疫病流行中の真相伝えは高揚になりがち
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2021年4月10日】中共ウイルスが世界中で流行して1年以上経ちました。大法弟子は、「本当に人々を救えるのは、法輪功とは何かを理解し、邪悪な中国共産党(以下、中共)から離れ、心からの九文字を念じること」だと知っています。しかし、学習者が面と向かって真実を語るときも、大法弟子が運営するメディアの番組の中でも、米国の選挙の時も、現実とかけ離れた、神や創造主についての高すぎる発言をしているのです。

 一、心配は情であり、正念ではない

 その理由の一つは、みんなが気をもんでいることにあります。人の命を救うためのものですが、それは執着でもあります。心配とは、何か問題を解決しようとする中で生じる感情のことで、それは新たなトラブルをもたらすことが多いのです。心配は正念ではなく、ましてや悪の要素を解体し、人が救われることを助けるエネルギーでもありません。心配は私たちが修めた明白な一面を抑制し、知恵を阻むことを法理から知りました。実際には、心配は私たちが長年修煉した後、本当に経験してきたことを簡単に口にしてしまいます。それは普通の人にとって、理解しにくく、話の内容を高くしてしまいました。

 私たちは今、モラルの低い人間社会に直面しています。現代は神を信じない人が多く、神を信じる人は一定の範囲にしかいません。普通の人の心を占めているのは、金や物欲や自我と科学のことが多いのです。特によく理解している普通の人にしか、神を信じる視点から真実を語ることはできません。師父はこのように説かれました。「こんな高い境地の話を彼らに聞かせたら効果は良くないのです。というのは、その人はまだ常人だからです。常人は毎日株の売買に没頭したり、人と腹を探り合って暗闘したりしています。また個人の利益のために互いに奪い合い、わずかばかり得ると嬉しくてたまらず、少し失うと辛くてたまりません。常人の中で自分勝手に行動し、七情六欲が全てあり、これこそまさしく常人なのです」[1]

 現段階で多くの同修が高い話をする傾向があり、それが当たり前になっていることに悩んでいました。この時、私は『轉法輪』に奇跡的に啓発されました。何百回も読んだことがありますが、この観点から大法を理解したのは初めてでした。『轉法輪』の中では、どんな講でも、どんな節でも、さらにどんな段落でも、神を信じ、信頼し、これに従うか、そうしなければどんな結果になるのかなど、まったく書かれていません。

 私自身の修煉過程を振り返ると、真・善・忍に基づき、徐々に名声や利益、情を捨て、常人の観念や認識を変え、善良な人間、より優しい人間になるようにしました。人生の本質的な真理を悟った後、次第に世界観や人生観が大きく変化し、最終的には師父と法を信じ、神を心の中でしっかり信じていく過程であったと思います。師父が導いて下さった過程は、私の心の中の混乱が次々と解けていく過程でもありました。

 では、師父はどのように大法弟子を指導されているのでしょうか?  師父は「私たちは道理を説くような方法や、人間が理解できる観念をもってあなたの障碍を破る方法で説いており、あなたに真に宇宙の理を認識させています」[2]といわれました。私たちは心を込めて考え、今時の人が理解できる方法や内容を見つけて、真相を語るべきだと思うのですが、もちろんその前に、不安や焦りといった人間の感情を抑えなければなりません。

 二、心を込め慈悲心を修めるべき

 もう一つ、高く話す理由は、心の中から救われる人への純粋な心配りがあるかどうか、自分よりも、他人を優先するか、それともその逆かということです。 簡単に言えば、慈悲心を修めて、真相を語る際の、心を込める具合のことです。

 これを明確にするための例えがあります。今、誰かが川に落ちて、洪水に流されようとしています。私たちは彼を救おうとして橋の上にいました。では、どうやって彼を救うのでしょうか?  腰をかがめて彼を引っ張り上げますか?  それとも彼に長い竹の棒を渡しますか?  それとも直接飛び込みますか?  または小舟を漕いでいきますか?  私たちが彼を救​​出するとき、彼の現在の体力を考慮しましたか?  水温はどれくらいですか? 彼はどれくらい耐えられますか?  私たちがただ橋の上に立って彼に向かってあなたはきっと耐えられる、あなたは力いっぱい泳ぐように叫べば、本当に彼を救うことができますか?

 このシンプルな例の中で、私たち自身が慈悲心を修めているかどうか、はっきりとわかるでしょう。自分よりも他人を優先しているでしょうか?  私たちはどこまで人を救うことに気を配っているでしょうか。私たちは、救いにつながる理屈や視点、方法を見つけることに気を配ってきたでしょうか。私たちはあまりにも高尚なことを話しました。しかし、救うべき人が理解できず、それによって救われなかったとしたら、それは私たちが橋の上から叫ぶだけで、川の中で救助を待つ人を引っ張り上げるために身を屈めないことではないでしょうか。

 三、心からの九文字を念じるよう人々を説得する二つの方法

 現在、普通の人が命の危機に瀕している時、九文字の言葉を念じて救われることを納得させるためには、二つの考え方がより理解しやすく、受け入れられると実証されています。

 一つは 実証科学の方法です。心から九文字の言葉を唱えれば重症の人が治るというのは、実際に起きていることで、国内外に多くの事例がありました。九文字の言葉を唱えても損をすることはなく、危険もありません。聞いた人がこの事実を尊重し、それを受け入れることができれば、希望の光が見えて来ます。この方法は実用的な人に向いています。

 もう一つは、物理学における振動の周波数の観点から説明します。師父は「人間の思惟は一種の信息であり、エネルギーであり、物質的存在の一種の形式です。人間が物事を考え、思惟するとき、大脳に周波が生じます。呪文を唱えると効き目の現れることがありますが、なぜでしょうか? それは宇宙にも周波の振動があり、あなたの唱えた呪文と宇宙の周波との間に共振が起きて、効き目が生じるためです」[3]とおっしゃいました。

 しかし、この物理的な概念と連動して、心からの九文字の言葉が人の健康状態を変えることができることをどう説明すればいいのでしょうか。奥深い内容を分かり易くすることが一番です。 この真実を語る前に、自分たちがしっかり理解する必要があります。より多くの人に理解してもらうためには、非常にわかりやすい言葉と理論で、相手が同調して考えやすいように盛り上げて話す必要があるかもしれませんし、道理を実証するために面白い話をする必要があるかもしれません。定理の議論のように、厳密であっても退屈な方法で説明されれば、聞き手にとっては、この話は退屈だ、近づきたくないと思うでしょう。このやり方は高学歴の方に向いています。

 要するに、正しい方向に、正しい念を持って真相を語れば、間違いなく大法からより多くの知恵が得られ、より多くの普通の人が理解しやすくなり、救われやすくなるのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『ヨーロッパ法会での説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『長春輔導員法会での説法』
 [3] 李洪志師父の著作:『法輪功』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/3/421570.html)
 
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