文/中国の大法弟子
【明慧日本2024年7月3日】メディアのウェブサイトに設けられたコメント欄は、ネットユーザーが意見を交換するための場です。しかし、長い間、コメント欄にはいくつかの問題があり、その中には人を救うことに影響を及ぼしているものもあります。
一部記事のコメント欄では、非常に粗暴な言葉が使われていることに気づいた方もいるかもしれません。個人に対する批判が頻発し、侮辱的なものさえあります。たとえば、中国共産党(以下、中共)指導者に関する記事のコメント欄には、多くの罵倒する言葉が含まれています。常人が批判的な意見を持つのは仕方のないことかもしれませんが、私たち大法弟子は常人と同じであってはなりません。私たちの発言は、善意に基づき、善を勧め、人を救うためになされるべきであり、少なくとも公平でなければなりません。
報道された中共の腐敗した官僚たちは、汚染された体制の中で相当苦労しており、誘惑と権力の圧力にも晒されています。私たちは彼らに同情し、痛みを加えるのではなく、ましてや攻撃をしてはいけません。大法弟子の迫害に参加した人々に対しても、不幸を願うのではなく、さらに憤慨して嘲笑してはいけません。「彼らは大法を迫害したことで罰が当たった」ことを穏やかに指摘し、人々に理解を促すべきです。なぜなら、中共の背後にある悪霊が、人々の救いを妨げる悪事の張本人だからです。
最近のアメリカの政治ニュースでも、コメント欄が特定の政党や指導者を批判で溢れており、まるで中共を罵倒するように、ある政党を直接共産党に喩えるコメントもありました。これは、常人から見れば誹謗中傷に見えるかもしれませんが、大法弟子が運営するウェブサイトにおいては善が欠ける行為です。修煉者の道理は常人よりも高いということを理解しなければなりません。政策に問題がある場合でも、それを穏やかに注意しなければなりません。私たちが面と向かって真相を伝える際もプロセスがあり、まず前置きをし、それからいくつかの例を挙げ、対話の中で人の質問に答えて人を救うことができるのです。無責任な発言をするということは、誰かの傷を直接掘り起こすようなものではないでしょうか。
ロシアに関するいくつの記事でも、現指導者に対する一方的な非難や罵倒が見受けられます。人間は複雑で、常人は名声、富、愛を手放すことが難しいのです。地位の高い人は言うまでもなく、権力を求め、非合理的な行動をとることがあります。
コメント欄には、「天罰が下る」、「地獄に落ちる」などと書く人がいますが、常人が見たらどう思うでしょうか。その国の国民が見たらどう感じるでしょうか。 これはまるで呪いであり、常人の「ネット荒らし」と何ら変わりません。大法弟子として、私たちは客観的に問題を捉えるべきであり、非難は人を救うことができず、敵を作るだけであることを理解する必要があります。その国の国民を怒らせてしまうと、その国にいる同修は危険にさらされることも考えられます。 このような事態はすでに起こっています。元凶は中共ですが、私たちの不合理な行動も影響しているのではないでしょうか。
諸国の戦略的で政策的な問題について、専門家以外の人は軽率なコメントをなるべくしないよう心掛けるべきです。これらの問題は非常に複雑で深刻な要因が絡んでいるため、簡単に要約することはできません。誠意を持って、問題の欠点を指摘し、背後に共産主義的な要因があることを人々に認識させ、最終的に人々を救うことを目的とすべきです。
世界中の政府が私たちのメディアに注目しており、多くの常人も、私たちが真実を伝える勇気を持つ数少ないメディアの一つと考えています。しかし、真実を語ることは何の気兼ねもなく、党文化に満ちた闘争論を行うことではありません。
師父が二つの経文を続けて発表されたことは、私たちのメディアにおける問題が深刻であることを示しています。メディアは記事の内容を正確に把握し、コメント欄にも良い雰囲気を作り出すべきです。炎上させるようなコメントや、非合理的な批評、師父の言葉を引用、乱用、盗用するコメントなどは、随時削除してください。
人を救うためには、私たちが協力して真実を明らかにする必要があります。同時に、素晴らしいコメントは、本文にはない役割を果たすことがあります。メディアのコメント欄も無視できない救いの場であり、コメントを投稿するときは「面と向かって、常人にそれを言えるか」と考えるべきです。人を救いたいという心を持ってこそ、賢明なコメントを書くことができ、大法弟子の善意と心の広さを真に示すことができるのです。
大法弟子は人々を敵に回し、衆生を追い出すことはできません。私たちは政党に属さず、政治に参加せず、ただ善行を行い、人々を救います。
以上が私の考えです。不適切な点があればご指摘ください。