人心を取り除かなければ、神にはなれない
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文/黒竜江省の大法弟子

 【明慧日本2021年4月30日】私達大法弟子は20年以上修煉の道を歩んで来ました。毎日三つのことをしています。交流の中で人の優れた面を見て、自分と照らし合わせながら執着心を取り除くことも少しずつしていると思います。しかし法に対して感性の認識から理性的に法を認識するまで、まだ一定の距離があると思います。

 「よく学法をし、法を理解し、法で自分を律して心性を高め、心を益々純粋にすることを加速させることによって、法を正す進展についていくことができます。自分の旧い観念を変えなければ、圓満成就どころか、新宇宙の標準には全く及びません。

 ここ2年来、私達の地域にこのような同修が4、5人います。各種の観念を放下せず、何事かがあった時には常人の理で測り、争いや恨み、闘争心、情を取り除こうとせず、三つのことを毎日していますが、法を実証する中で人心を修めるのではなく、どれほど衆生を救い済度したかを修煉とし、時々自分が三退した人数を見せびらかして、自己満足ばかりで次元を高ることを比較的緩めています。

 師父は「大法は修煉です。大法弟子が修煉する目的は円満成就することです」 [1]。三つのことをやる過程の中で、各種の良くない考えを少しずつ取り除いてこそ、圓満の目的に達するのです。

 同修のこれらの人心が見えたので善意を持って指摘すると、彼らは「あなたが私にその良くない物質を加えないでください」と答え、人心を隠し、良くない物質を守ろうとします。日常生活の中で家族とよく喧嘩をし、人間の理で家族を責めたりします。妬み、恨み、争いは家庭の中で完全に暴露されています。家庭を修煉の環境とせず、体調が改善されないどころか、新たな病業状態まで現われてしまいました。このすべては人間の執着心が主導しているからであり、人心を利用して人間をコントロールしているのです。あの執着心は死にたくないため、他人に指摘されると直ちに相手に反撃します。仕方がないので指摘をした同修が自分を修め、内に向けて探すことになります。時間が経つにつれて指摘を聞かないこれらの人と交流する人も少なくなるため、彼らを高めるチャンスも失ってしまいます。関や難を積み重ね、自分の修煉の大きな関門になってしまいます。

 7.20の迫害が始まった後、当初一緒に法を得た多くの人は、修煉を止めたり、逆の方向へ行ったりしました。教訓があまりにも多すぎて、悲しくてたまりませんでした。様々な人心により阻まれて進めなくなりました。

 師父は「神とは何か、人心存する無し」 [2]と説かれました。「天体、宇宙、生命、万事万物が宇宙大法によって切り開かれたため、生命が大法から背離すれば、それは本当の堕落となります。世の人は、大法と一致することができれば本当の良い人であり、同時に善報、福寿を得ることができます。修煉者として、大法と同化することができれば、あなたは得道した者、即ち神となるのです」 [3]

 同化とは何でしょうか。自分の各次元の昇華、細胞は宇宙の特性で充満し、法に溶け込むことだと認識しています。師父のおっしゃったことを覚え、師父に従って家へ帰ることは、真に修煉する大法弟子達が願っていることです。この願いを実現するために、法を実証する道を歩みながら、人心を滅し、邪悪を解体させなければなりません。

 個人的な認識ですので、不適切なところがあれば、慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『台湾法会へ』
 [2] 李洪志師父の詩:『洪吟』「人と覚者の分別」
 [3] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「論語」

 【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/11/423137.html)
 
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