偽りの「天安門焼身自殺」事件について語る
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 【明慧日本2022年3月12日】私は家族と一緒に、2001年1月23日の夜テレビを見ている最中に、中央テレビが突然、恐ろしいニュース「天安門突発焼身自殺事件」を放送した。火傷した人たち全員に包帯が巻かれている映像を見たとき、私はすぐに嘘だとわかった。なぜなら、大やけどした患者を実際に見たことがあり、しかも世話をした経験があるからだ。

 1968年の夏、「武闘」が広がっていたため、全国各地は基本的に麻痺状態になり、夜になるといつも真っ暗であった。ある日の夜8時頃、勤務先の計量室の23歳の女性同僚が、同寝室に住んでいる2人の友人を連れて、石油ランプの灯油を注入するために計量室に行った。暗くて見えないので、間違えてガソリンを注いでしまい、マッチを点けた瞬間にガソリンが燃えて火事になった。 3人のうち、ドア付近の1人はパニックになって逃げ出し、残りの2人は救出されたが、1人は中程度の火傷、もう1人は重度の火傷を負っていた。

 重度の火傷を負った女性は当時19歳で、私と同じ仕事場で働いていた。大規模な停電のため、病院も電気が使えない状態であった。勤務先の指導者は、彼女と同年代の若い女の子3人と年配者2人を選び、24時間交代で病院で彼女の世話をさせた。私はそのうちの1人であった。

 当時、病院は一つの病室に10床が並べられる貧弱な状態であった。緊急措置というのは、点滴をぶら下げる程度のものだった。私たち女子3人の任務は、彼女の火傷した部位に途切れることなく、やさしく紫色の塗り薬を塗ることである。患者は意識がなく、裸でベッドに横たわっていたので、私たちは彼女のある部分を布で覆った。

 彼女の最もひどく焼けたのは、顔全体と両腕、両手であった。私たち3人は8時間交代で、怠ることなく十分に注意を払った。火傷が化膿すると命にかかわるので、綿棒に紫色の水薬をつけて優しく塗り続けた。あのような粗末な医療環境の中で、私たちの慎重かつ丁寧なケアによって、彼女は危険な時期を乗り越え、幸いに生き残った。

 現在、彼女はすでに73歳になり、顔も腕も手もずっと傷だらけだが、元気に生きていて、子供や孫もたくさんいる。

 1986年夏のある日、社内保安課の職員2人が事務所の中で、ガソリンで武器を洗浄していたところ、隣の席でタバコを吸っていた基建課の課長が誤ってタバコの吸い殻をガソリンのトレイに落としてしまった。ガソリンは一瞬にして燃え上がった。慌てて一人が燃えているトレイを拾い上げ、ドアの外に投げ捨てた。その時、結婚してまだ半年で新婚の職員の妻が訪ねて来たところに、燃えるガソリンのトレイがちょうど妊娠数カ月の、その職員の妻に命中するとは、誰も予想しなかった。

 当時、社内にいる他の目撃者によると、それは本当に見るに耐えられない悲劇だった。彼女は地面を転げ回り、消火器でようやく身体の火を消すことができたが、化学繊維の服が燃えて体に付着したので、重傷を負った。

 2日後、私は数人の同僚と一緒に病院へ見舞いに行った。私たちが窓ガラスの外から目にしたのは、病院の密閉している小さな個室の部屋で、焼け焦げて、裸で意識を失った患者は、ガラスカバーで体を覆われて手術用ベッドに横たわっている様子であった。化膿しないように、体を乾燥させ、無菌状態を保つことが必要だという。18年前とは比べものにならないくらい、今の医療技術はかなり進んでいるので、彼女の回復とお腹の子の無事を期待していた。しかし、思い通りにいかず、病院は彼女を生き返らせることはできなかった。今でもその時のことを振り返ると、とても悲しく、悔しい心境になる。

 以上の二つの事例から、私は天安門「焼身自殺」偽りの事件が発生した後、騙されることなく、自らの経験をもとに真相を伝え、中国共産党の嘘を見抜くことができた。

  2001年1月23日の夜、私は家族と一緒にテレビを見ている最中、中央テレビが突然、恐ろしいニュース「天安門突発焼身自殺事件」を流した。家族のみんなが緊張気味で、私は映像の内容に注目していた。火傷した人たち全員が包帯を巻いている映像を見たとき、それは偽物で、人々を騙すためのものだと私は瞬時に分かった。私はすぐに「これは偽物だ。『焼身自殺』の人たちを見てごらん、皆がちまきのように包帯を巻いているでしょう。人は火傷をすると水ぶくれができたり、水が流れたりするので、その包帯が皮膚にくっついて包帯を取ると、皮膚まで剥がれて骸骨になってしまうのに、どうやって生きられるの? それを信じてはいけない」と家族に話した。家族全員の誰もが言い返さなかった。広い範囲の火傷には包帯をしないのが基本である。

 17年前、省女子労働教養所で拘禁されていた時、数日間の洗脳班を開き、その指導官は「焼身自殺」の映像を利用して洗脳迫害を行った。私は「テレビでは、『焼身自殺』者が河南省開封市の出身だと報じていますが、ガソリンを半分も飲んだ女性が取材に応じた時に、なぜ標準の北京語を話したのですか? これは正真正銘の北京での製作ではありませんか。その女性は本当に河南省の出身ですか?」と聞いたとき、女性の指導官は唖然として言葉を失った。刑務所の所長に報告したあと、「誰もこのような質問をしたことがない」と所長に言われたという。それ以来、誰も「焼身自殺」事件の話に言及しなくなった。

 最近、改めて「焼身自殺」を分析するビデオを見たが、「自殺者の王進東」の髪の毛が焼けていないこと、スプライトのペットボトルが変形していないことを除いて、彼は「大やけど」状態でポーズを取ることができ、軍人の姿勢で地面に座り、元気良くスローガンを叫んでいた。彼が叫んだスローガンは法輪功とは全く関係ないことから、番組の台本プロデューサーは法輪功のことを何も知らなかったようだ。驚いたのは、彼が東北地方の標準語でスローガンを叫んでいたことだ。私は河南の出身だが、どうして故郷のなまった親しみを感じなかったのだろうか? 彼は本当に河南の出身なのか。

 気管切開後のコメディアンの李文華さんが、かすれた声を出すのに苦労している姿に胸が痛んだが、それに付け込まれた女の子の劉思影のことを思うと、さらに胸が痛んだ。幼い劉思影は「気管切開」手術を受けた後も、心地よく澄んだ声で歌い、CCTVのレポーターの質問に答えることができるのは不思議に思った。しかも、回復したと言われていた劉思影が、退院を待たずに突然亡くなった。これはどう説明すればいいのだろうか。

 20数年来、偽りの「天安門焼身自殺」事件は、どれだけの人を毒害したのか?  特に80年代、90年代、2000年以降に生まれた人たちが、ひどく害された。 当時、孫はまだ小学生で、その教科書には偽りの「天安門焼身自殺」事件が載っていた。これらの人を騙す内容を破り捨てようと言った時、孫は大賛成だった。20年以上が経ち、どれくらいの人が目覚めたのだろうか。どれくらいの人が今もなお、虚言に騙されて真相を聞こうとせず、救われるのを拒否しているのだろうか。

 10年ほど前のある日、散歩中に出会った4人のお婆さんがおしゃべりしていたが、彼女たちは嘘の宣伝を信じて、かなり法輪功を批判していた。私は座って聞いてみた。

 自分:お姉さんたちは、家では料理をしますか?

 答え:人生の大半を料理してきました。

 自分:腕や手、やけどをしたことはありますか?

 答え:それはよくあることです。

 自分:痛みはありますか?

 答え: 冷水や酢をかけても痛いです。

 自分:お姉さんたちは「天安門焼身自殺」事件の映像をテレビで見たと思いますが、体がめちゃくちゃ焼け焦げた男はなぜ痛くなかったのでしょうか? 痛みで転げまわるはずなのに。

 答え:ええ、本当に。 それはどういうことですか?

 自分:お姉さん、あれは法輪功に罪を着せるために役者が演じたものです。 みなさんは文化大革命を経験しましたが、あれは恨みを煽って全員を参加させる運動ではなかったのですか? 文化大革命の教訓を忘れず、二度と騙されないでください。

 続いて、一つ一つの疑問点を彼女たちに説明した後、全員が理解した。

 少し前、ある文房具店で買い物をしていたら、店主の奥さん(53歳)が何気ない会話の中で天安門「焼身自殺」事件のことを話していた。携帯電話を開いて、天安門「焼身自殺」事件の真相を見せながら、自分の体験と合わせて説明すると、彼女は理解してくれた。

 この機会は、偽りの「天安門焼身自殺」事件についてもう一度お話をし、子どもの時に教科書の嘘に毒害された子供たちに分からせ、中国共産党から離れ、無事に刧難を乗り越えるためである。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/5/439668.html)
 
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