明らかになり、どれほどびくびくしていることだろうか!
悪を行った者は責任を問われる
『偽りの火』に対する中共のペテン手法により多くの法輪功学習者が迫害に遭い、数十万人が不当に労働教養を科され、判決を受け、4,363人以上の法輪功学習者が拷問で苦しめられ、精神的迫害により亡くなり、その中の827人が精神病院で迫害され、薬物による迫害、不明な薬物を注射されるなどを含め、さらには生体から臓器を摘出され、手段の卑劣さは身の毛がよだつものである。
2019年当時、中共は「70周年記念」の社会の安定維持を口実として、中共自身の終末の恐怖を浮き彫りにした。吉林省四平市公安局は社会の安定維持を「政治的任務」「論功行賞(訳注:功績に応じて褒賞を与えること)」とし、法輪功学習者の連行に加担した警官は10点を「褒賞として与え」られ、それに対してその他の本当の容疑者を捕まえても1点しか与えられず、この働きかけによって真相を知らない警官は知らないうちに悪を行い「真・善・忍」を修煉する良い人を迫害した。
しかし、中共の邪悪で残虐な弾圧の下、法輪功学習者は生死を恐れず真相を伝え続け、過去の21年間の時間の中で、日夜真相チラシを配り、嘘の霧を晴らし、中共の悪魔の本質をはっきり見分け、次々と人々を目覚めさせ、2021年1月までに脱党サイトで「三退」を公に表明した人の数はすでに3億5000万人を越えている。事実の証明の前では、どんなに強力なうそであっても、やはりうそであり、どんなに残虐な悪魔であっても、やはり悪魔であり、邪は正に勝つことはできず、正義は存続するのである。
それに対してうそをついた者はまさに懲罰を受けている。独断専行して法輪功を迫害した元凶・江沢民は中国国内で20万を越える法輪功学習者に告訴され、スペインなどの国際法廷で人道に反する罪などの罪状で判決を受けている。迫害に加担した者は制裁に遭うだけでなく、実際に迫害に加担した者たちの中で多くの者がすでに不運に見舞われている。明慧ネットの「法輪功が迫害された19年間で2万人以上が報いを受けた」という統計によると、1999年7月から現在までの20年余り、迫害に加担し不運に見舞われた者は2万人を越え、まさにいわゆる因果応報、神の正義は明らかである。
真相は広範囲に及び、正義はすでに回復している。2019年5月、明慧ネットは『通告』を発表し、米国国務省の担当者は「米国の法輪功学習者が迫害者のリストを提出することができ、人権及び宗教迫害者に対してビザの発行を拒絶し、明慧ネット上の10万の『悪人リスト』はすべて提出の範囲内である」と通知し、この正義の行為に対して、28カ国がみな米国の「グローバル・マグニツキー人権責任法」に類似した制裁メカニズムを策定し始めた。
中国のすべての関係者がこれを戒めとして受け止め、迫害政策に対して協力して実施することを控え、自分と家族が西方国家で定住し、学習し、旅行あるいはビジネスを行う道をふさぐことがないよう願っている。まだ悪を行っていない者は、身を清く保ち世俗に染まらず、悪を行わなず、すでに悪を行った者は、すぐに足を洗って正道に立ち戻り、過ちや罪を償う必要がある。