同修の文章を読んだ感想
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 文/海外の大法弟子・ 慈恒  

 【明慧日本2021年3月18日】最近、 「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」という文章が広く伝わっています。 私たちのプロジェクトに参加している世界中の同修たちも、この文章について交流をしました。 多くの同修が異なる認識を持っており、大きな影響を与えていると感じています。 そのため、個人的に理解していることを話したいと思います。

 一、内に向けて探し、文章のタイトルから、自分の二つの執着を見つける

 この文章が発表されて読んだ後、内に向けて探し、私は何かの執着を取り除こうとしました。それは何でしょうか?  それは文章のタイトルを見たとき、突然、気付きました。一つは法を正すことが終わる時期に対する執着であり、もう一つは予言に対する執着だと思いました。

 この文章が掲載される数日前、私は法を正すことが終わる時期への執着が、ずっと私の修煉過程で貫いていることが分かりました。 中国では、中国共産党による法輪功への迫害が始まった1999年から今日まで、私は毎年、法を正す修煉が終わるのを期待していました。師父の説法が出るたび、いつ修煉が終わるのかという言葉を探していました。この強い執着心は、私の心の奥底に隠れてしっかりと私を掴んでいたのです。

 数日前、師父の法理が私の脳裏をよぎりました。 師父は「慈悲は神の永遠なる状態 時間は瞬く間に過ぎ行くものだ」と説かれました[1]。どうすれば、自分の慈悲が永遠の状態に達するのだろうか?  私は、法を正すことが終わる時期に執着せず、たとえ一生を費やしても、師父から要求された三つのことをしっかりと行い、円満成就に執着することなく、いつでも内に向けて探すこと、先史の誓約を果たすことです。 そうすれば、師が法を正すことを手伝うことが、より純粋なものになり、より多くの衆生を救うことができるのだと悟りました。

 そして私は、この法を正すことが終わる時期への執着を取り除くことにしました。 そう思ったとき、私の内心がとても辛く感じました。 これは隠れた執着心が辛いのだと分かりました。 数日後、この「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」を読んだとき、文章に書かれていた法を正すことが終わる時期に少し驚きましたが、心はあまり動じませんでした。

 しかし、予言については、放下しなければならない執着です。 おそらく、学習者の中でこのことに執着する人は少なくないでしょう。 私も毎日ネット上で予言を探し、時にはその予言を用いて真相を伝えて、衆生にいつ何かが起きるのかを決めつけていましたが、しかし、結果として何も起きず、衆生を救うことに大きな損失をもたらしてしまいました。もし、多くの同修は災難の予言を通して、衆生に真相を理解させ、三退させれば、その予言が空振りに終わった場合、この三退をした人たちは逆の方向に戻らないだろうか?  同修が嘘を言ったと思われてしまうのです。

 私にはすでに教訓がありました。そのため、予言は私たちの真相を伝えるときの参考資料として使われるべきで、修煉の参考として使ってはなりません。常人の予言であろうと、大法弟子の予言であろうと、過度に依頼や執着してはなりません。

 この文章についての考えを聞かれたある同修は、「天が崩壊し地が陥没しても、師父が要求した三つのことをよく行い、常に内に向かて探していればいいのです。 他のいかなることも気にしません」と話しました。私はこの同修の修煉状態は本当に良く、勇猛邁進して精進していると感じました。

 済度されるべき人数や、全体の修煉状態が師父の要求に達している否かについて、これらの問題を私達はあまり多く考える必要はないと思います。師父は「わたしが法の中ですでに説いたように、学生はただしっかり勉強しさえすれば自然に大学まで進んでいきますが、大学そのものに執着して、しっかりと勉強しなければ大学に入ることはできない、という道理です」と説かれました[2]。私たちは毎日、ただひたすら修煉して衆生を救い、絶えず勇猛邁進して精進し、全体に円融して無条件に内に向けて探し、できるだけ1人でも多くの衆生を救いましょう。大紀元時報での三退の人数が、中国大陸の中国共産党を脱退した人数の全部を現わすことができません。なぜならば、多くの人は共産党組織に加入したことはなく、救われた衆生の人数は師父だけが知っておられるのです。ですから、法を正すこのが終わる時期などをあまり考えず、自然に任せて師父が法を正すことを手伝い、衆生を救う心を揺るぎないものにし、師と法を信じ、常に無条件に内に向けて探す正念を持ち、固い意志で師父について行くことです。

 この「法を正すことが終わる時期に対する考えと予言」の文章は、勇猛邁進して常に師を以て法とする同修にとって、確実に修める同修にとって、おそらく影響はないでしょう。しかし、多くの執着を持つ同修の心に触れる可能性があり、真剣に考える人もいます。

 以上の認識は私の次元での悟りであり、必ずしも正しいとは限らず、米国の大統領選のように、結果は私たちの想像とは逆になりました。しかし、私たちの師と法を信じる心を揺るがすことはできません。

 注:
 [1] 李洪志師父の詩:『洪吟三』「なぜ拒否するか」

 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨二』「最後の執着を取り除こう」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください。】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/8/421739.html)
 
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