携帯電話への執着を捨てる
文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年5月11日】師父は、携帯電話などの電子機器が修煉に与える危険性について、何度も説法されています。携帯電話の安全性に注意を払わない同修が引き起こした多くの現実的な損失は、誰の目にも明らかです。しかし、今日に至るまで、修煉者の中には、携帯電話の安全性に気をつけない人がいます。中には「携帯電話に依存している」、「なかなか手放せない」、「麻薬のように使っているとわかっていても、なかなかやめられない」など、様々な現象があります。最も重要なことは、今日、大法を得た修煉者が、現代の突然変異した電子製品にとても興味を持っているということです。
師父の著作『轉法輪』の中から、いくつかの法を抜粋して、同修の皆さんと一緒に復習しましょう。
「佛家では酒を飲んではいけないことになっています。徳利を提げている佛を見たことがあるでしょうか?」
「わたしがかつて例を挙げて説明したように、タバコを口にくわえて坐っている佛や道士はどこにいますか?」
「功能は、人体の潜在能力です。われわれ人類社会の発展に従って、人間の大脳思惟がますます複雑になり、ますます現実を重んじ、いわゆる現代化の道具にますます依存するようになってきているので、人間の本能はそのためますます退化しています」
徳利を提げ、タバコをくわえて修煉した佛はいないのですから、毎日携帯電話を使っている佛はいないのではないですか? 佛法の神通力を使わずに、いわゆる現代的な道具に熱心に頼っている大法の修煉者にとって、それは強い執着であるだけでなく、恥でもあります。
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】