携帯への執着が魔難をもたらす
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2024年12月27日】同修の文章の「携帯依存が命を奪う時になってから後悔しないように」を読んで、深く共感しました。自分の状況についてお話します。今年の後半、私も同修と似たような恐怖に陥ったことがあり、頭がくらくらして天井が回るような感じで、吐き気や嘔吐がありました。すぐ師父に助けを求め、発正念をしましたが、集中できなかった為、「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と繰り返し唱え続けました。その後、何日もかけてようやくこの状況を乗り越えることができました。

 この魔難が現れる前に、実は何度も啓示を受けていました。例えば夢の中で携帯に怪獣が大きな口を開けている場面を見るなどです。また、明慧の文章「携帯依存を断ち切り、修煉の初期の状態を取り戻す」という文章を読みました。しかし、自分が心性の問題に直面し、関門を乗り越えられない時には、いつも携帯を手に取ってしまい、気持ちのもやもやを解消しようとしていました。

 この魔難が起きた翌日の朝、また夢を見ました。夢の中で2台のタブレットが同時に開かれていました。(現実に私はタブレットを2台持っていません)1台は淘宝のページ、もう1台は京東のページで、それらの商品を交互に見ていました。その時、そばに2人の同修が現れ、1人が「何をしているの」と尋ね、もう1人は「発正念をするべきじゃないの」と言いました。私は恥ずかしくなり、坐禅して発正念をしました。そこで目が覚めました。

 今回の経験を経て、心を静めてよく考えました。魔難が現れる原因は、携帯動画を見るだけでなく、ネットショッピングも間違っていると気づきました。しかし2022年には既に携帯動画を見てはいけないと啓示されていたのに、どうして自分は手放せなかったのでしょうか。私は修煉には強い意志が必要であり、寒さや暑さ、痛みなどに耐えるだけでなく、誘惑に対する自制力も必要であることを悟りました。これも意志力の試練の一つであり、私は自制力が弱いと言う問題を抱えていました。心の中では携帯をいじることは修煉者がするべきことではないと理解していて、それが執着心であると分かっていました。見るたびに後悔しつつも、またつい自分を抑えられないことがよくありました。自分の空間場に入り込んでいる腐敗した物質が死にたくないと言う理由だけでなく、何か他にもあるはずです。更に深く掘り下げてみると、多くの人が携帯をいじっているとはいえ、執着心は人それぞれ異なります。私は美しい生活への憧れや色欲心に執着していることを見つけました。見ているのは幸せな家庭に関する報道ばかりで、特に才色兼備の女性主人公が出るものが好きです。自分は女性ですが、主元神が必ずしも女性とは限らないのです。

 これらの執着を見つけた後、発正念をしてこれらの執着心を取り除き、携帯への執着を手放すのが以前よりずっと楽に感じるようになりました。しかし、長年携帯電話を見続けて頭に刻み込まれた映像は時折浮かび上がってきます。おそらく取り除く過程が必要なのでしょう。まだ携帯で遊んでいる同修は、携帯を手放して下さい。それは魔です。それに執着することで失うのは自分の修煉だけでなく、あなたの背後にいる無量の衆生も破壊してしまいます。師父の慈悲深い済度にも申し訳ないです。

 同修の皆さん、私を戒めとして残り少ない正法の時間を大切にしてください。不適切なところがあれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/12/22/486506.html
 
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