化学薬品で深刻に腐食した目と顔が回復
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文/中国の大法弟子 晴空  

 【明慧日本2021年7月12日】私が大変辛かった経験を書き出して、同修と交流したいと思います。

 2020年夏から秋にかけてのある日、家の下水道から異臭がしたため、臭いを除去する化学薬品を買って来ました。説明書を読んで、プラスチックボトルに入れ、最濃度の割合でお湯を注ぎました。蓋を閉めて、それを数回振ったと同時に、プラスチックボトルが「バン!」と爆発しました! その悲惨さはまるで小さな爆弾が爆発したようでした……

 この物が爆発してわかったことは、液体が飛んだところは鉄でも腐食するのです。私の両目と顔全体の状況を想像できますか! 爆発したとき、私の顔はボトルから最も近かったのです。

 直ちに、両目が激しく痛くなり、開かなくなりました。私は叫びました。「法輪大法は素晴らしい! 真・善・忍は素晴らしい! 師父助けて下さい!」。どれくらい叫んだのか分かりません。手探りで洗面所へ行き、目を洗い、両目を開けようとしました。しかし、両目はまだ激痛で、全く開けることが出来ませんでした。

 このとき、2歳の娘が私の様子を見て、怖がって大声で泣いていました。私の顔は化学薬品ですでに焼けて変わり果てていました。私は自分の顔が大変恐ろしくなったのだと気づいて、すぐに娘に優しく言いました。「怖がらないで。ママは少し怪我をしてしまっただけで、すぐに良くなるよ」

 娘を妊娠していたとき、毎日大法の師父の説法録音を聞いていました。娘が産まれてからも一緒に師父の説法を聞いていました。娘が夜寝る前、暗記した法を聞かせ、大法弟子が作った曲を歌いました。そのおかげで娘は聡明で成熟で同じ年の子供とは違っていました。

 このとき娘は、とても怖がりながらも勇気ある行動をしました。娘は何も言わずに私の側に来て、ぴったりと私に寄り添い、彼女の小さな身体で私を安心させてくれました。

 私は娘に「寝ておいで」と言うと、娘はすぐに寝ました。突然娘の泣き叫ぶ声が聞こえました。娘は今までこのように大声で泣いたことはなく、胸が張り裂けそうでした。娘は私の焼けた顔を見て、きっと精神的に大きなショックを受けたのだと分かりました!

 私がすぐに思ったのは、夫に早く帰って来てもらい子供をみてもらうことでした。私は携帯電話を探し、夫に電話しました。夫は「病院に行こうか?」と聞きましたが、私は「大丈夫。早く帰って来て子供の面倒を見てほしいの。私は少し休めばそれでいいよ」と言いました。携帯電話を放してから坐禅して発正念をしました。しかし長時間堅持できず、両目が痛くて心が静かにならず、気持ち悪くなって、まるで昏睡状態のようで、ソファーにもたれて、発正念を続け、法を暗唱しました。

 しかし、3時間経っても夫は帰ってきません。それでまた電話をかけて夫に催促しました。「子供はあなたの帰りを待ってます」。このとき、問題はそんなに簡単ではないことにやっと気づいて、すぐに一番近くに住んでいる1人の同修に家に来てくれるようにお願いしました。

 同修が家に入るなり「すぐ病院に行って!」と言われました。きっと私の顔はそこまで人を怖がらせるのだな? そうでなければ同修は少しもためらわずこんなふうに言うわけがないと思いました。同修は私を手伝って片付けてから、私を連れて病院に行きました。

 このとき、私の両目は腐食してからすでに4時間以上経っていました。私を検査したのは眼科の主任で、両目を検査してから、恐ろしそうに大声で「どうしてすぐに病院に来なかったの? 早く来たらまだ望みがあったのに。今は両目の腐食は非常に深刻で、全く手の施しようがない!」と言われました。また「こんな痛みで、どうして長く我慢ができるのか?」と質問しました。そしてすぐに入院の手続きをするように言いました。私はとても落ち着いて「入院しません」と言いました。

 私は心の中で思いました。「誰が何を言っても正しくない。師父がおっしゃるのが正しい。師父は私の側におられます。あなたは私の目を治せませんが、師父なら出来ます」

 この主任医師は、私の堅い気持ちや落ち着きを見て、慌てて怒鳴って私に教えました。「入院しなければいけません。両目がどうなっても知りませんよ!」。主任医師は「病院はあなたに高額な費用を請求しません」と言いました。私はまた静かに「入院しません」と言いました。

 私は同修に支えられながら、診療室を出て、診療室の外の長椅子に座りました。私は主任医師と看護師の会話が聞こえてきました。看護師が「主任、私は20年以上看護師をしていますが、初めてこんな深刻な状態を見ました。彼女の両目はすでに灰黒色になっていますが、まだ望みはあるのですか?」と言いました。主任医師が看護師に返答した具体的な話はよく聞こえませんでしたが、しかしとても残念そうで同情した語気を感じ、大体の意味は回復は無理だろうということでした。

 彼女たちの話が聞こえ、私は自分に問いました。「突然の大きな難に、私の心はどのように動きますか? 私には両目が必要です。まだ大法を実証し人を救うプロジェクトを続けなければならず、必ずはっきりと見える目が必要です。邪悪に大法弟子の両目を持って行く資格はない」

 付き添ってくれた同修の協力の下、別の2人の同修に電話をして、私の状況を簡単に説明しました。彼女ら2人は正念が十分で、私に「怖がらないで、大丈夫!」と言ってくれました。

 このとき家族が急いでやってきました。主任医師は家族に焦りながら、また責めるように大声で言いました。「彼女はこんなに若くて、子供もまだ小さくて、これからどうするの!」。家族はすぐに入院の手続きをしました。私は病院のベッドに伏すことを恐れました……

 私が思ったのは「私は1人の修煉者で、風雨の中で20年以上も歩んできたのに、なぜ今になって病院に来たの? 私のどんな執着を旧勢力に掴まれたの?」

 私は自分の執着を振り返ってみました。最近の数年、確かに怠けていました。法を実証することはずっとしていますが、しかし執着している人心にはだらだらしていました。さらに夫を怨恨しており、深い人心が複雑にもつれているのです! 修煉者から言えば、世間の得失には執着しません。夫は修煉していません。それなのに私はいつも夫を衆生と同じではない位置において、いつも夫にああするべき、こうするべきだと要求していました。これは一種の強烈な「私心」の表れです。新宇宙の生命は「相手のため」で、何かあったときには、いつも相手の立場に立って問題を考慮するのです。「私」は旧宇宙生命の属性で「私」を取り除いてやっと本質から真に大法に同化できるのです。

 このとき自分の怨恨心の現れがとてもはっきり見えました。怨恨の背後に傲慢、闘争、嫉妬などなどがあり、全て「私のため」「自我」のためで、また共産邪霊の要素が含まれています。なぜなら共産邪霊の低次元での現れは「恨」だからです。物事の表面から正誤を強調するとき、すでに常人の中に落ちてしまっているのです。また表面の正誤を強調するのは、「不公平」という思いがあり、心の中でイライラして、嫉妬心があふれて、それから怨恨するのです……

 実際、私は普段からも自分の問題が見えていましたが、しかし、はっきり意識していませんでした。修煉していても依然としてこのように執着を取り除かず、その中で旧勢力の按排やコントロールもあり、まだ個人修煉にさまよっていて、時には分かり、時にはぼんやりした状態で、心性の関の中で終始徘徊して前へ進めず、真の自分か偽の自分かを分別せず、執着心の背後の邪悪生命をはっきりと認識せず、真に執着を放下せず、確実に向上していませんでした。

 時々、邪悪のコントロールに従って夫の良く出来ていないところを見て、自分を振り返ることをしませんでした。実際、修煉の過程の中で感じた難や苦は、自分の正念が足りず、主意識が強くなく、人心と観念からできたものを手放したくないからです。

 自分の内心を整理してから、発正念し始めました。「私に対する迫害を一切認めない、私は師父が面倒を見て下さり、私の修煉の道は師父が按排して下さり、他の一切の按排はいらない」

 師父はこのような法理を説かれたことがあります。「『あなたは冷たくて、私を寒くさせ、私を凍えさせようとするのですか? 私はあなたより冷たくなり、あなたを凍えさせます』と私はこのように考えていました。(皆笑って、拍手)『私を暑くするのであれば、逆に私はあなたを暑くさせ、あなたが耐えられないほど暑くします』」 [1]

 両目が激痛のとき、私は堅く思います。「この痛み苦しみを全て邪悪に返します。按排したその人が受けるのです」

 両目の痛みはだいぶ軽くなり、耐えられる状態になりました。医者は私の火傷がひどいのを見て、破傷風の予防注射を打とうとしましたが、私は拒否しました。

 うとうとしていると、目の前にうねうねとした険しい山道が現れ、全く山頂が見えず、道はとてもとても狭く、まるで私1人しか通れないようで、この道を上に向かってひたすら登りました……

 同修がプレーヤーを持って来て、師父の説法録音を聞くことができました。師父の慈悲なる声を聞いて、私ははっきりしたり、痛みでうとうとしたりしました。しかし、毎晩はっきりと感じたのは、法輪が私の両目のところで回転していたのです。

 私は心の中で師父に恥ずかしく思いました。不甲斐ない弟子はまた師父に心配をおかけてしまいました!

 次の日、両目の痛みがほとんど消えました。朝から、主任医師は私を診療室に連れて行き、検査してから、隣の医者と看護師に「両目は回復しつつあり、眼が良くなる希望が出てきた」と言いました。私はすぐに「退院させてください」と言いました。「退院」の2文字を聞いて、主任医師はまた焦って言いました。「入院してもそんなにお金はかかりませんし、注射もしません。もし目が炎症を起こしたら、両目は全く守れませんし、病院にいれば随時に観察できます」。私は主任医師の善意に感謝しました。

 家族は安心せず「あと2日ほど観察入院させたい」と言いました。私もそこまで自我を堅持しないようにしました。眼科病棟は私1人だったので、心を静かにして師父の説法を聞きました。

 2日後、私の堅持の下、医者は「退院後に一切の責任を負わない旨の書類」に署名させました。私には分かっています。中国で、医者と患者の争いは普遍的で、医者は治療できていない患者が退院後に病院を訪ねてトラブルを起こすのを心配しているのです。

 医者が言うには、「両目の腐食はかなり深刻で、回復できたとしても、眼の渇きや、眼の収斂性(しゅうれんせい:縮むこと)の問題に後半生は付き合っていくことになり、ずっと薬が必要となるだろう。もう一つは、左眼は右眼よりも深刻で、すでに人の手では治癒できない程になっている」とうことでした。

 医者がそこで話しているとき、私は心の中で否定していました。「そんなことはない、私は大法弟子で、師父が守って下さいます。私は必ず大丈夫です」

 医者は続けて「右眼は少しは良くなっていますが、結膜が傷ついて炎症しています。数日後には必ず病院に戻って入院治療することになるでしょう」と言いました。

 このとき私が思ったのは、「私はもう病院には戻ってこないでしょう。自分で気をつけていればそれでいいのです」

 結果は、家に帰って2カ月後、左眼は回復して正常になり、右目は赤い腫れが消えましたが、まだ左眼には及びません。本当に人と神の一念はどれほど違うのでしょう!

 家に帰ってからは、家で法を実証し、人を救うプロジェクトを続けました。顔はとても早く回復し、元の状態に戻りました。医者が言っていた「目の渇きや収斂性の症状」はどれも出ていません。

 私は自分の経験を書き出し、師父の慈悲なる救いに感謝いたします! 法輪大法の素晴らしさ、神秘と超常を実証します。皆さん覚えてください「法輪大法は素晴らしい!」

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『二〇〇三年元宵節での説法』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/7/9/427752.html)
 
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