文/北京の大法弟子
【明慧日本2021年5月25日】私は、バスに乗るといつもネットでニュース報道を読んだり、番組を聴いたりしますが、普段は下の方にあるコメントを読むことはほとんどありません。
最近、ある番組を聴いた後、下にスクロールしてみると、いくつかのコメントが目に入ってきました。ざっと目を通したところ、ほとんどが一般のリスナーが番組を理解した上でのコメントでした。しかし、修煉者のコメントが多いことにも気づきました。もちろん中には、修煉者になりすましたコメントもありました。
2020年の米国選挙後は、中国共産党(以下、中共)と結託した米国などの左翼メディアの発言力が強まっています。メディアに出ている海外の同修たちはとても頑張っていて、彼らは法を深く理解し、熱心に修煉していると思います。
私の理解では、修煉者は自分の理解と様々なルートから得た情報に基づいて、ソーシャルメディアに投稿しています。彼らは独自の方法で、ソーシャルメディアを通じて一般の人々にプログラムを紹介しており、それは、人々に真実を明らかにするためです。
修煉者の中には、メディアの同修の番組を補完する目的で、番組にコメントする人もいるでしょう。しかし、実際には番組の内容にそぐわないコメントが多いようです。
コメントが唐突だったり、横柄だったり、長かったりします。コメントが良い役割を果たしているとは思えず、むしろ異常で理不尽だと感じます。また、文化大革命のスローガンと同じように、冒頭から「心からの九文字」を繰り返し書く人も多く、このようなやり方は、真実を理解していない人々に法輪大法を拒絶させる可能性があります。
私は修煉者が、修煉者のプログラムに多くのコメントをしないように提案します。私たちは、一歩一歩、賢明に行動し、修煉に関係するかどうかを判断し、法を学び、人々を目覚めさせることに集中しなければならないと思います。私たちは、自分自身を成長させるために、一分一秒を大切にしなければなりません。
以上は私の個人的な認識ですが、他の修煉者に修煉の道に精進し、責任を果たすことを励まし、注意を促すために書きました。
【編集者注:この文章は筆者の個人的な観点を代表しているものであり、正しいか否かについては筆者個人が責任を負うものとし、読者は自身で判断してください】